私がしたいのは本音の付き合いだけだから

私は口数が非常に少ない性格だが、
最近はあえてそれを隠さないようにしている。
「話さなきゃ」
「笑わなきゃ」
「笑わせなきゃ」なんて全然思わない。
だからすごく楽である。
私が一番苦手なのは、
「上辺だけの付き合い」と、
「目が笑っていない笑顔」だ。
だから、その逆の
「本心からの付き合い」
「心から笑い、笑えないときは笑わない」
を心がけている。
すると、
「本当に話したい人」に対して
「本当に聞きたいこと」を聞くようになる。
そうやって自分の大切なものをスッキリとさせると、すごく人生の満足度は上がる。
「自分にできないこと」を受け入れることで、自分を大きく見せたいと思わなくなった。
人に好かれようと力むこともなくなった。
私にとって快適なコミュニケーションとは、
会話を弾ませようもするよりも、
「沈黙」を苦に感じない空気作りだと気づいた。
自分を偽るコミュ力、偽らないコミュ力
余談だが、
合コンの「さしすせそ」なんかは、私が心がけているコミュニケーションの対極にある。
「すごーい!さすがー!」と、
思ってもないことを言い、話したくない人とも話し、
自分を好いてもらおうと気合を入れる。
モテるということは、そういう日頃のサービス業の対価なのだなぁと思う。
でも私は、それをコミュ力があるとは呼ばない。
私は、相手に自分を偽ってほしくないので、自分も偽らない。
手っ取り早く信頼を得るには、それが良いと感思っている。
本当のコミュ力とは、
「自分が本当に伝えたいことを伝える力」
「相手が本当に伝えたいことを汲み取る力」
だと思っている。
うわべの付き合いは得意でも、
相手が本心を傾けてきたときに逃げる人。
自分の本心を言えない臆病な人。
そのせいで、深い人間関係が築けない人。
そういう人には、私はコミュ力があるとはあまり思えない。
私は自分の低いテンションが心地よい。
だから初対面の人や目上の人相手でも、テンションを無理には上げない。
あえて「素」でいることで、「私はこういう人間ですよ」と存在自体で示す。
キャピキャピした人間になれなくていい。
私は私に憩えるから。
薄っぺらい言葉を発したくない。
なぜなら、私自身が薄っぺらい言葉をかけられたくないから。
私は自分が寡黙だとは思っているが、コミュ障だとも人見知りだとも思っていない。
大切な人と、大事な会話をして、話し合える。
自分の望むものについて、相手に主張ができる。
相手の望むものを、受け止めたいと思っている。
私は今のところ、幸せに生きるうえで、自分のコミュ力に不足は感じていない。
どう思われようが、これが自分の持ち味

自分のことをコミュ障だと思っていた頃は、誰と話していても苦痛だった。
でも、「この空気が私の”持ち味”だ」と気づいてからは、誰といても割とリラックスできるようになった。
学生の頃は「相手にどう見られるか」に異常に過敏になっていて、苦しかったなあ。
今では、
「どう思われようが私はこういう人間だ」という自尊心があるから、心強い。
そもそも、小手先で見につく「コミュニケーション力」と呼ばれるものに私は価値を感じない。
本当のコミュニケーション力は、「人格形成」に伴って勝手についてくるものだと私は思っている。
合コンのさしすせその「問答集」を暗記したところで、人格はふとした発言や言い方ににじみ出るから。
他人を受け入れる器の大きさ、
偏見、
人生観、
自制心、
生活態度・・・
それらは、本人が思ってる以上に駄々漏れである。
百の雑談よりも、ふとしたときに漏らす一言が深く人に刺さるのだ。
そういう「その人にしか言えなかった一言」に、付け焼き刃の「さしすせそ」は全く敵わない。
私は私になるのだ。
「あの人みたいに」
「あの子みたいに」
などとは、もう望まない。
私は私になりたいだけである。
昨日より今日、もっと私になるために、
私は私の思ったことを
飾らぬ言葉で
素直な表現で
今日もあなたに伝えるだけなのだ。
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