私がうつになって未来に絶望していた頃に、
その絶望から救ってくれた考え方があります。
それは、
「明日何が起こるかは、誰にもわからない」
ということ。
明日のことは分からない。
自分でふと思いついただけで、誰かに言われたわけではありません。
つまり、
「明日何が起きるか分からないということは、絶望しなくていいということだ。」
そう気づいたのです。
「絶望」というのは、「未来」を決めつけるからこそ生じる気持ちです。
「私の未来はこうなるに違いない」
「私の未来はこうならないに違いない」
と。
そして、その不確かな予想で
「死にたい」という気持ちまで追い込まれることもあります。
明日何が起きるか(世界がひっくり返るかも)分からないから、絶望しなくていい。
「明日何が起きるか分からない」という考えは、
私に「うつの治療」を行うモチベーションを与えてくれました。
それまでは
「どうせ治らない」
「どうせ私は一生このままだ」
と思っていたのを、
「もしかしたら明日治る可能性もある」
「未来はまだ決まっていないのだから」
と思い直させ、希望をもたらしてくれたのです。
私はその一筋の希望に賭けることにしました。
そして色々あって、
今や「今まで生きてきて一番幸せ!」と言えるまで回復しました。
「明日何が起きるかわからない」
というのは、気休めではなく、本当のことです。
明日大地震が起こるかもしれないし、
明日失職するかもしれないし、
明日将来の結婚相手と出会うかもしれない。
コロナだってそうです。
なにひとつ「あり得なくはない」のです。
未来が「わからない」ことは救いであり、責任である
うつの頃、私は誰にともなくこう問い続けていました。
「私はずっとこのままなの?」
「私は一生幸せにはなれないの?」
私はその答えを自分の心の中に探しました。
どこからか「そんなことないよ」
「君は幸せになれるよ」
と約束してくれる声が聞こえてこないかと期待して。
……でも、そんな答えは聞こえてきませんでした。
かわりに、心の底からふと、この答えが浮かび上がったのです。
「先のことはわからない」
私は、それを聞いて一瞬落胆しました。
期待していたものと違う、冷たい答えだったからです。
しかし、次の瞬間、その答えの真意に気づきました。
「わからない、ということは、“私は一生幸せにはなれない”と決まったわけじゃない。
すべては自分次第なのだ」と。
「未来がわからない」ということは、
私たちの夢は何一つ損なわれずに残されたままだということです。
「あなた次第では叶うかもね。でも、何もしないままだと変わらないよ」
と、残酷かつ優しい真理を示してくれています。
私はそのことに気づいて、
「そうか、絶対に100%ダメってものでもないんだ。」と
気持ちが随分穏やかになったのです。
「明日何が起きるか分からない」と思って生きると人生の幸せ度が上がる
この「明日のことは分からない」という考え方は、
「幸せな気分を維持」するのに役に立ちます。
私は、うつが治った今でも、何かに取り組むときは(特に仕事をするとき)
「絶対にうまくいく」とも「絶対にうまくいかない」とも思いません。
「うまくいくかもしれないし、いかないかもしれない」と思って行動しています。
先のことは分からないから、とりあえずやってみるという感じです。
ある意味、何も考えてないと言えるかもしれません。
仕事の電話をかけるときも、
楽しみにしていたレストランに行くときも、
自分が思い描いた通りの展開になるという期待はあまりしないこと。
「どうなるかな。何が起きるかな。わくわく」という感じで行動します。
そうしたら、たとえクレームを言われても、
突然シェフが倒れて臨時休業になっていても、
さっと気持ちを切り替え、予想外の展開を楽しむ余裕ができます。
物事に対しても他人に対しても、
「こうきたらこう対応する」と予測やシミュレーションはしても、
「こうくるはず」とか「こうきてほしい」という「期待」はしない。
そうすれば、どんな事態に転がっても「幸福な状態」でいられるのです。
人生は、予想外のことが起きるもの。
何が起きるか誰にも分かりはしない。
うつが良くならないかどうかも「わからない」し、
この先幸せになれるかどうかも「分からない」。
(ただし、やろうと思えば「幸せな気持ち」になることは誰でもできます。やり方はこちら→自分の幸せを許す方法。私は幸せになってはいけない?)
別に希望に満ちあふれてキラキラしてなくてもいいのです。
わからないものはわからなくて良い。
そして、人は「わからない」うちはなかなか自殺まで思い切れないものです。
わからない、わからないからとりあえず生きていようかな。
わからないけど、薬飲んでみるか。
わからないけど、とりあえず散歩でもしてみようかな。
そんな感じで「うつ」の療養をしてみるのはどうでしょうか。
今に生きることに集中すると、将来の不安が軽くなる
将来への絶望や不安を解消するもうひとつの考え方は、
「今に生きる」ことです。
今感じうる限りの幸せを目一杯感じること。
ご飯がおいしい!
朝日が神々しい!
冬の匂いがしてきた!うひょー!
という感じに。
将来どうなってるかなんて考えても分からないのだから、心配してもしょうがない。
今現在どうにもできないこと、つまり過去の嫌な思い出や未来への不安は思い悩むだけ無駄なこと。
幸せに生きるためには必要のないもので、少なければ少ないほど幸せになれます。
過去の嫌な思い出を解消する方法は、ここでお話ししています。→嫌な記憶を思い出したり罪悪感で苦しいときの解消方法。
(↑要約すると、
「過去の嫌なことは、ひたすら許せ。自分を許せ。他人を許せ。
そして、考えても分からない過去の出来事については、”私には分からない。意味不明。以上!”と割り切れ。
過去のことと今のあなたはもはや何の関係もない。
そうやってモヤモヤを全部吹き飛ばせ。」
ということが書いてあります。)
将来のことを思い悩むのをやめるには、行動するか、思考を変えるかしかありません。
逆に言えば、考え方か行動を変えれば悩みは解決。
例えば、
「受験に受かるには勉強しなきゃ…でもやりたくないな…でも落ちたら嫌だな…」という悩みは、
・勉強する
・「別に受からなくてもいいや」という考えに変える
のどちらかの選択でのみ解決できます。
やらなきゃ…という思いと、できない自分がいつまでも戦っていると、最悪うつになっていきます(かつての私のように)。
だから、幸せを感じるためには
悩む前にさっさとやる
または、
やりたくないこと、できないことは「やらなくていーや!」と思えるようになればいいのです。
やらなきゃと思い込んでたことも、
やらなくていいや!
と思えば、意外となんの問題も無く心が軽くなります。
稼げなくてもいーや!だってご飯は変わらずおいしいだもん。
彼氏がいなくたっていーや!だって好きなだけ”自分”を突き詰められるんだもん。
頑張らなくていーや!だって楽なんだもん!!(←これ重要)
何が起こるかも分からない将来なんて知るか。
今に全集中しろ。
「今何をしたら今幸せになれるか」を考えて行動するのだ。
「私は今ドーナツを食べたら幸せになれる気がする!」
ならドーナツを買いに行きなさい。
「私は今掃除をさぼって休みたい!しんどい!」
ならソファでごろごろしながら映画でも見なさい。
そうやって、「今」の幸せのために生きなさい。
わがままな彼女を手なずけるように。
え?アリとキリギリスがどうしたって?
そんな教訓は○○食らえ!!
私はアリになろうとしたせいでうつになったわ。
おかげで日本ではそこらじゅう不幸なアリまみれじゃ。
「今の幸せ」を目一杯味わわないと損であります。
本当に日本人は「耐え難きを~耐え!」がお好き。
耐えて幸せになってそうな人、いますか。
私はうつを治して初めて「今の幸せを味わう」ことを知りました。
それまでの私は、明日のことや昨日のことを悩みに悩んでばかりで、手ばなしで今を楽しむ感覚なんてありませんでした。
でも、今は「今」に生きています。
休みの日は一切仕事のことは思い出さないし、
逆に仕事中は彼氏の事なんか考えない。
自分の心情に責任を持って対処すれば、幸福というリターンが返ってくる
今や私は、過去のモヤモヤも将来の不安もほとんどない。
不思議なくらい悩みがない。
それは、これまで自分にしてきたことやしたいこと、
生きたい生き方、過去を見つめて「清算」をしてきたからだ。
重たい荷物の整理をして、
心の中の色んな悲しみ、憂い、傷を「洗って」きたからだ。
自分の幸せに責任を持った分、幸せを手にすることができる。
それは自分にしかできないこと。
あなたにしかできないこと。
心配ばかりじゃ何も変わらない。
悩みたくなければ、その悩みをどうしたら解消できるか、心の奥の奥まで探ってみて。
心の根っこにある「一番の悩みの種」に辿り着いた瞬間、
胸をえぐられるように苦しくなることもある。
これまで見えないように、感じないように蓋をしてきた部分だからだ。
だけど、それを乗り越えれば雲の上のように幸せな毎日が待っている。
何も悩み事のない、夢に見たような世界。
それでも私も人間、時々もやもやすることがある。
そうしたら、またそれを解消するにはどうしたらいいか考え尽くして、実践する。
そうして少しずつもやもやの種を乗り越えて、心の器が少しずつ大きくなっていってる感じがします。
その繰り返し。
外から見たらすごく地味で、何も起こっていないように見えるけど、
私の内面はそうやって激動の日々を過ごしている。
だってね。幸せは「幸せに見える人」じゃなくて、
「幸せを感じた者」が勝ちだから。