散歩中に植物や花や猫を眺めるのが、うつ病の療養に良いようです

私は、うつの療養をしている間、元気がある日はよく散歩にでかけました。

 

長く歩くと疲れるので、

ほんのちょっぴりから始めるのがおすすめです。

 

「うつ」の療養中は、体力も気力もあまりありません。

 

まずはゆっくりと休養して薬を飲むなどして、

少し気力が出てきたら少しずつ身体を動かしていくことは良いことです。

散歩と言っても、その辺の近所をぐるっと回って帰って来るぐらいで良いのです。

 

散歩中に近所の植木や花を見て回るのが好き

私は歩くのが好きです。

「ちょっとそこまで」という折には、

自転車よりも徒歩で行きます。

 

歩くこと自体が好きというよりは、

歩いているときに”美しいもの”を探すことが好きなのです。

 

例えば、どこの玄関先にもある「植木」。

よそのおうちの玄関の植木を見るのが好きで、近所を歩いているとつい見てしまいます。

 

植木を育てる人って、心の余裕がある人だと思います。

(私は多分枯らしてしまうから……。)

 

植木は、大体その家のお母さんがお世話をしています。

それも、子育て真っ盛りというよりは、子供が大きくなって少しずつ親の手を離れていく頃のお母さん。

今まで全身全霊で我が子に向けていた溢れんばかりの「愛」のエネルギーを、さあ今度はどこに向けようか?

という時期に、それが「植物」たちに向けられているように思うのです。

そういった「お母さん」たちの慈しみを存分に受けて、玄関前の植木たちは生き生きと茂っています。

 

どのお宅の玄関前も、季節の草花が咲き乱れ、そのまま絵葉書にして飾っておきたいほど美しい。

できれば10~20分立ちすくんで各お宅の前で眺めていたいのですが、そんなことをすると不審者がられてしまうので残念です。

 

朝、出勤の時に駅まで歩いていると、家々の「お母さん」たちが植木に水をやっています。

まだ日が昇り切っていない凍えるような気温の中でも、お手入れをしているのです。

それを見る度に、私の胸にこみあげるものがあります。

生き物が育つ姿を愛する行動に、母性の尊さのようなものを垣間見る気がするのです。(大げさ?)

 

 

植木以外にも、私は季節の花を見るのが好きで、

どこぞの公園で何が咲いた、と聞けば出かけていきます。

 

でもよく見ると、その辺の街路樹にも季節の花が咲いていることが多いです。

この前は、小さな公園のハナミズキの下でぼーっと立ちすくんでしまいました。

住宅地を歩けば、遠出せずとも美しい花々を見ることができるのです。

 

各家庭で手塩にかけられた、秋の西日に最も映える赤を知り尽くした、乙女も恥じらう花の色。

梅雨の晴れ間をとろりと垂らしたような、小さな花びらの集団。

 

そういう季節の輝きを目にするたび、私は世界のあまりの美しさに圧倒されます。

 

目次

緑の植物がメンタルに与える不思議な効果

植木や花も良いですが、

一番心洗われるのは、一面に緑が生い茂る広い公園や山の中に入って行くことです。

 

「植物の緑」を見ると精神状態が良くなる。

これは不思議なことです。

植物に囲まれていると感性が研ぎ澄まされ、良い考えも浮かびます。

 

だから、今でも会社の昼休みに、近くの公園で歩き回って思考をめぐらすことがあります。

OLのストレスフリーな昼休み=公園でお弁当を食べる

 

 

なぜ、ただの緑の葉っぱの集合体が、こんなにも心を癒してくれるのか。

 

緑色は目に良いと言います。

しかし、果たして私はという「色」に癒されているのか、

それとも「植物」自体に癒されているのか?

 

 

たとえば、もしこの世の摂理が「植物の色は」というスタンダードだったとしたら?

もしこの世の草や葉が全て「赤色」でできた世界だったとしたら?

 

その場合は、人は赤い植物に癒されていたのだろうか?

 

 

例えば、赤い花が咲き乱れる光景も、それはそれでとても美しく、心洗われる風景ではあると思うのです。

…でも、その美しさも「緑の茎や葉」という背景があってこそのものなのではないだろうか。

 

いくら赤い花が美しくても、

心を癒すという面では一面の緑にはかなわないのではないだろうか。

 

 

そもそもどうして人は癒されるために「植物」を見なければならないのだろう。

自然の中で暮らしていた遠い祖先の遺伝子が受け継がれているから?

自然の中にいると空気が綺麗で健康にいいから?

 

わざわざ植物を見なくても、「人」を見れば癒されるようにできていたら、疲れることなんてないのに。

なんて思ったりもします。

 

 

 

実は、私はあまり緑色が好きではありません。

緑色のものを身に着けていると、むしろテンション下がるくらいです。

緑色よりも、赤や黄や桃色などの暖色に包まれていたほうが、私はよっぽど幸せな気持ちになります。

 

でも、植物の緑だけは別格なのです。

植物だけは、赤や黄色であってはいけない。

緑でないといけないのです。

 

 

だとすると、植物の癒やしパワーは、”色”自体の持つ力とはまた別だということになります。

 

 

緑の植物は、ひらめきも与えてくれます。

思考が行き詰ったときに公園の間を歩いていると、

「考える必要があること」と「考えても仕方のないこと」の線引きが、不思議と明確に見えてくるのです。

 

植物は大切なことをすべて知ってるのかもしれないですね。

 

 

うつが治って、忙しい現代人に舞い戻ったとしても、植物パワーを忘れないでほしい。

散歩する時間なんてもったいないと言わずに。

 

道路わきの街路樹や、側溝のコケでもいい、

身近な緑に目をやって

「おう、そういや、お前も生きてるんだな」と気付いてほしい。

 

もしかしたら新しいアイデアの天啓を得られるかもしれないし、

何より癒されるから。

 

 

散歩中に見る猫、猫、猫

そしてもう一つ、近所でよく見かける癒し。

それは、路地に佇む「猫」。

 

猫がいることでよりその風景が「完成」されることがあります。

 

私は猫を飼いたいとは思わないし、あえて触りたいともあまり思いません。

 

でも、近所で猫を見ると、何となく得した気分になります。

 

彼らが塀の上をくるりと横切って行った瞬間、私の脳内は「猫、猫、猫…」という単語でいっぱいになります。

ほんとに、妙な生き物です。

 

ちょっと散歩すると癒しはそこらじゅうにある

そんなわけで、私にとって近所を散歩することは癒しです。

 

少し体を動かせそうなときは、身支度もそこそこに

外を歩いてみると良いかもしれません。

 

今まで知らなかった「自分が何に心惹かれるのか」に気付くきっかけになるかもしれません。

 

近所の「好きなもの」「お気に入り」を見つけていって、

それを自分の五感にたくさん与えてあげて、

ご機嫌を取っていきましょう。

 

 

そういう小さな行動が、幸せにつながっていくものだから。

 

このブログの運営者

生きづらさの解消方法・幸せに生きる考え方・うつ病の治し方をお伝えしています。
過去にうつ病になり、考え方を変えることで完治させた経験あり。

典型的なINFP人間。
モットーは「自分の幸せを第一に生きる」。
現在会社員をやりながらADHDの夫と暮らしています。

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