「常識」的思考を捨てたら幸せになった。その具体例を挙げたいと思います

目次

誰の常識も、自分が自分になるためには必要ない

現実でもネット上でも、人の数だけ人の意見がある。

「常識ってのは間違ってて、俺が今から言うことが正しいんですよ!これがわからない人は馬鹿!」

という論調のものもある。


その話を真に受けてはいけない。

それを正解だと思うかどうかは自分で選択しなければならない。



他人の意見を取り入れることは、自分と遠ざかってしまうことだ。



「そういう人もいるのね」と、同調せずに自分の頭で考える。

自分は自分。他人は他人。違う人間は永遠にわかり会えないし、分かりあえなくてもいい。

お互いの自由を尊重する。



それが幸せに生きる第一歩だ。

ほとんどの「常識」は、うつ病しか生まない

かく言う私も、うつ病になる前は、他人の意見にぐらつきまくりだった。



だからうつ病を期に自分を立て直した。

自分の中にいた「他人目線」をことごとく排除したのである。

そしたらどんどん幸せになっていった。


常識なんか、うつ病しか生まないと思っている。

自分は自分という特殊事例。

AさんはAさんという特殊事例だし、BさんはBさんという特殊事例。


よく見ると、「普通」のレールに沿ったまま生きてる人なんてほとんどいない。

皆、特殊事例の集まりなのだ。




だから、どこの誰とも知れない他人に正解を教えてもらわなくて結構。自分の脳みそがあれば十分だ。

そんな私の脳みそがぶっ壊してきた「世間の常識・一般的な見解」の一部を紹介する。

書いてみたらどんどん出てきてキリがないので、代表的なものだけ20個ほど。

1.大学留年したら人生終わり?

むしろ人生始まった。

私はうつ病で2年留年した。


その期間はひたすら「自分の幸せを第一」に生活するよう心がけた。

その期間があったおかげで、今でも幸福度が毎日上がっていっている。

この留年期間は、就活も一切せず、自分のやりたいことに考えを巡らし、実行する時間だった。

真に重要なのは「留年したか、しないか」ではない、その時間に何をしたかだ。


症状がひどいときは、本当に死にたくて辛いときは動画サイトばかり見ていた。

それを無駄な時間だと言う人がいてもいい。

でも私には、どんなに死にたくても「生」を選び続けたという、今の自分にも勇気を与え続けてくれるかけがえのない時間だった。

幸い、不思議なことに今の会社に拾われて安定した幸せを保っている。

でもまあ、たとえ就職しなくても今頃幸せだっただろう。

どこかで農業をやっていたかもしれないし、絵を描いていたかもしれない。




少なくとも、やりたくもないのに心を擦り減らして就活するよりは留年してよかったと思う。

2.就活しなかったら人生終わり?

私は大学時代、一切全然就活しなかった。

しなくてよかったと思う。


大学生の頃から、「私は就活しない」と豪語していた。

就活するのが、自分にとってはとても不自然なことだったから


それまでの人生は、勉強や部活に進学、やりたいことだけやってきた。

やりたいことと、一般的な人生のレールが合致していたから、生きてこられた。

でも就活の時期になって、初めて「やりたいこと」と「普通の人生のレール」がズレたのだ。

おかげで悩みに悩んでうつ病になったけど、

結果的に「就活なんかしなくて全然良かったな」と思っている。

なぜなら、今ものすごい幸せな生活を手にしているから。

「やりたくないことをやらなくても幸せになれる」ことを証明できたのだ。




ちなみに会社員になった理由は単純で、生活するお金が必要だったことと、「会社員」というのを一度だけ経験してみたかったからだ。

「会社って何する所なんだろう」という好奇心。



それで、既卒向けエージェント経由で面接し、一社目で採用された。

ちなみに「アウトロー就活」というのにも参加した。
(私のような就活したくない人間が集まる就活イベント。「就活アウトロー採用」というサイトに詳しく掲載されている模様。就活することに不自然さや違和感を抱いている人は、同士の友達ができるので行ってみるのを大いにおすすめする。)

あと、就職せず大学卒業した私のような人は、就職したいなら既卒向けエージェントがおすすめ。

就活のことなんて全く分からなくても、めっちゃ効率よく就職できる。

(気になったら 既卒 就職 で検索!)

3.うつ病になったら人生終わり?

うつ病になって、むしろ人生始まった。

私は、「うつ病になってよかったと思ってる人ランキング」があれば1位になれる自信がある。

人が変わるときというのは「このままだとマジでヤバい」状況になったときだ。

うつ病は、幸せに生まれ変わるのに絶好のチャンスなのである。

ただし、「死ぬか、変わるか」を迫られたときに、「変わる」ことを選ぶことができたらの話である。

「死ぬ」を選んでしまうこともあるので、あまりにリスクが高いチャンスではある。

でも、うつ病は(死にさえしなければ)治る。

思考から治していけば、丸っきり生まれ変わったように幸せに生きていくこともできる。



うつ病にならなければ、そこそこの(もしくはかなりの)ストレスを抱きつつ生きて、まあ人生こんなもんだよね、そう簡単に幸せなんて手に入らないよね・・・という人生を歩んでいたと思う。


確かにうつ病の頃は最悪だった。

「自分は無能で不細工で無価値、生きてる方が迷惑、せめて死んで皆にこれ以上不愉快な思いをさせないようにしたい」としか思ってなかった。



それが後に「ハッピーハッピー!!今日の幸福度は200万点!」みたいな生活になるなんて、全く予想してなかった。



だから、今うつ病の人にはどうか「人生終わり」と思わずに生きていて頂きたい。

とりあえず、療養中は「生きている(息している)」だけでいいから。

絶対治るから。ね。

4.真面目に一生懸命努力するのが善いこと?

今思えば、学校教育というのは「うつ病になりやすい思考を養成する場」に思えてならない。

真面目に素直に努力をする人がうつ病になりやすい人に育つ。

遊び呆けていても平気な不真面目な人は、うつ病にはなりにくい。

でも、前者のような人だけが掴める幸せもある。

後者の人だけが味わう苦しみもある。

良い・悪い なんてものはない。


ただ「良い」とされる方向が一方向しかないのは、生き苦しさを生む原因になる。

不真面目でいることにも良いところがある。(うつになりにくい、など)

手を抜くことにも良いことがある。(うつになりにくい、など)

グレーゾーンをのらりくらりと漂う生き方にも良い面がある。(うつになりにくい、など)




私はどちらも否定しない。

真面目だったから、希望する大学にも合格できたし、仕事でもある程度評価された。

うつ病の後は、「手抜き」や「不真面目さ」を覚えてお気楽で幸せな生活を手にした。

その両方を使い分けられたら最高なんじゃなかろうか。

5.不美人に生まれたら不幸?

自分で自分を丸ごと受け入れられていたら、周りから何と言われようが幸せでいられる。

周りに何を言われようと受け流せる。




ちなみに私は不美人だ。

面と向かってブスと言われたことはない。(勉強だけはできたので、そういういじり方ができるキャラじゃなかったのだと思われる)

でも、物心ついてから大学生ぐらいまで、「可愛い」と異性に言われたこともなかった。(女子には言われるけど、女子は本当に可愛い女子には「可愛い」と言わない、自分より格下しか「可愛い」と言わないらしいので、まあお察しですよね)

社会人になる前に化粧やら服やら髪型やらに気を遣い始めて、「可愛い」と言われるなどといった現象が増えた。(可愛いは作れる!!)


まあ要するに、素材は「下」、努力して「中の中」~「中の上」ぐらいにはいけるぐらいのものだと思う。
(夫だけは例外で、「きゃわいい~!!」と毎日のように言ってくる。おかげで自己肯定感が上がった)




今なら多分、「ブス」と言われたら、「やっぱそうですよね~」と笑って頷けるし、
「あ、最近ちょっと自分って綺麗かも、と調子乗り始めてたけど、目を覚ましてくれてありがとう!」と感謝すらするかもしれない。

逆に「可愛い」「綺麗」とか言われた場合は「ですよね~」とも思える。
美醜というのは主観だから、「綺麗だと思ってくれる人もそりゃいますよね~」という感じ。



何と言うか、自分で自分のあるがままを評価できていたら、容姿に関して何を言われても何も揺らがないのだ。


まあ今どき雰囲気美人も雰囲気イケメンも人工的に作れるんだから、

「雰囲気」だけ作って錯覚させといたらいいと思うよ。

一番不幸なのは「自分以外の顔になりたい」と思うこと。「誰誰みたいになりたい」とか。

だってなれないもん。自分は自分にしか。




自分の顔の凹凸を美しいと思い込む努力は必要はないけど、ただ受け入れる。

こういうもんだからと一旦諦めることが、実は幸せへの第一歩。

本当に心の底から自分の容姿を受け入れられると、苦しみはすうっと消えて、
「おっしゃ、じゃあその中で最大限引き上げてやろうじゃないの。自分だけのオリジナルの美を追求しようじゃないの」と奮起することができる。

幸せとは、そうやって自分自身に許し許されることから始まるものなのだ。


▼不美人が雰囲気美人になるために奮闘した話

パーソナルカラー・骨格タイプ・顔タイプを自己診断して研究したら人生変わった

好きな色の服を着ると幸福度が上がって人生も変わった話

6.芸術・創作方面しか能がない奴(INFP)はクズ?

はい、MBTI診断の「INFP」型という、俗にいう「クズ」と噂されがちな人種の代表です。

実用的・批判的な思考に欠ける人間だと自覚しています。

でもちゃんと会社ではやっていけてるし、自立してる。自分でも意外なことに。

(感覚的には、会社は趣味で行ってるだけで、プライベートでやってる作曲や執筆の方を本業だと思ってるけどね。)


大事なのは、こういう「性格分類」みたいなのを信じすぎないこと。

人間、0か100かじゃないんだから、誰だって色んな能力をちょっとずつ持っていてちょっとずつ欠けている。

「私は○○ができない」と思い過ぎないこと。
「皆は○○ができる」とも思い過ぎないこと。

(INFPが幸せに生きるコツはこちら → INFPは社会不適合者?病みやすい?INFPの社会適応術

むしろINFPの人は「私は創作においては天才。これは神から授かりし才能。AIにも取って代われない能力だ。お前たちが逆立ちしても敵うまい」ぐらいに思っていていいと思う。

7.結婚しない女は不幸?

私の幸福度をがらりと変えたのは、思考を変えてうつ病を完治させて生まれ変わったこと。

そのときに「自分自身と永遠の愛を誓い合った」ことだ。

正直それさえできれば、その後で何が起ころうが起きまいが、幸福度の違いは微々たるものである。


赤の他人と永遠の愛を誓い合ったとしても、幸せになれるとは限らない。

でも、自分自身と永遠の愛を誓い合えば、その瞬間から幸福度はカンスト状態になる

本当に不幸なのは、誰に愛されようが「自分自身を嫌っている人」である。




▼つらいぐらいなら結婚願望を解消した方が良いよという話

まだ結婚願望と婚活で苦しむの?「結婚したい」結婚教からの脱却

8.彼氏や旦那が無職だったり低収入だったりしたら負け組(負け犬)?

私が彼氏と付き合ったとき、彼は無職でした。

私も無職でした。


・・・あ、結婚した今も、彼は無職(バイト暮らし)です!
なんでその状態で超絶幸せなのかは、このブログの記事を呼んでみてね。


私は、大学時代の後半はうつ病を治すこと(自分を幸せにすること)だけに注力していた。

だから知っていた。

「無職であることと、その人の人間性の良し悪しは関係ない」と。



いや、むしろ無職を経験した人は面白くて魅力的な人がよくいる

人生を突き詰めて考えたことがある人が多いのだ。



そういう「底の深い」人(※闇が深い人ではない)が私は好きで、どうしても好奇心を刺激されてお近づきになって話を聞きたくなる。

彼のことも、その人間性を見て「ありだわ」と思って付き合った。


でも夢は見ていなかった。期待もしなかった。

だから一時は真剣に悩んだ。このまま一緒にいるのはありか・なしか。

(似た悩みを抱えている人へ:無職の彼氏との付き合い方・別れるか迷った時の12のアドバイス【経験者談】 )



お金がないと不安になる。不安は幸福感を減らしていく。

だから、不安は少ないほうが良い。当然だ。

ある程度の収入までは幸福度と比例するなら、やはりある程度お金があった方が幸せなのだろう。



でもそれって、夫に押し付けることか???




私にはそれが、今では心底疑問だ。




旦那の収入を過剰に気にするのは、「自分自身が稼げないことが不安だから」、それだけだ。

それだけ自分の稼ぐ力に不安があることの裏返し

その不安を伴侶にだけ押し付けるのは、責任転嫁だ。

 

私は、昇進して自分の収入に不安を感じなくなった頃に、彼の収入がどうでもよくなった。

(これに関してはここで熱弁してます:結婚を渋られるのは男に経済的に頼る気満々だからよ。女たちよ自立せよ



本当の負け犬とは、

「自分で金を調達できるようになろうと努力しようともせず、彼氏・旦那の文句ばかり言う人」だと思う。




・・・ていうか、負け組・負け犬って何?

「他人にあいつは負け組だな」と思われること?それとも

「自分のことを負け犬だと思い込んで不幸な気持ちのまま生きる」こと?




私の中の辞書に勝ち組とか負け組とか、そういう概念が無いので、イマイチよく分からない。


もしこの世に勝ち負けがあるとしたら、私に言わせれば、幸せを感じたもの勝ちだ。

そういう意味では、自分を幸せに保てる人は一生勝ち組だし、

他人に幸せを依存してしまう人は他人の言動次第で事あるごとに負け組になってしまうのかもしれない。

私は、彼の収入ではなく、「彼といて自分が幸せかどうか」だけを付き合いを続けるかどうかの判断基準にしている。

どんな高スペックでも、私の幸せを阻害するような男は要らない。

9.会社員はみんな不幸?

会社?

超絶楽しいです。すいません。

仕事が楽しいことの他に、

安定した収入による生活水準と心の安定、

自己効力感の養成、

余計な人間関係の排除、

適度に人と接するので寂しさ軽減、

生活リズムが整うこと、

一人じゃできないこと(能力の凹凸)を皆で補い合える有り難さ。

おいしいことずくめです。まだまだ会社員の立場は手放せません。

(逆に楽しすぎて危機感抱くぐらい:仕事が楽しいってやばいんじゃないかと危機感を抱く新境地



でも、搾取されないように、うまいこと自分の幸せを維持できるように努めている。

要するに会社でも「自分の幸せ第一」に行動している。

「それが許されない会社なら辞める」という気持ちでいますが、今のところ大丈夫です。

10.賞賛を浴びている人ほど凄い・偉い・幸せ?

承認欲求に頼るといつまでも満たされない。



まず「すごい」とか「偉い」とかって、完全に主観であり個人の感想だから、これを議論すること自体が馬鹿らしいのだけれど。




私には、承認欲求は、まあ多分あります。

だから、私が一番「すごい」と思うのは、「何者でもないし誰にも評価されていないのに、心の底から満足して、幸せに生きている人」。

こういう人には、かなわない。



例えば、社会に出ず家庭を守ってきて、SNSもない時代に「奥」さんをやり続けてきた、その辺にいるおばあちゃんとか。


私はまだ未熟者でつい「何者かになりたい」「何かを成し遂げてもっと自尊心を高めたい」「社会で認められたい」と思ってしまっている節がある。



承認欲求が無いというのは、自分で自分を完全に承認できているということだ。





賞賛されている人に対しては、私は特に何も思わない。

めっちゃ頑張った人なんだなとか、やりたいことや得意なことを追及できる環境があったんだなとか、器用なのだなとか、相手によって色々感想を抱くけれど、

周りから賞賛されているというだけで「すごい」とは思わない。

幸せそうとも思わないし、羨ましいとも思わない。




私が心底羨ましいのは、

「凄いね」と言われても何も喜ばないし、
「大したことない奴だ」と言われても何も傷つかない人。


自分に心底満たされている人。そんな人間になりたい。

11.モテる奴は幸せで、モテないと不幸?

モテる人は、自然界というか人類全体から見たら「子孫を残しやすそうな個体」だから都合がいい。
種の繁栄に寄与してくれる存在だからね。

だから、「種の保存をしなければならない」という自然界の摂理として、「モテるとなんか快感」「モテないと憂鬱になる」という現象がある。

だから、憂鬱になりたくないから、人はモテようと頑張る。

だって、人間の全員が「モテなくて最高!!幸せーーー!!」だったら、誰も異性とかかわって子供産もうとしなくなるじゃん。

それって「人類」という全体から見ると困るじゃん。




と考えると、「モテるとなんか気持ちい~!」のは自然の摂理なんですよね。遺伝子に踊らされているというか。

そうじゃないと人間滅ぶから。




じゃあ、モテないことは不幸か?

幸福度は、必ず モテる人間>モテない人間 なのか?


否。

モテていても、自分自身に愛されていない人間は、どこか不幸だ。

モテなくても、自分自身と深く愛し合えている人間は、心底幸せだ。



「モテ」というそれ単体は、多少の「快感」をもたらすかもしれないが、「幸福」は決して与えてくれない



これは私の実感である。



とある外国に行って、会う男性会う男性に告白されるという、謎のモテ期を体験したことがあった。

だけど、私は幸せではなかった。

むしろ、なんか人間のくだらない部分がより見える気がして辟易とすることが増えた。

誰か私を性的対象ではなく、人間として見て、と心の声が叫んでいた。

少なくとも私は、何の興味もない100人に愛してると言われてもうんざりするだけである。




だけど、その後に、うつ病になったりと色々あって、「自分を愛する」ことに目覚めた瞬間から、幸福度が一気にカンストした。

精神的に無双状態になった。

(詳しくはこちらに書いています → 自分を愛することに目覚めて幸福度がカンストし、うつが治った話。




モテていても、心が飢餓状態なこともある。

モテなくても、心が幸せで充足していることもある。



果たしてどっちが良いかね。

12.料理や家事ができない女は幸せになれない?

性別にかかわらず、自分がおいしいと思える料理を作れることは楽しいと思う。

自分が快適だと思える住居環境を維持できる人は幸せだと思う。

でも、「(旦那に)やってあげる」精神の持ち主は絶対にいつか不満を抱く。

いつも自分の快適さのために行動しておけば、何ができようができまいが幸福度には関係ない。

「いつか出会う誰かのために」する努力ほど幸せと逆行しているものはない。

「今」「現在」「私が」幸せでいられる環境のために行動すること。それが一番の幸せへの近道。



ちなみにうちは彼氏が毎食作ってくれる。

だから私は全く料理しなくても幸せである。

女が料理できるべき(するべき)なんてのは、時代錯誤よ。

13.弱点は克服すべき?

他人には難なくできて自分には難しいこと。
逆に、自分では難なくできて他人には難しいこと。

人数がある程度いる組織でなら、各々の特長を生かさないなんて非効率的過ぎませんか?



もし会社で「何をどうしていいかわからない、今後もわかるようになる気がしない」ような
苦手な業務につかされたり不向きな部署に配属されているなら、

あなたが悪いのではなく、その会社の人事が無能なだけのこと。

個人事業主なら、嫌でも自分でやらなきゃならないことが出てくるのかもしれないが、別に誰かに頼んでやってもらったっていいわけで。


私は、今さらわざわざ苦手なことを克服しようとする不毛な努力はしない。

スポーツは(水泳以外)苦手なのでしない。

車の運転もしない。コミュニケーションも疲れるので会社でも必要最低限の会話しかしない。

やりたくないことは徹底してやらない。


そんな時間があったら自分の才能を磨きたい。小説を書いていたい。作曲をしていたい。




そうやって、できないことはできませーん。というスタンスでいたら、

自分が思った以上に昇進していって、びっくりしてます。

「弱点は克服すべき、克服しようと努力すべき」ではないです。




別に克服したいならすればいいです、否定はしません。個人の自由です。

14.自分の幸せよりも他人のために生きた方が幸せ?

あなたのために自己犠牲しろってことですか?

嫌です。

こういうことを言う人は、「自分の幸せのために生きている利己的な人間」が嫌いなのだ。

多分、「自分本位」な人間に嫉妬してるだけ。


うつ病になる前の私もそうだった。

わがまま娘になりたくない。
心優しく博愛精神に満ちた人間でありたい。

そんな昔の私に言いたい。

お前に他人の幸せの何が分かる

自分自身すら幸せにできないお前に何ができる




大体「自分の幸せには目を向けず、他人のために尽くす方が幸せ」ってさ、

「チューリップに水をやらずに、カーネーションの鉢植えに水をやったほうが、チューリップがよく咲く」とか言うぐらいナンセンスじゃね?

咲かないに決まってるだろ。



しかも、自分(チューリップ)もうまく育てられないのに、そのカーネーションに水をやるなんて、水加減間違えて根腐れさせたりしそうだし。


正直、自分を幸せにできていない人に「あなたを幸せにしたいです」と言われても、怖いよな。

15.自己犠牲は美徳・究極の愛?

もし私の母が何かを犠牲にして私を育てていたとしたら、
私は母に負い目を感じる子供になっていただろう。

「恩返ししなきゃ」と義務感を抱いたことだろう。




私の母は、私が育つ姿を見るとき、いつも幸せそうだった。

母は私のために自分の幸せを犠牲にしてはいなかったと思う。


実際は、母は実にたくさんのことを私のために犠牲にしてきたことだろう。
そしてこれからも、私に何かあれば何を犠牲にしてでも助けてくれるだろう。

でも、私にそれを感じさせなかった。


自己犠牲は、相手に気づかれた時点で失敗であり、相手の「重荷」「重責」になる。

見返りを求めないどんなに美しい動機からであっても、相手に「自己犠牲させてしまった」と思わせた時点で、恩を着せるという負担を与えてしまう。

自己犠牲とは、相手を縛る枷である。

自己犠牲もいとわないほどの、その根っこにある深い愛が人の心を打つのであって、
別に自己犠牲自体が美しいわけではない。

その「愛」を手っ取り早く、わかりやすく表現するためによく映画とか漫画とかで「自己犠牲」という手段が取られることが多いが、

実際には、最も深い愛が行き着く先は、自己犠牲の真逆。つまり、自立と無制限の自由を与えることなのだ。


相手が何をしようが、その選択を尊重すること。
相手がやりたいようにできる環境を提供するだけで、一見「何もしない」こと。


それが愛の表現となる。




ただ、それだと分かりにくくて地味なので、創作物などでは表現されにくい。

16.幸せになりたいなら努力が必要?

「しんどくならない努力」「不幸な気持ちにならない努力」なら必要です。

幸せになるための努力というのは、実は「全くもってしんどくない」。

もしあなたが「幸せになるために頑張っている」「しんどい思いをしている」なら、そのやり方は間違っています。
※受験生を除く!受験生は勉強頑張れ!!

幸せになる努力っていうのは、例えば

・ラーメンを食べに行ったときに煮卵やチャーシュートッピングを欲しいままに付ける努力

・定時過ぎに退社して、ウィンドウショッピングして帰る努力

・晩ご飯食べながらビール飲んでだらだらと動画を見る努力

・洗濯物が溜まってきたけどまぁ明日でいいやと自分を許す努力

・飼ってる熱帯魚を見ながらぼーっとする努力

・入浴剤を入れてお風呂に浸かる努力

・明日も気持ちよく仕事するために23時に寝る努力

・会えば嫌な気持ちになる友人との関係を断つ努力

というものだ。

幸せになる努力というのは、「しんどくないように生きる努力」なのである。

「努力をしない努力」と言ってもいい。

そんな生き方を自分に許すことができれば、幸せへと一直線だ。

17.真面目に一生懸命仕事したら報われる?

私はうつ病を期に完璧主義をやめた。

仕事でも、日常生活でも。

いつも、7割ぐらいまでやって、さっさと上司に見てもらう。自分に10なんて求めない。

先輩も上司も新人さんもまだ会社に残っていても、18時になったら帰る。(結果、昇進しました。)



真面目さの方向も変えた。

いくら向上心があっても24時間気を張っていると病むことが分かったから。

「私を不幸にするような会社ならいつでも辞めてやるからな!!」と喧嘩腰の気持ちで入社して、そして今。

ほぼストレスフリーで会社勤めしている。





脳みそにゆとりを保つためにぼーっとするのも仕事のうちと思っている。

現状を打開するアイデアは大体家のソファでぼーっとしてるときとか散歩中とかに浮かぶから、そういう時間も役に立っている。

その時間を確保するための仕事効率化の努力は惜しまない。


早く家に帰って睡眠をしっかりとれば、毎日最高のコンディションで仕事ができる。

「遅くまで残業してる人、時間をかけてみっちり10まで作ってくる人、常に忙しそうな人」を評価する会社にいたら、私はクビになってただろうか?

幸い、今いる会社はそうではないようだ。

お給料もそれなりにもらえている。


がむしゃらに一生懸命やって自分を追い詰めている人は、見ていて不安になる。(過去の自分である。)

それよりも、自己管理を徹底できている人の方が信用が置ける。

でも一番幸せなのは
会社からの評価なんかに一喜一憂しない、自己評価で生きている人」だ。

他人に報いを求めたって、期待どおりになどならない。


たとえ会社で評価されてもされなくても、自分自身の満足感が「報い」となる。

たとえ評価されても、自分で「まだまだ」と思ったら、より高い山を登り続ける。



幸せは自分の中だけで生まれるものだから。

18.苦しんだだけ後で幸せになれる?

「あと」っていつですか?転生後?

「苦しんだだけ後で幸せになれるよ」を翻訳すると、

せめて後で幸せになれると思わなきゃ苦しいことなんてやってられない」である。

苦しいことから抜け出す勇気がない人の言い訳とも言える。



この考え方をする人は、いつまでも幸せになれない人の特徴だ。


苦しみがあることに慣れてしまうと、「生きていれば一つぐらい苦しいことがあるのが普通」と思ってしまい、一苦去っても新たな苦しみを引き受けてしまう。

苦しみのない生き方をする方法はもっと簡単である。

「今すぐ、苦しいことをやめ、楽しいことをする」ことだ。

幸せになるために「苦しみ」という手順を踏む必要は全くない。


「楽をすればあとあと後悔する」?

「あとあと」っていつ?転生後?

楽をして生きたいなら、「楽をする術」を身に付ければ、それは一生ものだ。

何かあっても、「あーこの方法なら楽できるな」で、その方法をとれば、それでおしまい。ハッピーハッピー。

19.恋人ができたら幸せになれるはず?

あなたは、「自分で自分を幸せにする方法」を知っていますか?

知っているなら、読み飛ばしてください。

「自分で自分を幸せにする方法なんて分からない」という人は、
もし恋人ができてもまだ幸せにはなれない。

「誰か早く何とかして私(僕)を幸せにしてぇ〜」という依存心がだだ漏れだからです。


▼これが真理。
幸せな恋愛ができる唯一の条件は、一人でも幸せでいられるようになること



私は、うつ病を治したあと、今の彼氏に出会うまでの一人の期間が、ものすごく幸せだった。

全身全霊で「自分」を生きることができる、あの感覚。

純度100%の「私」の人生。


彼氏と出会って得たのは、「より大きな幸せ」ではなく、「別の種類の幸せ」に過ぎない。

恋人がいる・いない で幸せの上下関係は生まれないのである。

20.孤独は寂しい?

孤独がいかに楽園かを説いているものは少ない。

「友達の大切さ」とか「人間関係の重要さ」とかはそこらじゅうでアホほど説かれているのに。



でも、孤独、つまり「自分自身に憩う時間」って、一番自由でいられる時間だ。

「自分自身」という最愛の家族、恋人、親友がいるから。




うつ病のときはとても寂しかった。

誰と会っても会わなくても、寂しくて狂いそうだった。



そんな私を根本的に癒やしてくれたのは、他の誰でもない、私自身の愛だった。


▼寂しさの克服方法
寂しさを本気で解消する、根本的な対処法【寂しくならない性格に生まれ変わる】




一人で何をしても許される。

家の中で髪を振り乱して一人ライブをしようが、50万円のバッグを買おうが、やりたい放題何でも許される。

圧倒的に自由。


一人の自由が好きすぎて、私はSNSもしないし友達も作らない。

▼SMSやらないことのメリットについてはこちら
SNSをしない理由は、しない方が幸せだし自分の純度が上がるから


▼友達をゼロにして完全に人間関係のストレスから解放された話
友達はいない・作らない方が、人間関係の悩みがゼロになるので幸せだしおすすめ

その結果、日々心乱されることなく、平穏幸せに生きております。

21.自殺は悪いこと?

いいえ。

生まれてきた以上、何をするのも自由です。

良い悪いではない。



▼自殺することは罪なのかについて突き詰めて考えた記事
自殺は駄目?自殺は悪いこと?「人はいかに苦しくても生きるべきか」に対する答え


ただ、私は、誰かが自殺をするのは悲しいことだと思う。

「自殺に追い込まれるまで苦しんだ人がいる」という事実が、

私を悲しませる。


それはなぜか。

「生きていたら幸せになれたかもしれないのに」とか、そんな意見もあるだろうけど、

私はそう思っているわけじゃない。



自殺をしたその人がもし生きていたからって、明るい未来が待っていたとは限らない。

「他人の未来」という、どう足掻いても分からない、無責任なことを、私は語れない。




ただ、ただ、死ぬほど苦しかったのだな、

と思う。

そんな深い悲しい苦しみを背負っていたのだな、と思う。

そして、茫漠とした虚無感にしばし陥る。



私はうつ病のときに自殺衝動に何度か襲われたことがある。

文字通り、死んだ方がマシだろうと思うほどの苦痛だった。

その経験を踏まえて言うと、

あんな苦痛は他の誰にも味わってほしくない、と思う。






その苦しみから逃げるために、死にたいと思うこと、死のうとすること。


それが「悪いこと」だとは、私には言えない。




現実に自殺は起きている。

何かが悪いというのなら、多くの人に「自殺するしかない」と思わせてしまう「空気」だ。

家の中。町の中。学校の中。会社の中。

息苦しい空気。

同調的で、レールを外れたものに望みを失わせる空気。

牢屋に入れられているわけでも、手錠にかけられているわけでもないのに、

なぜか「逃げ場がない」「身動きが取れない」と思わせてしまう閉塞的な空気。



だから私は、せめて自分の半径1メートル以内だけでも「息苦しくない自由な空気」をまとっていたい。

そばにいる人を生きづらさから解放してあげられる、そういう人間になりたい。


もし死にたいほどの苦しみを背負ってる人がいたら、死を希望に生きてもいいと思う。

「いざとなれば死ねばいいや。」
「いつか必ず死ぬんだから。」と。

自殺や、苦しみのあまり自殺したくなるという気持ち自体は、「存在してはいけないもの」ではない。

もしも苦しんでいる人がこれを読んでいたら、

自分の苦しみを否定しないでほしい。

痛みを自分で認めてあげてほしい。

「自殺なんかしちゃいけない」なんて思わずに、

「自殺したいほど苦しいんだ」ということを自分に許してあげて、

余裕があれば、このブログで私が自分のうつ病に寄り添った記事を読んでみてほしい。

▼自殺したいほどの苦しみを抱える人が一人でも減るように、色々記事を書いています。
うつ病を治した方法
うつ病者の心理

「生きていれば良いことがある」なんて約束はしない。

でも、誰かの心の苦痛を和らげる力になりたい、という本心からこのブログを書いていることを、私は約束する。

まとめ 自分になって幸せになろう

常識を脱ぎ捨てて「自分になる」ことができると、やりたいこととやってることのギャップがなくなる。

だからストレスのない楽しい生き方ができる。

「自分になると幸せになる」のだ。


普段何を考え、どんな生活習慣で日々を送るのか?

それはどこにも答えがない。


多くの人が「私が正しいから、こうしたほうがいいよ!」と主張する。

それを聞く多くの人が「私は間違ってるのだろうか」と不安になる。

だから、誰かに「こうすればいい」と言って欲しい。太鼓判を押して欲しい。道を照らして欲しい。



それに従うことは「楽」だけれど、あなたの「幸せ」に繋がるどうかは分からない。


他人の論調に少しでもモヤッとしたり、「ん?」と思ったら、疑問を持とう。

「その方法って、本当に私を幸せにしてくれるのだろうか」って。

例えば「朝○時に起きたら人生が変わる」なんていう主張も、

自分が「そうかなあ・・・」とイマイチ腑に落ちなければ、無視していいのだ。

「早起きしない奴はこれだけ損をしている!」だの何だの言われても、別に全く真に受けなくたっていい。


すべての答えは自分が出す。

自分以外の全員が同じことを言っていても、違うと思ったら一人だけ別の方向に進む。

私がやりたいことは、他の人にとってはやるべきじゃないことかもしれない

だったら、やりたいことをやるには誰かの意見を聞くだけ無駄である。

ということは、この記事自体も本当は、誰にとっても無駄なものなのかもしれない。

このブログの運営者

生きづらさを解消し、幸せに生きる考え方・うつ病の治し方をお伝えしています。
過去にうつ病になり、自分の考え方を変えて完治させた経験があります。

MBTI診断でいう典型的なINFP人間。
モットーは「自分の幸せを第一に生きる」。
現在会社員をやりながらADHDの夫と暮らしています。

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