【幸福度の高い人の特徴】本当は誰でも今すぐ幸せになれる方法がある。

幸せになりたいのなら、

幸福の形に先入観を持たないことだ。


幸せ力の高い人は、

たとえ橋の下で貧しい野宿生活をしていようが、幸せである。



一度、自問自答してみよう。


自分なりに「幸せになれなさそうな状況」を想像して、自分がそうなったときのことを想像してみよう。




例えば、もしも失業して、生活保護で生活することになったとしたら

私は幸せでいられるだろうか?


もしも大怪我で顔が潰れてしまったら、

私は幸せでいられるだろうか?


幸せは、

「安定した職」や「容姿の美しさ」などの

運や境遇などでは決まらない。

どんな境遇でも「幸せを感じる力」があるかどうか、で決まる。

目次

幸せを阻むのは「先入観」だけ

私たちは、幸せになろうと色々な努力をする。

というよりも、不幸を避けたいがために努力するのかもしれない。

なぜなら、「こうなれば幸せ」「こうなれば不幸」という先入観を持っているから。



私のような(うつ病になるような)、元々「幸せになる力」が弱い人間は多くいる。


幸せでいることを、いつも色んな見栄や邪念が邪魔している。

彼氏がいないから不幸。
良いところに就職できないから不幸。
容姿が悪いから不幸。


本当は、幸福度を決める条件などない。

それなのに、「○○な人は幸せ」「○○な人は不幸」という先入観が幸せを阻む。

夢に執着することは現在の幸せを放棄することと同じ。

多くの人は、

夢に向かって努力するのが好きである。

それを良いことだと思っている。


○○すれば幸せになれるはずだ。

○○のために今頑張る。


それは実は、

幸せになること」を放棄しているのだ、

という不幸に誰も気づいていない。



夢というのは、

「こうなったら幸せ」という先入観だ。

憧れている夢のことを考えると、胸がわくわくする。

脳内の神経伝達物質がドバドバ出てくる感じがする。



○○したい。

○○でありたい。

試験に受かりたい。受かれば幸せが待っているはずだ。

大企業に就職したい。すれば幸せになれるはずだ。

結婚したい。すれば幸せになれるはずだ。



一度そう思い込んでしまうと、

それが叶わない限り心が完全に満たされることはない。


「夢を持つ」ことは

「現状に満足することを放棄すること」だ。


それ自体は悪いことではない。

幸せに暮らしながら夢に向かって頑張ることはできる。

むしろ日々の活動の原動力になりもする。


問題なのは、夢に固執し

「叶わなければ幸せにはなれない」と苦しむことだ。

「これが叶いさえすれば私は幸せになれる!」という思い込みが強い人ほど、

「幸せ力」が低いということだ。

そういう人は上昇志向が高く、苦しんででも結果を出すので、成功する人も多い。



しかし、その幸せは、脆い

なぜなら、彼らの幸せは条件付きであり、

その条件が崩れれば彼らのメンタルはズタズタになるからだ。

(そして最悪の場合うつ病になる。経験者より)


何かに憧れる気持ちというのはコントロールできないものである。

恋心と同じで、一度執着心が生まれると、簡単には消せない。

だから、幸せのために何かに固執してしまっているときは

無理してその思いを消そうとするかわりに、

「私はそれに何を求めているのか?」を問う必要がある。


そして、その答えは突き詰めれば結局は

「幸福感を得たいから」という一点になる。

幸せへの感度を高めていれば今すぐ幸せになれる

実は、幸せを感じたいなら、別に何も努力する必要はないのだ。

今すぐにだって幸せにはなれるのである。

幸せを感じるには、

美人に生まれる必要もなければ

安定した職も大金も恋人も結婚も必要ない。


ただ目の前の「幸せへの感度」が高ければ良いだけなのだ。



生きてさえいれば誰にだって幸せを感じる権利がある。

それを「幸福の先入観」によってみすみす棄権することはない。

現に私は不美人であるし、

うつ病で2年留年したし、

卒業後もニートだったし、

やっとできた彼氏はADHDの障害者手帳持ちで無職で遠距離だったし、


傍から聞けば「えっと…それって幸せ?」という感じである。

でも私はその頃、それまで生きてきて一番幸せだった。

無条件に幸せだった。



「自分自身の幸せ」と、「傍から見た条件」は、全く比例しないことを、私は知っている。


自分のそのままの姿を自分で認めてあげられること。

自分を愛する気持ち。

自分で自分を価値があると思えること。


自分で自分が幸せになることを許しさえすれば、

どんな状況でも幸せなのだ。

「幸せ」と、「幸せに見られること」を同一視してはいけない。

よく考えると、幸せの条件を挙げている人は

「幸せに見られること」を幸せだと思っているのである。



要するに、承認欲求が満たされること=幸せ だと思っているのだ。


例えば「スペックの高いパートナー」だったり、年収だったり、住んでいる場所だったり、勤めている会社の知名度だったり、持っている物の値段だったり……

そういった、「条件」ではかられる幸せは、「”誰かが決めた幸せ”という眉唾ものの何か」に過ぎない。

▼一般的に言われる幸せの定義を捨ててしまえば100倍幸せになれる
常識は幸せになるには必要ないので捨てよう。自分で考えてオリジナル思考を作ろう。



皆「幸せに見られたい」だけなのだ。

だから結婚したい。

お金が欲しい。

注目を浴びたい。


そのへんの雑草じゃなくて、

手塩にかけられて大輪に咲く薔薇のように見られたい。




一方で、雑草の幸せを知る人もいる。

幸福力が高い人たちである。

当たり前のように幸せに生きている人たちである。

卵かけご飯に納豆をかけて食べること。

抱き枕をむぎゅむぎゅしながらゴロゴロすること。

裏紙にくだらない四コマ漫画を描き散らすこと。



「幸せに感じること」の種類というのは人それぞれだ。


でも、それだけでは幸せにはなれない。

幸せになるには、「不幸」を取り除かないといけない。





不幸の元。それも「他人の目」であることが多い。

「あの人の方が良い生活をしている」

「あの人は私にないものを持っている」

「あの人は嫌なことを言ってくる」



そういった、他人の存在によって生まれる「不幸せ感」を一つずつ取り除いていけば、ストレスフリーな人生が待っている。

▼他人と比べて不幸になるのをやめる方法
他人と自分を比較して落ち込まなくなる方法【比べるのをやめたい人へ】
【嫉妬心を消す方法】他人への嫉妬で苦しんでいるなら、まず自分の負けを認めるところから始めよう




タワーマンションの高層階に住み、タクシー移動の生活をしていれば気づけない、

雑草の世界。


生きる幸せそのもの。

生きているだけで、私たちは幸せだったはずなのだ。


どこで見失ったのだろう。

どこで間違っていくのだろう。


一度きりの人生を幸福に歩むにはどうすればいいのか。

幸せでいる力は、どうやってつければいいのか。

自分の現状に責任を持ち、受け入れること

そうは言っても、もう手遅れだよ。

今の幸せなんて感じられそうにないよ。

そんなあなたにも、「今すぐにできること」がある。



それは、「自分の現状は100%自分の責任だと自覚すること」だ。




今の状況は、自分が選び取った環境なのだ。

「こんなはずじゃなかった」?

「こんなのは俺じゃない」?

「あいつだって悪いんだ」?

いや、現状は100%あなたの選択、あなたの責任である

今の「不幸」な感情も、自分の考え方が招いたものだ。


満たされない気持ちを、

「何かのせい」にしない。

「誰かのせい」にしない。

「運命のせい」にしない。

自分が幸せじゃないのは、自分のせい。


そのことが腑に落ちたとき、

あなたは気づくだろう。

「幸せじゃないのは自分のせいってことは、自分次第で幸せにもなれるってことじゃん」と。

ここで初めて、「自分の力で幸せになる」力を得る準備ができるのだ。



▼考え方を変えて誰でも幸せになれる方法まとめ
幸せに生きる考え方


自分の現状に責任を持てるのが大人である。

憧れや欲しいものが手に入らない(と思い込んでいる)ことが不満で。

誰かが自分に非協力的だとか、

この社会は自分に優しくないだとか、

そんな「何かのせい」にして悲嘆にくれるだけの日々にはお別れしましょう。


あなたが欲しがっているものは、

今のあなたには不相応である。

そんなものは、それに相応しい人間になれば

探さずとも自然と手に入るものなのだ。



一緒にいて不快な相手と「一緒にいる自分が悪い」。

ストレスの溜まる職場を「辞めない自分が悪い」。

婚活で出会えないのは、理想の相手が求めるレベルじゃない「自分が悪い」。




そのことに気づくと、

自分を不幸な場所に置くことを避けるようになる。


「この人とは関わらないようにしよう」

「割り切って好きなように仕事しよう。駄目なら転職しよう」

「自分は結婚には向いてないらしいから、別の道を生きよう」

と、幸せのための能動的な意識が生まれる。


そして、不幸を避けるだけでなく

自分の機嫌を取るために、

今欲しいものや今したいことを躊躇なく自分に与えるようになる。

旅行。

おいしいもの。

楽しそうなこと。

「確証も何もない将来のために我慢する」ことがアホらしくなる。

そして、「やりたいこと」というのは

やってみたら意外と何でもできるものだと知る。


今まで自分を本気で幸せにしようとしていなかったんだな、と気づく。



そりゃ何でもできるさ。大人なのだから。

親に遊びに連れて行ってもらうのを指をくわえて待つ子供の気分のままでいる必要は全くない。




そのうちに、分かってくる。

幸せとは地道なものなのだなと。

タナボタじゃないのだと。一個一個やっていくしかないのだと。


自分はありもしない世界に憧れていた、夢見る少年少女に過ぎなかったのだと。

今の自分は既に夢のような世界にいるのだと。


そして、そういうふうに自力で創り上げる幸せは、不安とは無縁だ。

幸せすぎて怖い、なんてことにはならない。

なぜなら、私にはこの幸せを受け取る権利がある、という自信がつくから。


そういう境地に来たとき、

気がつくと当初憧れていた「夢」が叶っていたりする。

そういうもんなのである。

幸せには上限がない

私は、うつ病になることで

こういった「幸せ力」を身につけた。

何にも心追われず、

誰にも心乱されず、

自分で自分を包み込むように愛し、満たしてあげる幸福を。


あの頃も幸せだったけど、

日に日に幸福度は増していっている。


だから、

「今の私がまだ知らない幸せ」も

まだこの先にあると思っている。


それをいつか手にするには、

一日一日を選び取るしかないのだ。

仕事が終わったらどこに帰るのか。

明日は何を着て出かけるのか。

どこへ出かけるのか。


それらのひとつひとつの選択に責任を持ち、

行動し続ければ、

夢のような幸福な舞台に生きつづけることになる。



私は自信を持って言える。

私は幸福だ。

なぜなら私は、今の自分の姿を自分で選び取ったから。


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このブログの運営者

生きづらさを解消し、幸せに生きる考え方・うつ病の治し方をお伝えしています。
過去にうつ病になり、自分の考え方を変えて完治させた経験があります。

MBTI診断でいう典型的なINFP人間。
モットーは「自分の幸せを第一に生きる」。
現在会社員をやりながらADHDの夫と暮らしています。

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