幸せになりたくない人は、まずは自分の幸せを“許す”ことから
私は、
「うつを癒やすこと」は
「幸せに生きるための道」だと思っています。
そして、うつになった人にこの
「幸せに生きるための道」を辿ってほしいと思っています。
しかし、うつの人に「うつを癒やしましょう。幸せに生きましょう」と言おうとすると、大きな壁にぶつかります。
それは、「うつ」になるような人は
「自分の幸せがそんなに大事?」と思っていたり、
「自分が幸せになるイメージをすると嫌な気持ちになる」場合がある、
ということです。
うつ病になりがちな人は、
「自分の幸せよりも大切なもの、たくさんあるでしょ?」
「世のため人のため、を第一に生きた方が有意義でしょ?」
「そもそも、なんで幸せにならなきゃいけないの?」
という感じで、非常に利他的・自己犠牲的であったりします。
私もそうでした。
「うつ」の治療を通して考え方を変える前は、
そもそも「幸せでいたい」という気持ちが起こりませんでした。
「自分の幸せなんか、他の不幸な人に全部あげちゃっていいから」という感覚。
「自分の幸せは二の次」
「そもそも幸せでいる意義が分からない」
と思っているので、
まずは「自分の幸せを許す」ためにはどうすればいいのか?
というところから始める必要がありました。
自分の幸せを許せない理由
私はまず、なぜ自分が「私自身の幸福」をそこまで求めないのかを考えてみました。
まず、自分が「自分の幸せのために生きる」状態をイメージしてみると、何だかもやもやしました。
そのもやもやは何だろう?
どう頑張っても幸せになれない、ということに気付くのが怖い
一つは、
「どう頑張ったって自分は幸せにはなれない」のではないか、
という恐れでした。
「どう足掻いても自分は幸せになれない」ということに気付いてしまったら?
というのが怖くて、
幸せになるための努力から目を背けてしまっていたのです。
最初から目を背けてしまえば、結果を見なくて済みます。
だけど、最大限努力したのに、幸せになれなかったら・・・。
その時は、「もう何をしても駄目だ」と絶望するしかなくなる。
私はそれが怖くてたまりませんでした。
そして目を背け続けた結果、心の状態がどん底まで落ちていき、やがてうつ病の最悪の症状である自殺願望までが頭を支配していきました。
そこで初めて私は危機感を覚えました。
「このままだと自分は自分を殺してしまう」。そうなる前に、考え方を変えなければ。
どうせ今でも絶望感に満ちていて、これ以下の絶望なんてないんだから、
自分の幸せを一番に生きてみようか。
無理かもしれないが、今の苦しみより悪いなんてことはないだろう。
「これまでの、自分の幸せを二の次にする考え方を変えないと、自分は死ぬ」
そこまで思って初めて、「これ以上悪くなることはないんだし、どうなるかなんて分からないけど、試しに自分の幸せを追い求めてみようか」と徐々に考え方が変わっていったのです。
自分の幸せばかり追い求める自己中な性格になりたくない
それから、二つ目のモヤモヤの理由。
それは、「自分の幸せばかり考えている人」のイメージが、「なんか嫌な奴」だったからでした。
私は、「自分の幸せを追い求める人」をイメージすると、
・自己中
・わがまま
・性格が悪い(悪く見られやすそう)
というネガティブなイメージが思い浮かびました。
つまり私が自分の幸福を求めようとしなかったのは、「良い性格」であろうとしていたからでした。
「自己中な嫌な奴」になりたくなかったのです。
そこで、もう一歩踏み込んで考えました。
私がもし「自分の幸せが第一」をモットーに生きた場合、
「自己中」で「わがまま」で「嫌な奴」になるのだろうか、と。
そして、想像力を働かせた結果、「いや違う」と気づきました。
「私はそもそも、他人に嫌な思いをさせることを“幸せ”とは感じない」
ということに気づいたのです。
私の思う「幸せ」は、「自分も周囲の人々も皆が良い気分でいる状態」でした。
それに気づいてから、私は、
「自分が仮に自分の幸せを第一に生活したとしても、そもそも私は周囲の人が嫌な気持ちになることをしないはず。つまり、”嫌な奴”になってしまうことはないだろう。だから、試しにやってみてもいいのでは?」と思えるようになりました。
幸せの何がそんなに良いのか、実感したことが無いので分からない
三つ目の理由は、悲しい理由ですが、
そもそも私は、小学校に入学してからうつ病になるまで、一度も「手放しで幸せ」な状態を経験したことがありませんでした。
常に心の中は悩みや苦痛に満ちていて、生きていて楽しいことなんて、ほんのわずか。
だから、「幸せって何?おいしいの?」状態だったのです。
例えば、「シャクシューカを食べた方が良いよ!美味しいから!」と言われても、
シャクシューカを食べたことが無ければ「何それ?」と思いますよね。
それと同じで、「自分の幸せを第一にした方が良いよ!」と言われても、
幸せってどういう状態か分からないので、「何それ?」という反応しかできないのです。
「や、何が良いのかよく分かんないし、別にいいです」という感じです。
そんな心の状態で生きてきて、うつ病になって、いつしか死にたいとばかり願うようになって、
「このままじゃ死ぬ」となって初めて、「幸せってのが何か分からないけど、とにかく今の状態は何とかしないとヤバい」と気づいたのです。
・・・だけど、「何とかする」のは簡単ではありませんでした。
「自分の幸せを許せない状態」から、「自分の幸せを許す状態」に心を作り変えるのは、苦痛を伴いました。
なぜか。
それは、
自分がこれまで大切だと思って培ってきた、自らの「軸」の考え方を捨てなければならないことだったからです。
「他人が喜ぶことを優先すること」
「今はしんどくても将来のために努力すること」
「常に向上心を持ち、”こうあるべき”という理想の自分であろうとすること」
そういった、今まで大切に大切にしてきたものを、全部捨てなければならないのです。
私は、そのことにものすごい抵抗を感じました。
「嫌だ!!!」と、心の声が駄々をこねるのを感じました。
「私はそれが大切なんだ!!」
「それを捨てるなんてクズだ!!!」
そう心が悲鳴を上げました。
だけど、そうしないと私はまたいつか自殺しようとしてしまうかもしれないのです。
だから、歯を食いしばって、その抵抗を跳ね除けました。
そして、もう二度と死ぬほどの苦しみを味わうことのないように、
「自分の幸せ」を第一に行動する実験を始めました。
「自分の幸せを第一」に暮らす実験をしてみよう
「自分の幸せを第一」に暮らす実験のやり方は一つです。
・選択肢に迷ったら、「今の自分の幸せ度(=自己満足度)が高くなる方」を選ぶ。
これだけです。
「こうしておけば将来幸せになれるだろう」ではありません。
「今この瞬間」「現在」の自分が幸せになる選択肢だけを選びます。
例えば、
お腹がすいたときに食べたいものを食べる
持っているとテンションが上がるものを買う
見てみたいと思ったものを見に行く。
聞きたくないことは聞かない。
行きたくないところには行かない。
見たくないものは見ない。
こんな暮らしいいなぁ、と思ったことを実践してみる。
最初のうちはかなり戸惑います。
「え、そんなことしていいの?」
「そんな怠け者でいいの?いや、良くないでしょ」
と、元の自分が顔を覗かせることがあります。そんなときは、「いいんだよ!」と全力肯定してください。
他に戸惑うこととしては、
「どんな行動を選べば幸福度が高くなるのかが分からない」ということです。
そもそも、「幸福って何?」というところからなので、分からないのも当然です。
でも、分からないなりに、
「もしかしたらやってみたら幸福度が上がるかも」
という実験的な気分でやってみます。
こうすると、不思議なことが起きていきます。
「私はこんなことが好きだったんだ」という新しい自分を発見できます。
そして、徐々に、生活の質が上がっていくのです。
例えば「食べたあとで後悔しそうなもの(健康に悪そうなもの)」は自然と選ぶことが減り、食生活が改善されました。
「掃除をしたあとはとても気分が良く、幸せ度が上がる。」ことに気づくと、掃除機をかける機会が増えました。
花のある生活に憧れてある日切り花を買ってみて以来、食卓に欠かさず花を生けるようになりました。
服を選ぶときもかなり吟味するようになり、身だしなみに気を遣うようになりました。
もう一つ、不思議なことが起こり始めました。
「自分の幸せを第一」にしたら、逆に人助けをすることが増えたのです。
どれも些細なことなのですが、
倒れかけた自転車を起こす、
落とし物を拾ってあげる、
席を譲る、
道案内する、
など小さな人助けの機会が妙に増えました。
なんと、「自分の幸せを二の次」にしていた頃よりも、体が積極的に動くようになったのです。
手助けが必要そうな人を見つけると、今までは「うーん、どうしよう、見て見ぬふりするか」と少し考える間があったのですが、考える前に体がすっと動くようになるのを感じました。
「自分のために生きたほうが、他人のために行動しやすい」
なんてことは、実験する前は考えもしなかったことで、目から鱗でした。
もちろん、そうなるまでには長い時間がかかりました。
だけど、この実験を根気よく続けていくうちに、どんどん幸せになっていきます。
自分で自分を幸せにすると、幸福のスパイラルが芽生えます。
そしてあることに気がつくのです。
「幸せって、理由とかなしに、無条件に良いものなんだ」と。
自分の幸せを願うことに、理由は必要なかったのです。
「だって、不幸でいるより、幸せな方が良いよね」で良かったのです。
そしてこんなことにも気が付きます。
「自分が幸せでいたほうが、他人にいい影響を与えられる」と。
それまでは、「幸せな奴なんかに、困ってる人は救えない」と思っていました。
だけど本当はその逆で、幸せになった方が、周囲に心から何かしてあげたいという気持ちが生まれるようになりました。
そしてもう一つ気付いた大切なこと。
それは、
「自分のことは自分で幸せにできるのだから、“他人に幸せにしてもらいたい”なんて願う必要はないんだ」
ということです。
自分で自分を幸せにできると無敵。
自己犠牲は「対価を要求する行為」。自分の幸せを優先したほうがいい影響を与えられる
「自分が幸せでいることを優先したほうが、他人にいい影響を与えられる」
というのは私の実感です。
逆に、
「他人の幸せを第一にする人は、他人にいい影響も与えるかもしれないが、同時に“負担”も与えてしまう。」
ということにも思い至りました。
というのも、自己犠牲とは、裏返すと
「これだけのものをあなたのために支払いましたよ」
という「対価を求める行為」です。
対価なんて意識していてもしていなくても、自分の何かを犠牲にした時点でそうなってしまうんです。
だから、「他人の幸せを第一」に考える人の行為は、有難いけど「重い」のです。
例えば、母子の場合。
母親が「私は我が身を犠牲にして、自分の幸せなんか全部なげうって、我が子のために頑張っているのよ」と思いながら育児していると、その母親の「犠牲にした分」が子どもに重くのしかかります。
子どもはそれを感じ取ります。
「母さんがこんなに頑張ってくれてるんだから、母さんを幸せにしてあげなくちゃ」と思うか、
「頼んだわけでもないのに、恩着せがましいクソババア」となるかはわかりませんが、
子どもは何らかの形で母親の「犠牲」の分を返そうと躍起になります。
つまり、母親の自己犠牲が子供の人生を縛ってしまうのです。
だから、子供が一番幸せなのは
「母親が自分の幸せを犠牲にせず、上機嫌で心底楽しく幸せそうにしていること」なのです。
そうすれば、子どもは
「母ちゃんはなんか一人で勝手に楽しくやってるから、俺も俺で自由にやりたいことをやろう」
と、何の重圧もなく自由にのびのびと生きられます。
それでも、自己犠牲精神は美しいものとして語られることが多いです。
美談。
でも、そこには継続性がない。
「うつ」のときには、この世の無数の悲しむ人々の嘆きの声が聞こえてくる気がするときがよくあります。
悲しいニュースを見ると、悲しんでいる人々の泣き声が間近で聞こえてくるような気がして、耐えられなくなることがあります。
そして、優しい人は、嘆く彼らのために祈るのです。
「神様、私のことなんてどうでもいいから彼らを救ってあげてください」
確かに「祈り」や「願い」は、形にすれば人を救うことがあります。
私がよく聴いていて救われた曲があり、
その曲の歌詞に「生きて」というフレーズがありました。その「生きて」からは、作者の祈りのような、強い願いが伝わってきて、私を「死にたい」という気持ちから何度も引き戻してくれました。
だけど、そうやって願いを「形」に残し続けるには、
本人が「元気」である必要があります。
何らかの活動をするならば、ある程度精神も安定していないといけません。
自己犠牲を燃料にしてしまっては、犠牲にするものがなくなった時点で、与えられるものがなくなってしまいます。
多くの人に良い影響を与えている人は、なぜそれができるのでしょう?
より多くの自己犠牲をしているから?
違います。
「それが”自分にとっての喜び”であることを知っているから」です。
他人に何か価値を与えたいならば、「自分の幸せ」「自分の喜び」を強く追い求める必要があります。
私が「うつカフェ」を始められたのも、大きく言えば「自分の幸せ」のためです。
より多くの「うつ」の人が癒されること、救われることが私にとって大きな「幸せ」になるからです。
自分の幸せは自分の責任。他人に幸せにしてもらう必要はない
自分で自分を幸せにできるようになると、
「誰かに幸せにしてもらいたい」という願いが消えていきます。
なぜなら、誰もいなくても幸せだから。
そして「幸せになるのに他人の力は必要ない」、
むしろ「他人には、私を“常に幸せな状態”にすることはできない」
「自分を幸せにできるのは自分しかいない」と気付くのです。
そして、自分を幸せにできていると、
「変な人につけ込まれ」にくくなります。
付き合う相手が変わります。
自分の幸せは自分次第、という責任感があるので、
「この人といても幸せになれないな」と思えば容赦なくスパッと切ることができます。
(下世話な話でいうと、不幸なうちは、例えば既婚者に言い寄られたりしたときに「一人でいるよりは幸せかも…」と浮ついてしまいますが、自分で自分を幸せにできていると、「は?何こいつ、私を幸せにする気ないやん。そんな奴いらん」と一蹴できるようになります)
もちろん、他人といると「一人では味わえない楽しさ、幸福感」を味わえることもあります。
そういうのが味わえる相手とだけ付き合うようにすると、人生は本当に生きやすく楽しくなります。
自分の幸せは自分の責任。
あなたの幸せはあなたの幸せ。
あなたが幸せになることを手伝える人なんていないのです。
なぜ幸せにならなければならないのか、という問いへ
うつが治りたての頃、
「私はもっと幸せになれると思っている」と私が言った際に、誰かにこう返されたことがあります。
「なぜ幸せになるのか…?」と。
私はなぜ幸せになろうとしているのか?
ちょっと考えてみました。
幸せな方が得だから。
幸せな方が気分が良いから。
「なぜ気分が良くなりたいの?」なんて問いはちょっとアホに聞こえます。
だって、「気分が良いと気分が良くなるから」としか言えませんからね。
寒いときに、「なんで温かくなりたいの?」と言われるようなものです。「温かい方が心地よいから」としか言えません。
幸せを求める理由。
強いていうなら、極論、「不幸でいるといつかうつ病になって自殺するかもしれないから」でしょうか。
幸せになってみないと、
幸せでいる“価値”は分からないのかもしれません。
逆に言えば、「幸福」を経験すると、
その追求に理由なんていらないと分かるのです。
だからまずは「自分の幸せを第一に」生きる実験をしてみよう。
そして一度でも、「幸せって、なんかいいかも」と味わってみましょう。
幸せとは、「なる」ものではなく、「する」ものなのです。
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【幸福度の高い人の特徴】本当は誰でも今すぐ幸せになれる方法がある。
▼自分自身を丸ごと許していくとさらに幸福度が上がる
「自分を許す」ことでうつが治り、幸福度が上がる。