SNSをやめたら幸せになった
私はSNSをしない。なぜなら、しない方が幸せだからだ。
大学時代にはtwitterもFacebookもやっていたけれど、それらは大して私を幸せにはしなかった。
そして、うつ病になったのを期にやめた。
回復して、うつ病になる前よりも100倍幸せな気分で過ごせるようになってからは、
なおさらSNSをやる気が起きなくなった。
Instagramも、全く手を付けたことがない。
他人の投稿も全然見る気がしない。
「他人に興味がないから」というよりは、むしろ他人の意見に過敏な性格だからだ。
批判にとても弱いのだ。だからSNSを見ないことで自己防衛する。
でも、もう一つ理由があって、それは「自分の純度を上げるため」だ。
他人の主義主張は、今の私にとっては邪魔になる。
他人のやっていることを見れば見るほど、
自分が何がほしいのか、何がしたいのかが簡単に分からなくなってしまう。
私は、「他人に影響されていない自分」が何を求めるのか、何をしたがるのか、
いつもそれを知っていたいのだ。
誰にも影響されずに、心の純度を高くしていれば、今まで見えてこなかったものが見えてくる。
うっすらと、まとまりのない形で。
それらのまとまりのない点々を追っていれば、
いつか振り返ったときに線のようなものが出来ているような気がするのだ。
そもそも、一度うつ病になった私にとって、SNSは自殺行為だ。
大学時代、私はTwitterやFacebookにばんばん投稿していた。
純粋に自分の心が求めるものよりも、
皆と自分を比較しては「あるべき自分」「理想の自分」を探して迷走しまくっていた。
そして、優秀で意識の高い周りの皆がやっていることと、
本当は山奥で詩を書くことが好きな自分の本質がズレていき、
苦しみ、苦しみ、悶えて、
…やがて心は限界を迎えた。
うつ病になったことがある人は、SNSはやらないほうが安全だと思う。
自分を病ませる可能性があるものには極力近づかないことだ。
そもそも、SNSのおかげで幸せ度が上がってる人っているんだろうか。
SNSで得られるものがあるもしても、それはマイナスを一時的に少し埋めてくれるだけで
ゼロをプラスにしてくれるものではない気がする。
思えば、過去にtwitterをやっていた動機なんて、
一人でいる寂しさか、承認欲求のどちらかだった。
今は、「私今こうなんです」なんて誰にも告げる必要を感じない。
幸せなときに承認欲求は生じないのだ。
むしろ、自分一人の中に大事に取っておきたい。
私が私のことを愛してくれている今は、一人でいるときが一番満たされている。
自分で自分を許しているから、他人に認めてほしいという欲求が消えていく。
しかも、自分を承認できていると、他人にも認められているように感じられてくる。
本気で幸せになりたいなら、SNSに時間と精神力を割くよりもそういう境地を目指した方が手っ取り早い。
もしかしたら、SNSをやっていた頃の私は、
心のどこかで「幸せにはなりたくなかった」のかもしれない。
幸せになる方向へ努力するのが面倒くさかったのだ。
自分で自分を認められないせいで自信がなくて、欲求をこじらせていたのだ。
他人の声に耳を貸さないことには、危険もあるのだろう。
自分の純度が高い人は、大抵どこかぶっ飛んでいるし。
でも、そのぶっ飛び方が良い方向か悪い方向かなんて、誰にも判断はできない。
自分がやっていることが明らかに間違っていないかどうか、誰かに判断してもらうとしたら、
それはSNS越しの不特定多数の人々にしてもらうことではない。
自分が何をしているかなんて、わざわざSNSで言わなければ誰にも口出しはされない。
芸能人でもないのだし。
好き放題生きるなら、SNSなんて邪魔にしかならない。
赤の他人に文句は言わせない。
私は、SNSをしない。
これからもしないだろう。
どこの誰ともしれない他人の声に耳を傾けて笑ったり傷ついたりしてる暇があったら、
自分の思考をもっと深めることに時間を使いたい。
そして、もっと「自分」を極めたい。
自分の心は自分で守らなければならない。
誰も守ってくれやしないよ?
自覚はなくても皆本当は「自分が一番大事」なんだから。
人間世界なんてろくなもんじゃない。
あなたも、私も、ろくな人間じゃない。
何となく見ているSNSは、あなたの思考を知らぬ間に縛りつけていっている。
こういうのが面白いんだぜ。
こういうのがオシャレなのよ。
これ良いよね、
これ駄目だよね、
こういうのが幸せだよね、
面白い、楽しい、幸せ、かわいそう、悔しい、羨ましい、悔しい、寂しい、
賞賛を多く浴びた者が勝者である、
何者かになりたい、
聞いてほしい、
愛されたい、
与えたい、
幸せになりたい、
…
全部全部、気のせいなのに。
SNSで培われた価値観を全部取っぱらえば
あなたは今すぐに幸せになれるのに。
あのときの私も、救われたのに。
極論、
死に際に「いい人生だった」と思えるためには
果たしてSNSは必要か?と思う。
「ああ、こんなにもフォロワー数が多くて、私は幸せものだったなあ」
「SNSでのやり取りはかけがえのない思い出だなぁ〜」
としみじみ偲びながら死ぬ人がいるか?
と思う。
個人的には、
もっともっと生を豊かにする経験をするほうが幸せな人生だと思える。
個人的にはね。
私がSNSに向いてなかっただけ。
「SNSが私の幸せの源!」と心から言える人はSNSに向いているんだと思う。
だから、別に誰が何をしようと
本当は別にどうだっていい。
人間って結局、SNSやろうがやるまいが、
ろくでもないもんだってことさ。
ただ、今どき「SNSやっていない」というだけで
割と稀有な存在になれるんじゃないだろうか。
どうせろくでもないなら、
「皆と同じようなろくでもない思考」を育てるか、
「自分一人だけのろくでもない世界」を作るか、
選ぶのは自分自身ってことさ。
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