【絶望感の解消方法】あなたが絶望しなくていい理由

未来に絶望している時に、

「絶望する必要はない」ということに気付くための考え方があります。

それは、

明日何が起こるかは、誰にもわからない

ということ。

 



未来に何が起きるか分からないということは、絶望する理由がない」のです。

 

「絶望」というのは、「未来」を決めつけるからこそ生じる気持ちです。

「私の未来はこうなるに違いない」

「私の未来はこうならないに違いない」

と。




そして、その不確かな予想で

「死にたい」という気持ちまで追い込まれることもあります。






私は過去にうつ病になり、

「もう私の将来には何の希望もない」

「私は一生社会にも誰にも必要とされない」

と信じ込み、絶望感を常に感じ、死にたいという思いに苦しんでいました。




その時の苦しみを、「未来の不確かさ」がふっと軽くしてくれたのです。

目次

明日何が起きるか(世がひっくり返るかも)分からないから、絶望しなくていい。

「明日何が起きるか分からない」というのは、嘘でもきれいごとでもありません。

本当のことです。




明日ものすごく悪いことがあるかもしれないし、

ちょっと良いことがあるかもしれない。




現実に生きている人間の誰一人として、それは分からないのです。



私はうつ病のとき、

「どうせ治らない」「どうせ私は一生このままだ」

と思っていましたが、

 


この「未来は誰にも分からない」という事実に気付き、

「明日も治らない可能性もあるし、治る可能性もある

「明日、気分が悪くなるかもしれないし、良くなるかもしれない

という現実的な考え方は、

一筋の希望の光をもたらしてくれたのです。

 

そしてこの考え方は、

死にたい、死にたい、死にたい……とそれだけが頭の中をぐるぐると回っていた状態から、

少し私を正気に戻してくれました。







「絶対にこの先の人生が”駄目になる”とも”ならない”とも誰にも断言できないなら、

じゃあまあ、分かんないし、とりあえず生きとくか

という感じで、私は「自殺」を免れました。





それでいいのです。



とにかく、絶望感に打ちひしがれているときは、

「この先人生に何も良いことなんてないだろう」

という悲しみや苦しみに蓋をしなくても良いのです。



「きっと希望はあるはずだ!」「きっといつか幸せになれるはずだ!」なんて、無理に思い込もうとしなくて良いのです。



ただ、こう思い直すだけで良いのです。

この先人生に何も良いことなんてないだろうと今は思えるけれど、

実際には、この先良いことがあるのか、無いのかは、誰にも予想できない
」と。





実際、私はうつ病で「もう死んで世界にお詫びしたい」とまで毎日思っていたくらいですが、

このブログで紹介しているような様々な心理療法を試して、

最終的に「今まで生きてきて一番幸せ」と言えるまで回復しました。

そして幸せな日常は、うつ病が治ってからずっと続いています。




そして、うつ病に苦しむ人を一人でも減らすため、うつ病を治す方法を紹介する(この)ブログまで始めました。

本当に、生きていたらどうなるか分からないものです。

 

「明日何が起きるかわからない」

というのは、気休めではありません。真実です。


明日大地震が起こるかもしれないし、

明日失職するかもしれないし、

明日将来の結婚相手と出会うかもしれない。


なにひとつ「あり得ないことなどない」のです。 

ネットとか、現実社会で、

「○○な奴は将来○○になりがち」
「○○してる奴は○○な人生を送ることになる」

とか、そういうことを豪語する人がたくさんいます。




あのね。

そういうのを真に受けると、幸福度、下がります







人間って、一人一人イレギュラーの塊なんですよ。



人生のどこかの時点で、「まさかこんなことになると思わなかった」という出来事が起きるのが、普通なのです。

それは個人の問題です。

全体の話には当てはまりません。




これから何が起きるかは、全部、完全にあなた次第であって、

そして絶望しているあなたが今すべきことは、

とにかく
「生きていること」。

それだけです。

未来が「わからない」ことを理解することで生まれる責任感

絶望しているとき、

私はずっとこのままなのかも

私は一生幸せにはなれないのか

といった思いにとらわれることがあるかと思います。


 

どこからか

「そんなことないよ」

「君は幸せになれるよ」

と否定してくれる声が聞こえてこないかと、期待する気持ちもあるかもしれません。

 

……でも、本当に絶望しているときは、

「そんなことないよ」

「君は幸せになれるよ」

と言われても、本当に気持ちが救われることはありません。





そんなことを言われても、

「なんで分かるの?」

「どうして幸せになれるって断言できるの?」

と懐疑的な気持ちは残り続けます。



なぜなら、「あなたは幸せになれるよ」なんて言葉は真実ではなく、

「まやかし」「きれいごと」だから。








「真実ではないこと」を言われて慰められても、救いにはならないのです。




では、そのかわりに、こう言われたらどうでしょう。

 


「さあ、君が幸せになれるかどうかなんて、先のことはわからないよ」。

 



こう言われたら、どう思いますか?

期待していた答えと違って、がっかりするでしょうか。

冷たい答えだと思って、悲しくなるでしょうか。



分かります。私も、もっと優しい答えが欲しかった。




でも、私が自分の心に「私はこの先幸せになれないの?」と問いかけたときに、

自分自身から返ってきた答えは、それでした。




「さあ、君が幸せになれるかどうかなんて、誰にもわからない。」




私は、一瞬、とても落胆しました。

違う。

安心させてほしい。

何かを信じたい。

絶対に大丈夫なんだと、信じさせてほしい。

「分からない」なんて、そんな突き放すような答え方をしないでほしい。



 

・・・しかし、次の瞬間、その答えの真意に気が付き、

私の胸に突然、希望の光が射し込みました。




「分からない」という答え。

その真意とは。

わからない、ということは、

”私は一生幸せにはなれない”と確定しているわけじゃない

ということです。


 

未来は真っ白。いや、色さえも何もない。無。


つまり。


私がどう歩くか次第だ。ということです。




その答えは私に細い一筋の希望をもたらすとともに、

私に「責任」を感じさせました。




「さあ、どうなるかは分からない。

あなた次第では幸せになれる道もあるかもしれない。

でも、あなたが今のあなたのまま何も変えないなら、あなたが今想像している通りの人生になるかもしれない


ということに、私は嫌でも気づきました。




それは、残酷かつ優しい真理です。



 

絶望している人にとって、

「生きて」という言葉が「現実という地獄に留まり続けろ」と言っているのと同じだということも分かっています。




確かに、こんな現実に生きていることは、とても辛く、苦しいこと。



だけど、生きることを諦めないで、踏ん張って、とにかく

「もうこの先の人生、100%絶望しかない」という「嘘」を取っ払ってください。





より真実に近い考え方はこうです。

この先の人生、100%、誰にも何が起きるか分かんねえ」。


絶望は、人生を幸福へ好転させる絶好の機会

絶望は、人生を変えられる絶好のチャンスです。





人間、そうそうのことでは、「自分の考え方、自分の行動を変えよう」といくら思っても、変えられません。


結局、今の自分のままでいる方が楽だからです。





だけど、絶望した人間には、もうそれ以上「下」がありません。

つまり、「絶望し続けるか、死ぬか、自分が変わるか」くらいしかないのです。





そういう究極の選択を迫られて、ようやく人は「変わろう」「変わらなければまずいかもしれない」と本気になる。

そういう意味で、「絶望」とは、「人生を変える」絶好の機会になります。

人並み以上に幸せに生きる力を手に入れるチャンスなのです。






でも、世の中には、最後まで「自分の考え方・行動を変える」という手段に気付かずに、

自死を選んでしまう人もいます。





私は、誰にもそうなって欲しくない。




だから、このブログで、

「考え方をどう変えれば良いのか」

「考え方を変えて、同じ状況でも幸せを感じながら生きることができる方法」を書いています。


▼読む気力があるときに、色々読んでみてください。

「明日何が起きるか分からない」と思って生きると今の幸福度が上がる

この「明日のことは分からない」という考え方は、

「幸せな気分を維持」するのに役に立ちます

 


私は、うつが治った今でも、何かに取り組むときは(特に仕事をするとき)

「絶対にうまくいく」とも「絶対にうまくいかない」とも思いません。


 

「どうなるか分からない。うまくいくかもしれないし、いかないかもしれない。どうなるかなんて分かるわけないから、深く考えない」

と思って行動しています。




先のことは分からないから、とりあえずやってみるという感じです。

ある意味、何も考えてないと言えるかもしれません。

 

 

仕事で電話をかけるとき。

楽しみにしていたレストランに行くとき。

自分が思い描いた通りの展開になるという期待は、ほとんどしない。

「こんな感じになるだろう」と予想もしない。

 

「どうなるかな。何が起きるかな。わかんねーから考えても無駄だ。

とりあえずやってみよう、行ってみよう」

という感じです。

 


そうしたら、たとえ電話口で何を言われても、

突然シェフが倒れてレストランが臨時休業になっていても、

さっと気持ちを切り替え、予想外の展開を受け入れる余裕ができます(というか、元々予想も何もしていないので、そうきたか、とすんなり受け入れられる感じです)。

 

物事に対しても他人に対しても、

「こうきたらこう対応する」とシミュレーションはしても、

「こうくるはず」とか「こうなるだろう」という予測や期待はしない

 




いちいち予測していたら、

「クレームを言われるかもしれない、どうしよう」とやる前に不安になったり、

「楽しみにしていたのにレストランが閉まっていた、ここまで来たのは無駄だった」と期待を裏切られてがっかりしたりして、

幸福度が下がります。




でも、全然何も予測しないでいれば、

「まあその場その場で対応すりゃいいでしょ」と常に気楽でいられます。




それをどんな時も徹底すれば、どんな事態に転がっても

「ふーん、そうきたか」と、割と幸福な状態を維持できるのです。

 

 

人生は、予想外のことが起きるもの。

何が起きるか誰にも分かりはしない。

 

明日の気分が良くならないかどうかも「わからない」し、

この先幸せになれるかどうかも「分からない」。



別に、常に希望に満ちあふれてキラキラしてなくてもいいのです。

「絶対に素敵な未来が待っている!」なんて思えなくていいのです。


わからないものはわからなくて良い。

そして、人は「わからない」うちはなかなか自殺まで思い切れないものです。





絶望を確信するから、人は「もう生きていたくない」と思ってしまいます。


でも、確信できないうちは、「万が一」の希望を胸に、人は生きられます。


それでいいのです。 




わからない、わからないからとりあえず生きていようかな。

分からないから、とりあえず今は食べて寝て、息だけしてようかな。

わからないけど、お医者さんにもらった薬、飲んでみるか。

わからないけど、とりあえず散歩でもしてみようか。



そんな感じで「わかんねーけど」というノリで生きてみると、将来への不安は軽くなります。

今に生きることに集中すると、将来の不安が軽くなる

将来への絶望や不安を解消するもうひとつの考え方は、

「今に生きる」ことです。

 

 

今感じうる限りの幸せを目一杯感じること。




そんなこと言われたって、難しいですよね。

分かります。

それができれば苦労しない。

私も思っていました。

 
「今に生きる」というのは、

ご飯おいしい。

お風呂あったかい。

この動画おもろい。

…と、今やっていること以外、特に何も考えていない

という状態で常にいることです。


 

「今を生きる」のコツは、

「未来」と「過去」への「負の感情」をできるだけ捨てることです。


未来のことを考えないようにする


まず、将来のことを思い悩むのをやめる方法は二つ。

それは、

行動する

思考を変える


のどちらかです。

未来のことを考えて不安になるなら、「考え方」か「行動」のどちらかを変えれば悩みは解決。





例えば、

「受験に受かるには勉強しなきゃ…でもやりたくないな…でも落ちたら嫌だな…」

という悩みを解消する方法は、


・勉強する

・「別に受からなくてもいいや」という考えに変える

のどちらかだけです。



他にも、

「お金がない。こんなんで将来大丈夫だろうか…」

という悩みを解消するには、

・金を増やす。(仕事を頑張る、転職する、副業する、NISAをやる、支出を減らす、家賃が安い所に引っ越す、スマホ料金を減らすため格安SIMに乗り換える、障害者の場合は手帳をもらって障害年金をもらう、などなど…)

もしくは

・金なんて無くてもいいや!と思えるようになる。(どうなろうが、最後には生活保護があるし!と開き直るなど)

のどちらかのみとなります。






「やらなきゃ…」という思いと、「やれない自分」という

心の中と現実にズレが生じると、

心は苦痛を感じるようにできています。




そしてその苦痛が悪化すると、最悪うつ病になります(経験者談)。





だから、幸せを感じるためには

悩む前にさっさとやる

または、

やりたくないこと、できないことは「やらなくていーや!」と考えを変える。

のどちらかを実践しましょう。



そして意外と、

「やらなきゃ」と思い込んでたことも、

やらなくていいや!と思うようにすると、

結果的に「別にやらなくても何の問題もなかった」と分かることも多々あります。



それに気づいていくうちに、心が軽くなります。






うつ病のときも同じです。

うつ病で絶望しているときは、

「さっさと治す」なんてことは出来ません。

だから、とりあえず

「無理に治そうとしなくてもいいや」と考え方を変えてください。


とにかく、「できない」ときは、

徹底的に、自分の未来に対して無責任になって、

「できなくて全然オッケー!」のスタンスでいくこと。





未来を考えない、というのは、最初はむしろ「不安」で出来ないかもしれません。



アリとキリギリスという童話がある通り、

日本人の多くは、「キリギリスになるのは良くないこと」と思い込まされています。



「今を楽しんで将来を心配しないなんて、将来バカを見る」というふうに。





でも現実社会は、将来を憂えてばかりいるアリが絶望しやすい社会です。





童話のアリは、冬がきたら、これまでの蓄えでぬくぬくと平和に暮らしますよね。

でも現実のアリ人間は、たとえ寒い冬がきてもずっと不安は変わらないので、

「将来のために備えよう」をずっと続けます。

その結果、いつまでもしんどくて、いつまでも幸せになれません。




将来を心配して今を楽しむ力がない人は、ずっと「今を楽しめない」状態が続くのです。





ちなみに日本社会には福祉というのがあって、キリギリス人間も、役所に行けば野垂れ死ぬことはありません。

だから、一旦全部手放して、未来を心配するのをやめましょう。






そうやってしっかり心の療養をしていると、

そのうちに自然と元気が出てきます。

そうすると、自然と頭と体が動いて、行動で対処したくなります。



動けるようになってから動けばいいのです。

とりあえず、絶望感にとらわれている間は、

なーんにも出来なくても、こんな精神状態で、生きてるだけで偉い!

と自分を褒めてあげてください。

過去のことを考えないようにする

それから次に「過去」を考えないようにするコツについてです。



「今に生きよう」としても、これまでの人生で味わった嫌な記憶がそれを邪魔することがあると思います。

過去の出来事次第では、なかなかその苦しみの解消が難しい場合もあります。



▼私が過去の嫌な思い出を完全に解消した方法はこちら


私も学生時代は苦痛や生きづらさを抱えて生きてはいましたが、

上の記事に書いた方法で、そのほとんどを自分の中で消化し、今では過去のことを思い返しても特に嫌な気持ちになることはありません。




ただ、私はトラウマになるほどの地獄のような思い出、というほど悪い記憶はありませんでした。

私よりも、もっと大きな嫌な記憶を抱えて生きている人も沢山いると思います。




本当に苦しい思い出を解消するには、専門家にカウンセリングを受けた方が良いケースもあるかもしれません。







一つ言えるのは、過去にあったことと、今現在の自分は、完全に切り離して良い、ということ。

過去に何があったとしても、

今現在のあなたは、「今ここにいるあなた」でしかないのです。



考えても分からない過去の出来事については、


「私には分からない。意味不明。以上!」と割り切って良いのです。

過去のことと今のあなたはもはや何の関係もありません。



今現在どうにもできないこと、

つまり過去の嫌な思い出や未来への不安に思い悩む必要は、

本当は一切ありません。

過去と未来を置いておき、今に集中する


過去や未来のことを考えることは、幸せに生きるためには必要のないものです。

過去や未来のことを考える時間が少なければ少ないほど、幸せになれます



 

稼げなくてもいーや!だってご飯は変わらずおいしいだもん。

恋人がいなくたっていーや!だって自分の好きなことに没頭できるんだもん。

頑張らなくていーや!だってストレスなくて楽なんだもん!!(←これ重要)

 

 

何が起こるかも分からない将来なんて知るか。

「今」に全集中しろ。

何をしたら幸せになれるか」を考えて行動するのだ。

 

「私は今ドーナツを食べたら幸せになれる気がする!」

ならドーナツを買いに行って食べなさい。

 

「私は今掃除をさぼって休みたい!しんどい!」

ならソファでごろごろしなさい。

ソファが無いなら買ったって良い。自分の幸せのために。

 そうやって、「今」の幸せのために生きなさい。

あたかもわがままな恋人を甘やかすように、自分のことを扱うのだ。 

 

 

 

「今」

確かなことは、「今」だけです。




だけど、本当に日本人は「耐え難きを耐え」精神が好き。

困難に耐える人、というのは、耐え癖がついて、

自分が自ら困難を引き受けていることになかなか気付けません。

(自分が経験者なのでよく分かります。)




 
逃げようと思えば困難を逃れられるのに、

逃げちゃいけないとか、

困難に耐えるのが美徳だとか、

人生ちょっとぐらい辛いのが普通だとか、思ってしまっているのです。




でも、違います。




ストレスゼロで生きている人だっているし(私のように)、

あなただってそのように生きることができます。

あなたが気付きさえすれば





今の私は、ちょっとでもストレスになりそうなことからは、

一瞬で逃げます。

そもそも、ストレスになりそうなことには近づきません。

(おかげで人付き合いもぐっと厳選され、ほとんど友達付き合いはしません。
人それぞれだと思いますが、私はこの状態が一番幸せです。)





逃げた者勝ちです。



逃げることを自分で心から許すことができて、

「ストレスの無いハッピーハッピーな状態」に慣れてしまうと、

「もうあんな気持ちに陥りたくない」という気持ちになります。




だから、その後もずっと、

「あ、これは近づくと幸福度が下がるやつだな」

と、物事に対して敏感に幸せセンサーが働いて、

うまくするりとかわせるようになります。

自分の心情に責任を持って対処すれば、幸福というリターンが返ってくる

今や私は、過去のモヤモヤも将来の不安もほとんどない。

不思議なくらい悩みがない。

 

それは、これまで自分にしてきたことやしたいこと、

生きたい生き方、過去を見つめて「清算」をしてきたから。

 

心の中の重い荷物を一つずつ整理して、

心の中の色んな悲しみ、憂い、傷を清算してきたから。





自分の心のお掃除は、自分自身以外、誰にもできないことだ。

 あなたの心の状態は、あなたに責任がある。

つまり、あなた次第で変えられる。

 

そうやって自分の幸せに責任を持った分、幸せを手にすることができる。

それは自分にしかできないこと。

あなたにしかできないこと。

 

悩みたくなければ、その悩みをどうしたら解消できるか、心の奥の奥まで探ってみて。

心の根っこにある「一番の悩みの種」、

つまり「苦痛を生み出している自分の考え方の根っこ」を探してみて。




それを見つけた瞬間、

胸をえぐられるように苦しくなることもある。

情けなくて恥ずかしくて、目を逸らしたくなるかもしれない。

 

これまで見えないように、感じないように蓋をしてきた部分だからだ。



 

だけど、それを見つけられさえすれば、もうあと一息。

その苦しみの種が存在することから目を逸らさず、否定せず、自分で認めてあげて、

あとはその種を潰すことに全集中すればいい。



その「苦しみの種」が解消できたとき、雲の上のように幸せな毎日が待っている。

何も悩み事のない、夢に見たような世界。

 

もちろん、生きていれば、また別のモヤモヤや苦しみに出会うこともあるだろう。

そうしたら、またその苦しみの種を探し、その存在を緩し、それを解消するにはどうしたらいいか考え尽くして、実践する。



それを繰り返すことで、段々「自分を幸せに維持する方法」が分かってくる。

 

もし、今まであまり幸せじゃない気持ちで生きてきたのなら、

今「何もしない」「今までの自分の考え方を変えない」ままだったら、

「この先も今まで通り、それほど幸せじゃない人生」を送ることになってしまうかもしれない。




だけど、幸せに生きる考え方というのは、訓練で身に着けられるのだ。





「絶望したまま生きるのは嫌だ」という思いを、

心機一転、「自分を変えたいという原動力」に昇華してみよう



▼何かを変えたいという気力が出てきたら、これらの記事を参考に幸せに生きる考え方を実践してみてほしい。


誰も自分を変えてはくれない。

どこからか幸せを持ってきてはくれない。





逆に、自分で変えられる。

自分を変えることは、誰かに幸せにしてもらうよりも、ずっと、うんと簡単である。

だって他人なんて全然思い通りにならないんだもの。





幸福度を決めるのは、環境でも運でもない。

あなたの選択次第だ。

うつ病かもと思ったら、病院へGO

絶望とは、

希望や幸せを感じたいと、心が声を枯らして叫んで、

叫びすぎて、声も出なくなった状態だ。



そう。そのままでは、とても危険




絶望は、度が過ぎると、「このままじゃ嫌だ」と思うことすらできなくなる。

うっすらと、もうずっと暗い場所に閉じこもっていたいような、もうどうにもならないような。

あなたがそんな状態だとしたら、もしかしたら、うつ病かもしれない



だとすると、その絶望は、単なる「思い込み」を超えて、「病気の症状」なのだ。



「うつ病」の症状ならば、医療・薬の力を頼った方が良い場合がある。


病気なので、脳の中の神経伝達物質が少なくなっているとか、そういう「体の問題」が原因になっているのだ。

「体の異常」を「考え方」だけで治そうとするのは、やや困難な場合も多い。





私は、うつ病で、抗うつ薬を飲んでいた。

服薬のおかげで、「考え方を変える」という自分なりの治療法もあわせて行っていたのもあり、

結果的に、かなり早いスピードで良くなった。


慢性的な絶望感があるならば、力を振り絞ってでも、心療内科や精神科に行ってみてほしい。

家族や知人など、頼れる他人がいるならば、強引に連れていってもらっても良いくらいだ。




▼抗うつ薬、薬を飲むことの意義については、ここで詳しく説明しています


病気の場合、自力で何とかしなきゃなんて思わなくてもいい。

風邪と違って、「放っておいたら治る」レベルじゃない可能性もある。



大病にかかったら、とりあえず病院に行きますよね。

毎日絶望感に苛まれている、というのは、うつ病のかなり悪い方です。

毎日うっすらと絶望感を感じていると、自分が病的だと気付かずに、その状態が当たり前に思うかもしれませんが、当たり前ではないです。




普通は、毎日絶望感に苛まれたりしません


自分が「病的だ」ということに、どうか気付いてください。



そして、身なりなんて別に整えなくていいので、とりあえず病院へGO!

絶望とは、思考の偏り

本人は「八方塞がり」「もう絶望的だ」と感じていても、

実際にはそれは「思考の偏り」であったり、「視野が狭くなってしまっている」ことが原因です。




絶望感というのは、実は、「ただ1つ(もしくは2、3個)の希望が失われただけ」のケースも多いのです。



「僕はこういう生き方がしたかった。でも、それはおそらく叶わないだろう」

という風に、

「自分が思い描いた一つの理想形」から現実が乖離してしまっただけ。





例えば、極端な例で言うと、

「僕は東大に行きたかったのに、合格しなかった。だからもう二度と幸せになんかなれない」

といった感じです。





他人からすれば、

「いや、他にも幸せに生きる道はいくらでもあるよ?」

などと思えるのですが、本人は絶望しているのです。




東大は極端だとしても、

「こういう職に就きたかったのに、叶わなかった」とか、

「恋人が欲しいのに、できない」というパターンもあり得ます。

大切な人や何かを失った、というケースもあるでしょう。




そういうのが一つ、もしくは何個か組み合わさって、「絶望感」が形成されているのです。





そういった場合は、

自分が何を望んでいたのか、何が叶わずに絶望しているのかを解明し、

「こうでなきゃ幸せになれない」という自分の中の固定観念を取っ払う必要があります。




確実に絶望感を取り払う方法とは、

上の例で言うと「東大に入る以外の方法で幸せになることを自分に許す」という方法です。

(東大に受かるよう努力する、という人生はもちろんありですが、この方法だと、入試の合否というのは不確実なので、「絶対に絶望感を解消できる方法」とは言えません)



でも、「他の方法で幸せになってもいいじゃん」と考え方を変えるのは、簡単なことではありません。




その人は、もしかしたら子供の頃からずっと「東大に入りたい!」と憧れてきたのかもしれません。

その夢を原動力に生きてきたのかもしれません。

そうすると、「東大に入る以外の人生」を選ぶには、自分のこれまでの人生観を全否定しなければならないからです。



「今までの自分の思いを否定する」ということに対し、人は、ものすごく抵抗感を抱きます。

それは、あなたが心の中で実はとても大切にしてきた思いだからです。





心のどこかで、ずっと追い求めてきたもの。

自分の人生から失われてしまった、大切な何か。





そこで「他のことに目を向けて、他に幸せになれる道を探そうぜ!」などと言われても、

「こっちの気持ちも知らないくせに」としか思えないかもしれません。




・・・だけど、


欲しかったものが、手元にないのが、現実。





もしも絶望感を、現実で、根本的に取り払いたいのなら、

「自分が幸せに思える道は、これしかない」という思考の偏りを解消するしか、無いのです。




「こうでないと幸せになれない」というのは、思い込みです。

あなたの想像の世界です。


この世で一番「絶望する可能性が低い人」というのは、

めちゃくちゃ成功した人でも、生まれつき家柄や才能や容姿やら何やらに恵まれた人でもありません。


「幸福に条件をつけない人」です。



どうしても今、絶望感が拭えないのなら、まずは絶望感に浸って構いません。



ですが、

次に、選んでください。



1.「このまま絶望感を抱いて生き続けるか」

2.「打ち砕かれた望みを諦めきれず、それに向かって努力し続けるか」

3.「今までの望みを捨てて、手段を選ばずに”自分の幸福感”を第一に追及するか」


もし3を選ぶ場合は、↓この記事にその方法を詳しく書いています。


最後に

絶望感を払拭するための方法を書いてきました。

完全に絶望感が取り払われるまでは、少し時間がかかるかもしれません。



とりあえずは、生きて、食べて、寝て、生きててください。

絶望感という地獄の中で、「生きている」というだけであなたはもう、ものすごく偉いです。すごいです。





そして、少し気力が湧いた時に、このブログに書いてあるような「考え方を変えてみる」ことを、実験と思って実践してみてください。





以上、

過去に絶望から回復した経験から、「もう誰にも絶望感なんて感じてほしくない」と願ってこれを書いている、
筆者からのお願いでした。


▼心の苦痛の緩和方法、色々書いています

このブログの運営者

生きづらさを解消し、幸せに生きる考え方・うつ病の治し方をお伝えしています。
過去にうつ病になり、自分の考え方を変えて完治させた経験があります。

MBTI診断でいう典型的なINFP人間。
モットーは「自分の幸せを第一に生きる」。
現在会社員をやりながらADHDの夫と暮らしています。

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