「精神的に強い」人間と、
「精神的に弱い」人間。
選べるのなら、前者の「精神的に強い」人間になりたい。
それがいわゆる「常識」というものだと思う。
だから皆、精神的に強くなりたい、と思いがちである。
でも、ふと私は思う。
この世に「精神的に強い人」「精神的に弱い人」という分類に分けられる人間は存在しない、と。
人間の精神力は、強い・弱いではなく、
「固い強さ(=固い脆さ)」「柔らかい強さ(=柔らかい弱さ)」という2種類があって、
そのどちらにより近いか、しかない。と。
固い強さを持つ人は「打たれると壊れやすい弱さ」を持っているし、
柔らかい強さを持つ人は「固い意志を維持できない」弱さを持っている。
「メンタルを強くしたい」と考えたときに、自分はどちらの「強さ」を求めているのか、考えてみるべきなのだ。
固い強さ・柔らかい強さについて
固い強さ

「固い強さ」というのは、
一言で言うと、「克己心」である。
例えば
「目標達成のための努力」
「向上心」
「自分との闘い」
「欲望や怠惰な気持ちとの闘い」
といったものだ。
固い強さを持った人は、常に自分と戦っている。
彼らは「このままじゃ嫌だ」といつも思っている。
停滞することに危機感を抱くのだ。
己の怠惰な欲求をはねのける精神力があるため、スポーツや勉強などで結果を残す人が多い。
でも、結果を残せなかったり、自分の能力が自分の望む水準に達しなかったりすると、心がポッキリと折れてしまう。(経験者談)
固い強さは、折れやすい。
心が折れると、うつ病になることもある。(経験者談)
柔らかい強さ

それに対して、「柔らかい強さ」とは「受容力」である。
緩く、しなやかに生きる力といってもいい。
例えば
「人の弱さや醜さも受け入れる包容力」
「現状を受け入れ満足すること」
「無条件の自己承認」
「楽や充足感への追求」
といったものだ。
柔らかい強さを持った人は、どんな自分も受容できる。
頑張れなくても結果を残せなくても気にしない。
のらりくらりと生きているので、ストレスや生きづらさをそれほど強く感じない。
でも、成長が停滞したり、欲望に身を任せすぎて堕落していくリスクがある。
あなたはどっちだろうか?
「精神的に強くなる」の意味も2通りある
「精神的に強くなりたい」と言ったとき、
上記のどちらの強さを求めているかで、対処法は変わってくる。
「過去の失敗にくよくよ悩まないようになりたい」
「周りの目を気にしない性格になりたい」
「人間関係に悩まされない強い心を持ちたい」
…これらはどれも、自分や他人のありのままを受け入れる強さが欲しいということだ。
つまり「柔らかい強さ」を求めていることになる。
逆に、
「ダイエットを継続したいのにできない」
「受験勉強をサボらないようになりたい」
「依存や無責任な人間関係から脱却したい」
などといった悩みがある人は、「固い強さ」を求めていることになる。
ただ、注意しなければならないのは、自分が頭で求めているものと、心が本当に求めていることが逆になってしまっているケースがある。
例えば、ブラック企業で働いていて
「もっと頑張れるようにもっと強いメンタルを持たなきゃ」と、
頭では「より固い強さ」を求めていたとする。
でも、実際には心が
「これ以上頑張れない」
「休む自分を許せないのがつらい」と悲鳴を上げていることがある。
このときに、本当にストレスから解放されるためには「柔らかい強さ」が必要だ。
つまり、いかに休むか、いかに逃げるか、いかに自分を労るか。
そういう「柔らかい強さ」へと方向転換した方が良い場合がある。
他にも、
(これも真面目な人に多いが)ダイエットをやってもやっても満たされず、客観的に見れば既にガリガリなのに「もっと痩せなきゃ」と病的なまでに思いつめてしまうケースなど(経験者談)。
この場合も、それ以上ダイエットを頑張る「固い強さ」は必要なく、
逆にありのままの自分を許容する「柔らかい強さ」が必要だろうと思う。
自分に必要な強さはどちらの強さなのか。
それを見誤ると、より事態が悪化しかねない。
柔らかい精神力・固い精神力のバランスを保つことで「精神的に強く」なれる
自分のことを「精神的に弱い」と思っている人は、思い違いをしている。
弱さは強さの裏返しだ。
ただ、どちらかの強さに偏っているだけなのだ。「バランスが悪い」だけなのである。
固さ(克己心)を追求しすぎると、生きづらく病みやすくなる。
柔らかさ(自己受容)を追求しすぎると、堕落していく。
「生きづらい」
「焦燥感がある」
「息が詰まる」
といった、張り詰めたようなストレスのある人は、「固い強さ」を求めすぎてきた人だ。
ここは一度、力を抜いて、「○○すべき」という義務感を取り払って、人間らしく、だらしない自分も許していくことでバランスが取れる。
生きづらさも解消していく。
固い強さを持つ人は、不幸になりたくないから努力する。
だからなかなか「頑張らない自分」を許すことができない。
しかし、一度許せば気づくだろう。
「さほど頑張ろうとしない方が幸せかもしれない」ということに。
それは決して「弱くなること」ではない。今までとは別種の「柔らかい強さ」を身につけることなのだ。
逆に、
「頑張れずに甘えてしまう」
「人生がつまらない」
「無気力だ」
など、緩みきった感覚から抜け出せずに悩んでいる人は、行動を起こし、成長する喜びを知ることで人生に張り合いが出てくる。
「柔らかい強さ」に偏っている人は、「頑張ったら負け」「努力したら負け」のように思いがちだ。
でも、成長の喜びは、退屈だった世界を輝かせる力を持っている。それが「固い強さ」を持つことの素晴らしさだ。
それを知ることでバランスが取れるようになる。
こうした両面の強さをバランスよく保っていくのが、いわゆる「強い精神力」を身につけることだと思う。
両方の強さのバランスを取ることができると、
今の自分のありのままを認めつつ、もっと良くなるんじゃないかと希望を持って行動できる状態になる。
これが最も幸せな境地だ。
でも、
バランスを保って生きるなんて嫌だ、つまらない!
どっちつかずの「普通」の枠なんかにおさまっていたくない!
という人もいるかもしれない(かつての私のように)。
そういう人は安心してほしい。
「自分にとってのちょうどいいバランス」は、他人から見たら「その人独自の、唯一無二のバランス」だから。
バランスを保っている状態こそ、最もその人の個性が光る状態なのだ。
人は誰一人同じではない。あなたはどうあがいても「普通」なんかにはならない。
もし自分がどちらかの精神的な強さ(弱さ)に偏っていると思ったら、少し意識を逆向きに向けてみるのがいい。
自分の弱さは、裏返すと強さになる
何事も両方の面がある。
「どうしても宿題をサボってしまう」という人は、
「宿題をしないことを自分に許せるぐらい、自己承認力が高い」ということだ。
「自分はダメ人間で親になる資格がない」という人は、
「良き親という理想像を実現したいと願う殊勝な心がけの人」ということだ。
あなたは、強い。
私も強い。
ただ、その強さの裏返しである弱さのせいで疲れてしまっただけだ。
右足か左足のどちらかを重点的に鍛えすぎたようなものだ。
右足ばかり鍛えると、両足で歩いているうちに左足が疲れてしまう。
そんな状態。
偏った強さが役に立つこともある
かく言う私は、生まれつき「固い」方の精神力の強さを持って生まれた人間だ。
物心ついてから20代前半まで、私は「頑張らない自分が大嫌い」だった。
ありのままの自分じゃ駄目だから、頑張る。
良く出来る子じゃないと親に愛される価値もないから、頑張る。
筋金入りの理想主義で完璧主義で、生きづらかった。
その結果、うつ病になった。
精神的に弱かったのではない。「強くあろうとしすぎた」のだ。
むしろ、うつ病になる前の大学受験期には、「固い」精神力がとても役に立った。
この性格のおかげで、無事合格までこぎつけた。
だから、偏ることは悪い面ばかりじゃないのである。
うつ病になった後は、「柔らかい強さ」を意識することで、少しずつうつ病を治し、幸せな日々を送れるようになった。
ただ、ともすると自分を夜し過ぎて自堕落な生活を送りそうになるので、かつての「固い強さ」を意識して自分なりに張りのある生活を維持するようにしている。
そうすることが一番自分の精神が安定することが分かったから。
両方の強さ・弱さのバランスを保てると最強
なぜ私がそんな結論に至ったかというと、実体験として両方の強さ・弱さを両極端に行き来した経験があるからだ。
うつ病になるまでは、固い強さに偏りすぎていた。
そして心がぽっきりと折れて、柔らかい強さを身に着けた。
その両方のバランスをとっている今が、生きてきて一番幸せである。
そしてその幸せは、強さと弱さのバランスをとる技術を身に着けてから、ほとんど揺らいでいない。
ほぼ安定して幸せを維持できている。
「精神的に強くなりたい。」
あなたが本当に必要としている強さは、どんな強さですか?
それを知ることで、一人でも多くの人が幸せになってくれたら、とても嬉しく思う。
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