自殺に対する価値観は個人の自由。
「こんなに苦しいのに、まだ生きていなければならないのだろうか?」
「誰かに“もう生きるのやめていいよ”と言ってほしい。」
うつが悪化した頃、私はよくそう思っていました。
人は自殺を選んではいけないのだろうか。
色々考えた結果、私はこう結論づけました。
自殺してもいいか、してはいけないか、という価値観は「個人の自由」。
人間は自分の意思で生まれてくることはできませんが、一度生まれてしまえば自由に思考できます。
何を妄想しようが、何の宗教を信じようが、人の心の中は自由。
死のうと思うのも自由。
人の内面を強制することは誰にもできません。
では私は自殺をどう思っているかというと、
分かりません。
元気で幸せに生きている今は、「人生何があるかわからないから、自殺しない方がいいよ」と言えるような気もしますが、
今後いつまた「うつ」になるかも分かりません。
ならない努力はしていますが、年齢を考えると「マリッジブルー」だの「マタニティブルー」だの「産後うつ」だの、女性ならでは(?)のメンタル面での危険がいっぱい待ち受けています。
だから、またいつ「こんなに苦しいなら死んでもいいよね…」という気分に舞い戻るか分かりません。
そして、死にたいときに「自殺は良くないよ。」と言われることがどんなに苦痛かも知っています。
死にたいほど苦しんでいる人にとって、「死なずに生きろ」というのは、「この先もずっと苦しみ続けろ」という意味になるからです。
だから、深く考えもせず「自殺は良くない!」と提唱するのには抵抗があります。
少なくとも、当時の自分はそんな言葉は全く求めていませんでした。
ただ一つ思うのは、自殺とは「嫌なこと」だということ。
罪でもない、悪でもない、ただ「嫌なこと」。
本人も、自殺まで追い込まれるのは「嫌な気分」。
周囲の人々も、近くの人が自殺すれば悲しい=嫌な気分。
自殺者が多い社会は、嫌な社会。
見も知らぬ人が自ら望んで命を絶ったのに悲しい気持ちになるのは、人間には人類愛が備わっているからなのでしょうか。
それとも、人を自殺に追い込むような社会に生きていることが悲しくなっているのでしょうか。
不思議です。
自殺は罪悪、生は善?
自殺と聞くと、日本では「悪いこと」「あってはならないもの」という風潮があります。
なぜでしょう?
人それぞれ理由はつけると思いますが、根本的な理由は一つ。
それは、「死にたい」ほど苦しんでいる人の精神状態について、社会の理解が浅いから。
私も、うつになるまでは「自殺なんて“逃げ”だ」と否定的に捉えていました。
「死ぬ以外選択肢がない」ような精神状態は、普通の人には想像できません。
だから「自殺は良くない」なんていう浅い価値観がまかり通るのです。
うつを経験した私は、今や「自殺は良くない」なんて言い切れない。
だって、あの深い絶望状態の中で生きるなんて地獄だから。
大体、「自殺は良くない」ということは、「生きることは善」ということです。
なぜ生きることは善いことなのか?
これも色んな理由をつける人がいると思いますが、
私は、生きることは別に良いこととも悪いこととも思いません。
生き物は皆、「種の保存のため」に生まれてきたに過ぎず、「生きることを強いられている」だけ。
「生」というのは、最大の強制力です。
生き物は、自分の意志に関係なく勝手に生み出されて、生きることを勝手に強いられます。
「生きること」をやめるには、病気とか事故とか傷害とか、何かしらの働きかけがないといけません。
つまり、何も起こらなければ、人は呼吸をし続けてしまうし、心臓も勝手に、強制的に脈打ち続けてしまう。
生きることに意義なんてないのです。
何の意義も希望も見いだせなくても、私たちは生きることを強いられる。
うつになっても身体は妙に丈夫、というのもよくある話。
(強いて言えば、生き物が生きる意味とは「種の保存」ですが、これは意識に上るものではないため除外します。)
つまり、「生きていること」とは、良い悪いではなく「しょうがないこと」なのです。
しょうがないことなら、どうせなら幸せに生きたほうが得じゃないか。
幸せに生きるには、好きなことをしたり、人の役に立ったり、希望を持ったり意味を探したり…
「生きる意味」を語ってる人は、そういうことを言っているんだと思います。
意味をつけたほうが幸せだから。
生きてることは「不可抗力」だなんて虚しいから、皆「生きることには意味がある。意味があるということは価値があること、つまり良いこと」だと思いたいのです。
そうやって生きる気力を保っているんです。
自殺には善も悪もないが、自殺に至る原因は
問題なのは「死ぬしか選択肢がない」と思ってしまうこと
とはいえ、自殺者が増加する社会は良いとは言えません。
でも、論点をずらしてはいけません。
人々が「自殺を選択することが問題」なのではないのです。
人々に「自殺するしかない」と思わせるような原因があることが問題なのです。
自殺したい原因とは、「他に選択肢がないと思ってしまうこと」です。
「死にたい」とは、
「自分はもう生きていけない」という絶望です。
「死ぬしか選択肢がない」と思うことです。
私は、「全員」がやっていた就活を(あえて)しなかったことで、「自分はレールから外れ、生きる道がなくなった」と思ったのがひとつの原因でうつになりました。
この「レールから外れたら人生終わり」感、ありませんか。
不登校になったら人生終わる。
留年したら終わる。
内定出なければ終わる。
失業したら終わる。
うつになったら終わる。
「そんなこと無いよ」という声はまだまだ少なく、弱く聞こえます。
私や私の周りにいる人は、上記の「終わる」とされてることを経験しても平気で、むしろ普通以上に幸せに生きていたりしますが、
「皆がそうできるわけじゃない」と言われたら言い返せません。
脇道に逸れた生き方をしている人にある種の能力や「面白さ」を期待してみたり、
「多少病むことなんて今時誰にでもあるさ!気にせずゆっくり休んでからまた戻っておいで〜へ〜い」
みたいな社会の空気があったら、皆安心して道を外れられるし、
たとえ病んでも、安心して「うつ」になって、回復して生まれ変わって社会復帰できるんじゃないでしょうか。
つまり、自殺を防ぐには
「死ぬ以外にも道はあるよ!」と提示することです。
これだけ。
死にたい人は追い詰められています。
「こうゆう道もあるんやで」というのが見えにくい社会です。
家庭という閉鎖空間で。
学級という檻の中で。
会社という箱の中で。
自分という沼の底で。
多くの選択肢。
多くの生きる道。
それを彼らに示すにはどうしたらいいのでしょう。
死にたいのはまぁかまへんけど、別に死なんでも幸せになる方法はあるで。
私が今言えるのはそれくらいです。
幸せというのは内面から作っていけますから。
人生終わったりしません。
人生が終わるのは死んだときだけです。
今までの自分は死んだと思って、全く別の生き方を始めてみませんか。
例えば、「自分の幸せが第一」をモットーに生きるとか。
絶望を乗り越えて歓喜に至れ。
人生は、自分を変えればひっくり返ります。
―――
死にたくて苦しい時の対処法→死にたい時はどうすればいい?うつの希死念慮・自殺願望に対処する