もう一人の自分とデートしてみる
「自分とデートする」とは?
それは、一人で、自分のために、自分を満足させるためにお出かけすること。
外に出かけて、自分の中の「本心」の声に耳を傾け、
その自分が望むものを与え、行きたい場所に連れて行ってあげること。
「私は今何が食べたい?」
「私は何を見ると喜ぶ?」
というのを、真剣に考える。
「自分が何を感じているのか」にだけ気持ちを傾けるのだ。
そして、これが食べたい、とか、これが欲しい、という声に忠実に行動する。
自分の心の声を尊重する。
それが自分とデートするということだ。
これは、「自分を受け入れ、愛する」ための練習になる。
自分を尊重することに慣れていくと、自分を受け入れられるようになる。
そうすると、悲しみや苦しみが不思議なくらい消えてゆくのだ。
気分は晴れ晴れとし、温かい幸福感に満たされていく。
そしてその幸福感は、簡単に揺らがなくなる。
自分を愛するためには、まず態度にそれを示すことが重要です。
いつも自分の機嫌を取る。
好きなことをして、欲しいものを買ってあげて、
行きたい場所に連れて行ってあげる。
まるで愛しい恋人と付き合っているときのように。
私は過去にうつ病で死にたいくらい苦しんでいました。
そんな私が、愛する恋人のように自分自身を扱うことで
心を癒した方法をお話しします。
もう一人の自分とクリスマスにデート
うつ病になってから、私は抗うつ薬を飲んだり、認知療法という治療法を試したりして、少しずつうつを治していった。
そして、外に出かけられるようになった頃、「自分とデート」というのを思いついて、やってみるようになりました。
当時は実家暮らしで、もうすぐ大学生活が終わろうとしていました。
「私なんかが」なんて卑屈に思う気持ちは捨てて、
可愛い服を買ってみたり、髪型を変えてみたりして、自分の気分を大切に扱うようになりました。
ハンカチも白やピンクの、自分の気分が「上がる」可愛いものを持ってみたり。
あの服がかわいい。
あのリップの色が気になる。
あのお菓子美味しそう。
じゃあ買ってあげようか?
試着してみよう。
寄り道していこう。
「私一人」に愛を注ぐ時間。
(自分を愛する方法については自分を愛することに目覚めて幸福度がカンストし、うつが治った話。に詳しく書いています。)
当時、彼氏はいませんでしたが、
12月になると、クリスマスのイルミネーションで彩られた都心の駅を巡りました。
そして、都心を彩る大きなクリスマスツリーやイルミネーションを一人で見に行きました。
当時関西にいたのですが、クリスマスになると、大阪の梅田やなんば、京都駅などに大きく光り輝くクリスマスツリーが飾られます。
そんな巨大なクリスマスツリーや輝くイルミネーションをひとりで巡るのがマイブームになりました。
なぜかというと、ツリーが綺麗だから。
綺麗なイルミネーションを見て、心が満たされるから。
別に、イルミネーションは恋人と見ないといけない、という決まりなどありません。
私は単純に「光」を見るのが好きだったのです。
それを見ると「自分」が喜ぶのを感じたから、見に行ったまでです。
その頃まで、私の中には「もう一人の自分」がいて、私は「自己否定する自分」と「自己否定される自分」でバラバラに引き裂かれてしまっていました。
自分のことが嫌いだと、そうなってしまいます。
私の中のもう一人の自分は、それまでずっと「私」に否定されたり無視されたりしてきました。
だから心が病んでしまったのです。
イルミネーション巡りは、そんな傷ついた「内なる自分」の声を尊重する行動でした。
「私は光を見るのが好きだ」という本心に気付き、
それに素直に従って、
自分の心が躍るものを見に行く。
それは、自分を癒すための「儀式」のようなものだったのです。
自分の本心の声に耳を澄ませる
大きなツリーを眺めて、帰る途中にイートインできるドーナツ屋さんがありました。
過去の私なら、ふらっとカフェに寄ることは「お金の無駄」などと考えて素通りしていたでしょうが、
その時の私はそこで足を止めました。
「自分の本心」が『このドーナツ屋さんに寄りたい』と囁くのが聞こえたからです。
私は、本心に従ってそのドーナツ屋さんで休憩することにしました。
熱いカフェオレとともに ドーナツを頬張っていると、なんだか今まで感じたことのないような喜びを感じました。
何だか、「自分」という存在がとても大切にされているような。
何だかデートしてるような気分だな、と思ったのはその時です。
「私」が「彼女(=自分)」をクリスマスイルミネーションに連れて行く。
私が喜ぶ。
それを見て、私も幸せになる。
私が「疲れたからあの店でドーナツ食べたい」とねだる。
私はヒーターの近くの席を確保し、私に好きなドーナツを選ばせてあげる。
自分を大切にし、自分に大切にされる、というのは、とても幸せな体験でした。
いつか誰かが私を幸せにしてくれる、というのは他人への依存
きっと私は、自己否定を繰り返しすぎて、
精神年齢が12~14歳ぐらいで止まっていたのです。
過去の私は、少女が夢見るような「お姫様願望」を抱いていました。
”いつか運命の人に出会える。”
”私を丸ごと愛してくれるような誰かが現れる。”
そうやって、誰かに「幸せにしてもらう」ことだけを夢見て、「自分で自分を幸せにする」ことなど頭に無かったのです。
そのまま成長を止めてしまっていては、一生「自分一人では幸せになれない、依存体質の人間」になっていたでしょう。
もしも今後幸福な恋愛をしたければ、依存体質を治すことが第一に必要です。
その詳しい理由は、幸せな恋愛ができる唯一の条件は、一人でも幸せでいられるようになること に書いています。
私は、誰かに愛されることを渇望していました。
うつになってからは、「自分は一生誰にも愛されない」と絶望していました。
そんな私が救われるには、自分で自分を愛することが必要だったのです。
「自分」を愛すると、「愛されたい」という願望は心の奥深くから満たされていきました。
そして、自己否定され続けてきた私は、否定し続けてきた私自身と一体化していき、
ようやく私は「私」というひとつの心と存在に統合されたのです。
人生とは辛いことに耐えること、というのは思い込み
それまでの私は、人間にとって生きることとは「悲しみや辛さを抱えながら過ごすこと」だと思っていました。
しかし、私が自分自身を尊重できるようになると、
それまで抱えていた「悲しみ」や「辛さ」が消え去ったのです。
悲しみや苦しみのない精神世界。
私は、そんな生き方があることを初めて知りました。
そんな夢見るような世界があろうとは、にわかには信じられないことでした。
私が「一人」に統合されてから、私の第二の人生は始まりました。
他人が何をしようと、誰に何を言われようと、
確固たる「自分が自分に与える愛」があれば無敵だと思えるのです。
今はうつ病が治って4~5年経ちますが、私は今もずっと「悲しみや苦しみのない心の状態」を保っています。
二度と心を病むことのないように。
自分に欲しいものを買ってあげて、行きたい場所に連れて行ってあげて、好きなことをして、ご機嫌を取る。
誰にも依存せずに、自分で自分の幸せを維持できる、というのは楽なものです。
今年もクリスマスが来たら、たった一人で、光を眺めに行くとしますか。
自分への愛に気付いた瞬間の衝撃について→自分を愛することに目覚めて幸福度がカンストし、うつが治った話。