うつ病で苦しいとき。
または、心を病んで、二度と苦しみを味わいたくないと思ったとき。
私がうつ病を通して気付いたこと、幸せに生きるために大切にしようと思ったこと、
それをノートに書き留めていました。
今回は、心の苦しみをやわらげ、心穏やかに過ごすためのメッセージをお送りします。
未来は分からない。だから生きていける。
「未来は分からない。だから生きていける。」
これは、私のうつ病の絶望感を救った考え方です。
明日何が起きるかは、誰にも分からない。
未来は絶望的かもしれない。
だけど、もしかしたら、
予想もしていないことが起きるかもしれない。
だから、生きていようと思ったのです。
そして、実際にうつ病の頃からは考えられないくらい
幸せな日常を手に入れたので、生きていて良かったと思います。
同じ苦しみを持つ優しい人がいる。
彼らを愛する人たちがいる。
愛すべき人たちがいる。
うつ病の頃、同じうつ病の人たちのブログなどを見ていて思ったことは、
うつ病の人たちは優しい、ということです。
同じ病に苦しみ人たちの言葉に、私は何度も何度も泣きました。
誰一人として、この苦しみを否定する人はいなかった。
愛されてしかるべき人たちだと思いました。
怖くても痛くても、今日一日 息をして生き抜いた。
それは奇跡のような、素晴らしいことですよ。
自分を励ますために書いた言葉です。
こんなにも死にたくて息苦しくて苦しいのに、そんな苦痛に耐えて1日生きていられたなんて、
実は凄まじいことなんじゃないかと思って。
でも誰も「すごいね」なんて言ってくれないから、
自分で自分に合格点をあげようと思ったのです。
今日も生きることをやめなかったなんて、
うつ病で生きている人は、それだけで驚異的な勇気の持ち主ですよ。
少し 休もう。
頑張った。
…いや、頑張れなかった。
もうだめだと心が言っている。
そういうときに休むのは、むしろ偉いことだと思います。
精神を壊してまで大切にすべきものなどない。
私がこの先生きていったとして、
仕事、家計、家族、
それらを守ることと、自分の心を守ることを選ぶことになったら、
私は自分の心を守ることを選べるだろうか。
選びたいと思う。
私は、自分を愛して生きると決めた瞬間から、自分の幸せのために生きようと決めた。
心が壊れたら、守るべきものも守れなくなる。
何もかも やめればいい。
そしたら 存在だけが残る。
ただ存在しているという それだけ
それだけの自分を、許してあげてほしい。
私の中の私は、それをずっと許してほしかったらしい。
頑張ってなきゃ生きてる価値が無い、
努力していない自分に存在意義はない。
そうやって1秒の隙も無く自分を責め続けてきた。
だからうつ病になった。
今では、自分という存在を自分が一番認めてあげるようにしている。
あえて何もしない時間を大切にしている。
だから、うつ病は再発していない。
どうせ朝が来るなら 夢を見よう。
夜は、ろくでもない。
ろくでもないから、夢を見た。
想像力だけがとりえで、私を傷つけない、優しい世界を創って過ごした。
都合の良い甘い夢だったかもしれない。
だけど、苦しみが少しでも紛れるならそれがいい。
現実に苛まれて命を捨てるよりはよっぽどいい。
そうやって生きていれば、うつ病は治す方法があるし、
絶望を解消できる日もやって来る。
あなた自身を慈しむこと。
誰にも大切にされてこなかったのは
私が大切にしてこなかったからだ。
誰にも愛されないと思ってきたのは、私が愛してこなかったからだ。
だから、自分を甘やかして、好きなことをさせて、うんと楽しませて、温かい母性で包んであげることにした。
そうしたら、自分以外の人からも大切に扱われていると感じることが増えた。
他人の愛し方を、愛され方を知るには、自分を愛する必要があったのだ。
死にたい。
その願いはいつか必ず叶えられる。
死にたい
死にたい。
うつ病で、その言葉だけが頭の中を回っていた時期があった。
人生のなかで一番苦しくて、悲しい時期だった。
――でも、人は必ずいつか死ぬんだっけ。
そう気づいて、少し楽になりました。
そっか、放っておいても必ず死ねるなら、あえて急ぐ必要もないな。
死ぬために行動するのもだるいし。
そんな感じで、自殺を免れてきました。
あの時死ななくて本当に良かった。
誰かを傷つけたり、誰かに迷惑をかけたりすることが罪なら、この世のすべての人間は罪人だ。
でも、誰も死刑になんかならない。
うつ病になってからは、生きていることに罪悪感を抱いていた。
こんな私でごめんなさい。死にます。
心の中で家族にそう言い続けてきた。
でも、最近気付く。
人って案外、生きていていいのかもしれない。
他人が生きていることに対して、意外とみんなは寛容だ。
どれだけ「何もできない」状態でいたって、
「それだったら死ぬべき」なんて言う人は少ない。
ましてや、病気なんだもの。
病人は死ぬべきだなんて、誰も言わないでしょ。
自分自身を愛してあげられる限り、絶望には陥らない。
一生幸せでいたいから、
一生愛すると誓う相手は
恋人ではなく自分自身にした。
自分自身の幸福の為に生きることが、あなたに優しさを実行させる。
「自分の幸せを第一にして生きる」ことに抵抗感を抱いていた。
私はそんなわがままな人間になりたくないと。
でも、考えてみれば、自分の幸せを第一に生きたって嫌な人間になるとは限らない。
むしろ善いことをしやすくなった気がする。
善い行いをすることが、自分の幸せに繋がっているんだなあ、と。
私の性格も、悪い所ばかりじゃないなあと、思えました。
だからこれからも、自分の幸せを大切にして生きます。
これまで生きてきた中で
あなたが手に入れたものだけでなく、
手に入れたくてもできなかったこと
手に入れたいとも思わなかったこと
そうしたあらゆるものに対する誇りが
あなたに前を向いて歩かせる。
この頭は箱で、
何を入れるか
何を入れないか
その選択で私はできていく。
行動してきたこと。
やらないと決めたこと。
それらの選択に責任を持つことにした。
「やらない」ことを選んだなら、それをやって利益を得ている人をひがまない。
すると、他人と自分を比べ(て嫉妬す)ることが減って、「不幸」な気分に陥ることが減った。
完全な世界がここにある。
恥ずかしながら、
「この世界は完全だ」と感じさせてくれる人といつか出会えると夢見ていました。
夢見る少女のような痛々しい妄想です。
でも、この世が完全だと感じさせてくれたのは、結局、自分自身のほかありませんでした。
理想などどこにも存在しない。
私はいまのままで完全なのだ。
そのことに気付いた後の方が、人生はうまくいくようになりました。