「常識」的思考を捨てたら幸せになった。その具体例を挙げたいと思います

目次

誰の常識も、自分が自分になるためには必要ない

現実でもネット上でも、人の数だけ人の意見がある。

「常識ってのは間違ってて、俺が今から言うことが正しいんですよ!これがわからない人は馬鹿!」

という論調のものもある。

でも、人の意見に安易に同調しない方が良い。

その話を正解だと思うかどうかは自分で選択しなければならない。

なぜなら、他人の意見を取り入れることは、自分と遠ざかってしまうことだから。

「そういう人もいるのね」と、同調せずに自分の頭で考える。

自分は自分。他人は他人。違う人間は永遠にわかり会えないし、分かりあえなくてもいい。

お互いの自由を尊重する。

それが幸せに生きる第一歩だ。

ほとんどの「常識」なんて、うつ病しか生まない

うつ病になる前は、私も他人の意見にぐらつきまくりだった。

だからうつ病を期に自分を立て直した。

自分の中にいた「他人目線」をことごとく排除したのである。

そしたらどんどん幸せになっていった。

常識なんか、うつ病しか生まない

自分は自分という特殊事例。

AさんはAさんという特殊事例だし、

BさんはBさんという特殊事例。

よく見ると、「普通」のレールに沿ったまま生きてる人なんてほとんどいない。

皆、特殊事例の集まりなのだ。

だから、どこの誰とも知れない他人に正解を教えてもらわなくて結構。自分の脳みそがあれば十分だ。

そんな私の脳みそがぶっ壊してきた「世間の常識・一般的な見解」の一部を紹介する。

書いてみたらどんどん出てきてキリがないので、代表的なものだけ20個ほど。

1.大学留年したら人生終わり?

むしろ人生始まった。

私はうつ病で2年留年した。

その期間はひたすら自分の幸せを第一に生活するよう心がけた。

その期間があったおかげで、今でも幸福度が毎日上がっていっている。

この留年期間は、就活も一切せず、自分のやりたいことに考えを巡らし、実行する時間だった。

真に重要なのは「留年したか、しないか」ではない、その時間に何をしたかだ。

私は症状がひどくて本当に死にたくて辛いときは動画サイトばかり見ていた。

それを無駄な時間だと言う人がいてもいい。

でも私には、どんなに死にたくても「生」を選び続けたという、今の自分にも勇気を与え続けてくれるかけがえのない時間だった。

幸い、不思議なことに今の会社に拾われて安定した幸せを保っている。

でもまあ、たとえ就職しなくても今頃幸せだっただろう。

どこかで農業をやっていたかもしれないし、絵を描いていたかもしれない。

少なくとも、やりたくもないのに心を擦り減らして就活するよりは留年してよかったと思う。

2.就活しなかったら人生終わり?

私は大学時代、一切全然就活しなかったけど、しなくてよかったと思う。

大学生の頃から、「私は就活しません」と豪語していた。

就活するのが、自分にとってはとても不自然なことだったから

それまでの人生は、勉強や部活に進学、やりたいことだけやってきた。それで生きてこられた。

でも就活の時期になって、初めて「やりたいこと」と「普通の人生のレール」がズレたのだ。

おかげで悩みに悩んでうつ病になったけど、

結果的に「就活なんかしなくて全然良かったな」と思っている。

なぜなら、今ものすごい幸せな生活を手にしているから。「やりたくないことをやらなくても幸せになれる」ことを証明できたのだ。

OLになった理由は単純で、手っ取り早く自立したかったのと、「会社員」というのを一度だけやってみたかったからだ。

「会社って何する所なんだろう」という好奇心。

それで、既卒向けエージェント経由で面接し、一社目で採用された。

ちなみに「アウトロー就活」というのにも参加した。(私のような就活したくない人間が集まる就活イベント)

就活することに不自然さや違和感を抱いている人は、同士の友達ができるので行ってみるのをおすすめする。

あと、就職せず大学卒業した私のような人は、就職したいなら既卒向けエージェントがおすすめ。

効率よく就職できる。

(気になったら 既卒 就職 で検索!)

3.うつ病になったら人生終わり?

うつ病になって、むしろ人生始まった。

私は、「うつ病になってよかったと思ってる人ランキング」があれば1位になれる自信がある。

人が変わるときというのは「このままだとマジでヤバい」状況になったときだ。

うつ病は、幸せに生まれ変わるのに絶好のチャンスなのである。

ただし、「死ぬか、変わるか」を迫られたときに、「変わる」ことを選ぶことができたらの話である。

「死ぬ」を選んでしまうこともあるので、あまりにリスクが高いチャンスではある。

でも、うつ病は(死にさえしなければ)治る。

思考から治していけば、丸っきり生まれ変わったように幸せに生きていくこともできる。

だからうつ病の人にはどうか「人生終わり」と思わずに生きていて頂きたい。

本当に、生きている(息している)だけでいいから。

4.真面目に一生懸命努力することが最善の生き方?

今思えば、学校教育というのは「うつ病になりやすい思考を養成する場」に思えてならない。

真面目に素直に努力をする人がうつ病になりやすい人に育つ。

遊び呆けていても平気な不真面目な人は、うつ病にはなりにくい。

でも、前者のような人だけが掴める幸せもある。

後者の人だけが味わう苦しみもある。

良い・悪い なんてものはない。

ただ「良い」とされる方向が一方向しかないのは、生き苦しさを生む原因になる。

不真面目でいることにも良いところがある。(うつになりにくいとか。)

手を抜くことにも良いことがある。(うつになりにくいとか。)

グレーゾーンをのらりくらりと漂う生き方にも良い面がある。(うつになりにくいとか。)

私はどちらも否定しない。

真面目で努力家だったから、俗に高学歴と言われる大学にも合格できたし、仕事でも評価された。

うつ病の後は、手抜きと不真面目さを覚えてお気楽で幸せな生活を手にした。

その両方を使い分けられたら最高なんじゃなかろうか。

5.不美人に生まれたら不幸?

自分で自分をいい女と思えることができたら、周りから何と言われようが幸せでいられる。

周りに何を言われようと受け流せる。

個人的には、「可愛い」「綺麗」「美人」という言葉で舞い上がる人間にはなりたくない。

容姿を褒められたら、謙虚なふりをしつつ

ええ、そんなこと私が世界で一番分かってますけど」ぐらいに思っておくのが良い。

まあ今どき雰囲気美人も雰囲気イケメンも人工的に作れるんだから、

雰囲気だけ作って錯覚させといたらいいと思うよ。

一番不幸なのは「自分以外の顔になりたい」と思うこと。

自分の顔の凹凸を美しいと思い込む努力は必要はないけど、

ただ受け入れる。こういうもんだと諦めることが実は幸せへの第一歩。

幸せとは、そうやって自分自身に許し許されることから始まるものなのだ。

不美人が雰囲気美人になるために奮闘した話:

・不美人による外見磨きの方法。似合う色・服・髪型を研究した話。

好きな色の服を着ると幸福度が上がって人生も変わった話

6.芸術・創作方面しか能がない奴(INFP)はクズ?

はい、MBTI診断の「INFP」型という、俗にいう「クズ」と噂されがちな人種の代表です。

実用的・批判的な思考に欠ける人間だと自覚しています。

でもちゃんと会社ではやっていけてるし、自立してる。自分でも意外なことに。

(感覚的には、会社は趣味で行ってるだけで、プライベートでやってる作曲や執筆の方を本業だと思ってるけどね。)

大事なのは、こういう「性格分類」みたいなのを信じすぎないこと。

人間、0か100かじゃないんだから、誰だって色んな能力をちょっとずつ持っていてちょっとずつ欠けている。

「私は○○ができない」と思い過ぎないこと。

「皆は○○ができる」とも思い過ぎないこと。

(INFPが幸せに生きるための心がけ:INFPは社会不適合者?病みやすい?INFPの社会適応術

むしろINFPの人は「私は創作においては天才。これは神から授かりし才能。AIにも取って代われない能力だ。お前たちが逆立ちしても敵うまい」ぐらいに思っていていいと思う。

7.結婚しない女は不幸?

私の幸福度をがらりと変えたのは、思考を変えてうつ病を完治させて生まれ変わったこと。

そのときに「自分自身と永遠の愛を誓い合った」ことだ。

正直それさえできれば、その後で何が起ころうが起きまいが、幸福度の違いは微々たるものである。

赤の他人と永遠の愛を誓い合ったとしても、幸せになれるとは限らない。

でも、自分自身と永遠の愛を誓い合えば、その瞬間から幸福度はカンスト状態になる

本当に不幸なのは、誰に愛されようが「自分自身を嫌っている人」である。

8.彼氏や旦那が無職だったり高収入じゃなかったりしたら負け犬?

私が彼氏と付き合ったとき、彼は無職でした。

私も無職でした。

大学時代の後半はうつ病を治すこと(自分を幸せにすること)だけに注力していたから。

だから知っていた。

「無職であることと、その人の人間性の良し悪しは関係ない」と。

いや、むしろ無職を経験した人は面白くて魅力的な人がよくいる

人生を突き詰めて考えたことがある人が多いのだ。

そういう「底の深い」人(※闇が深い人ではない)が私は好きで、どうしても好奇心を刺激されてお近づきになりたくなる。

彼のことも、その人間性を見て「ありだわ」と思って付き合った。

でも夢は見ていなかった。期待もしなかった。

だから一時は真剣に悩んだ。このまま一緒にいるのはありか・なしか。

(似た悩みを抱えている人へ:無職の彼氏との付き合い方・別れるか迷った時の12のアドバイス【経験者談】 )

今では彼も仕事をしていて、会社員の私の収入に追いつこうとしている。(私の見立て通り?)

お金がないと不安になる。不安は幸福感を減らしていく。

だから、不安は少ないほうが良い。

ある程度の収入までは幸福度と比例するなら、やはりある程度稼げていた方が幸せなのだろう。

私は、昇進して自分の収入に不安を感じなくなった頃に、彼の収入がどうでもよくなった。

旦那の収入を過剰に気にするのは、それだけ自分の稼ぐ力に不安があることの裏返しなのだろう。

(これに関してはここで熱弁してます:結婚を渋られるのは男に経済的に頼る気満々だからよ。女たちよ自立せよ

それから、本当の負け犬とは、

自分のことを負け犬だと思い込んで不幸な気持ちのまま生きる人や、

自分がいつ「負け犬」になるかとビクビクしながら不安に生きている人だ。

この世に勝ち負けがあるとしたら、収入にかかわらず、幸せを感じたもの勝ちだ。

そういう意味では、自分を幸せに保てる人は一生勝ち組だし、

他人に幸せを依存してしまう人は事あるごとに負け組になってしまうのかもしれない。

私は、彼の収入ではなく、「彼といて自分が幸せかどうか」だけを付き合いを続けるかどうかの判断基準にしている。

どんな高スペックでも、私の幸せを阻害するような男は要らないね。

9.会社員はみんな不幸?

会社?

超絶楽しいです。すいません。

仕事が楽しいことの他に、

安定した収入による生活水準と心の安定、

自己効力感の養成、

余計な人間関係の排除、

適度に人と接するので寂しさ軽減、

生活リズムが整うこと、

一人じゃできないこと(能力の凹凸)を皆で補い合える有り難さ。

おいしいことずくめです。まだまだ会社員の立場は手放せません。

(逆に楽しすぎて危機感抱くぐらい:仕事が楽しいってやばいんじゃないかと危機感を抱く新境地

でも、搾取されないように、うまいこと自分の幸せを維持できるように努めている。

要するに会社でも「自分の幸せ第一」に行動している。

それが許されない会社なら、迷いなく辞めます。

10.賞賛を浴びている人ほど凄い・偉い・幸せ?

承認欲求に頼るといつまでも満たされない。

私が一番頭が下がるのは、「何者でもないのに幸せに生きている人」。

おばあちゃん世代の女性とかね。

社会に出ず家庭を守ってきて、SNSもない時代に「奥」さんをやり続けてきた人とか。

私はまだ未熟者でつい「何者かになりたい」「何かを成し遂げてもっと自尊心を高めたい」「社会で認められたい」と思ってしまっている節がある。

一番幸せなのは、自分の評価だけで生きている人。

「凄いね」と言われても何も喜ばないし、

「大したことないな」と言われても何も傷つかない人。

自分のしたことに納得いっていれば心底満足できる人。そんな人間になりたい。

それができてる人は皆、心から満たされて人生楽しんでる。

11.モテる奴の方が幸せ?

100人にモテるより、自分自身と深く愛し合えた方が幸せだ。

海外でだけモテを経験したことある(日本人女子あるある)けど、経済的にちょっと得することはあるが幸福度には何ら影響しない。

モテる人は、自然界というか人類全体から見たら「子孫を残しやすそうな個体」だから都合がいいだろうと思う。

種の繁栄に寄与してくれる存在だからね。

でも、自然界にとって都合が良いことが、すなわち個人の「幸福」に繋がるのだろうか?

人間というのはもう少しこじらせてるように見える。

少なくとも私は、何の興味もない人に100回愛してると言われてもうんざりするだけである。

それで喜ぶ人は、何というか、単純だなぁと思う。(それはそれで幸せなのか?)

12.料理や家事ができない女は幸せになれない?

性別にかかわらず、自分がおいしいと思える料理を作れることは楽しいと思う。

自分が快適だと思える住居環境を維持できる人は幸せだと思う。

でも、「(旦那に)やってあげる」精神の持ち主は絶対にいつか不満を抱く。

いつも自分の快適さのために行動しておけば、何ができようができまいが幸福度には関係ない。

「いつか出会う誰かのために」する努力ほど幸せと逆行しているものはない。

「今」「現在」「私が」幸せでいられる環境のために行動すること。それが一番の幸せへの近道。

ちなみにうちは彼氏が毎食作ってくれる。

だから私は全く料理しなくても幸せである。

女が料理できるべき(するべき)なんてのは、時代錯誤よ。

13.弱点は克服すべき?

他人には難なくできて自分には難しいこと。

自分では難なくできて他人には難しいこと。

人数がある程度いる組織でなら、それを生かさないなんて非効率的過ぎませんか?

もし会社で「何をどうしていいかわからない、今後もわかるようになる気がしない」ような、

苦手な業務につかされたり不向きな部署に配属されているなら、

あなたが悪いのではなく、その会社の人事に見る目がないだけのこと。

個人事業主なら、嫌でもやらなきゃならないことが出てくるかもしれないが。

私は、今さらわざわざ苦手なことを克服しようとする不毛な努力はしない。(必要だと思えば、しんどくない程度にするけど。)

そんな時間があったら自分の才能を磨きたい。

特筆するところのない人間になるくらいなら、一点だけでも抜きん出ていたい。

14.自分の幸せよりも他人のために生きた方が幸せ?

あなたのために自己犠牲しろってことですか?

嫌です。

こういうことを言う人は、「自分の幸せのために生きている利己的な人間」が嫌いなのだ。

うつ病になる前の私もそうだった。

わがまま娘になりたくない。

心優しく博愛精神に満ちた人間でありたい。

そんな昔の私に言いたい。

お前に他人の幸せの何が分かる

15.自己犠牲は美徳?

もし私の母が何かを犠牲にして私を育てていたとしたら、

私は母に負い目を感じる子供になっていただろう。

「恩返ししなきゃ」と義務感を抱いたことだろう。

私の母は、私が育つ姿を見るとき、いつも幸せそうだった。

母は私のために自分の幸せを犠牲にしてはいなかったと思う。

実際は、母は実にたくさんのことを私のために犠牲にしてきたことだろう。

そしてこれからも、私に何かあれば何を犠牲にしてでも助けてくれるだろう。

でも、私にそれを感じさせなかった。

自己犠牲は、相手に気づかれた時点で失敗である。

見返りを求めないどんなに美しい動機からであっても、相手に「自己犠牲させてしまった」と思わせた時点で、恩を着せるという負担を与えてしまう。

自己犠牲もいとわない深い愛が人の心を打つのであって、自己犠牲自体が美しいわけではない。

そして、愛のわかりやすい表現として自己犠牲が取り上げられることが多いのだが、

実際に最も深い愛が行き着く先は、相手に何かを費やすことではなく、自立と無制限の自由を与えることなのだ。

つまり「何もしない」ことが愛の表現となる。

ただ、それだと分かりにくくて地味なので、創作物などでは表現されにくい。

愛には、自己犠牲以外にも方法はあるのだ。

16.幸せになりたいなら努力が必要?

「しんどくならない努力」「不幸な気持ちにならない努力」なら必要です。

幸せになるための努力というのは、実は全くもってしんどくない。

(もし楽しさよりもしんどさの方が大きければ、やり方を間違ってるということだ。)

幸せになる努力っていうのは、例えば

・好きなものを好きなだけ食べる努力

・定時過ぎに退社して、ウィンドウショッピングして帰る努力

・晩ご飯食べながらビール飲んでだらだらと映画を見る努力

・洗濯物が溜まってきたけどまぁ明日でいいやと自分を許す努力

・飼ってる熱帯魚を見ながらぼーっとする努力

・入浴剤を入れてお風呂に浸かる努力

・明日も気持ちよく仕事するために23時に寝る努力

・朝起きてコーヒーを味わう努力

というものだ。

幸せになる努力というのは、しんどくないように生きる努力なのである。

「努力をしない努力」と言ってもいい。

そんな生き方を自分に許すことができれば、幸せへと一直線だ。

17.真面目に一生懸命仕事したら報われる?

私はうつ病を期に完璧主義をやめた。

仕事でも、日常生活でも。

いつも、7割か8割ぐらいまでやって、さっさと上司に見てもらう。自分に10なんて求めない。

真面目さの方向も変えた。

いくら向上心があっても24時間気を張っていると病むことが分かったから。

脳みそにゆとりを保つためにぼーっとするのも仕事のうちと思っている。

現状を打開するアイデアは大体家のソファでぼーっとしてるときとか散歩中とかに浮かぶから、そういう時間も役に立っている。

その時間を確保するための仕事効率化の努力は惜しまない。

それから、体調管理のために、定時過ぎに一番乗りで帰るのも仕事のうちと思っている。

早く帰って睡眠をしっかりとれば、毎日最高のコンディションで仕事ができる。

「遅くまで残業してる人、時間はかかってもみっちり10まで詰めてくる人、常に忙しそうな人」を評価する会社にいたら、私はクビになってただろうか?

幸い、今の会社はそうではないようで、

順調に昇進もさせてくれている。

がむしゃらに一生懸命やって自分を追い詰めている人は、見ていて不安になる。(過去の自分である。)

それよりも、自己管理を徹底できている人の方が信用が置ける。

でも一番幸せなのは

会社からの評価なんかに一喜一憂しない、自己評価で生きている人」だ。

他人に報いを求めたって、期待どおりになどならない。

たとえ会社で評価されてもされなくても、自分自身の満足感が「報い」となる。

たとえ評価されても、自分で「まだまだ」と思ったら、より高い山を登り続ける。

幸せは自分の中だけで生まれるものだから。

18.苦しんだだけ後で幸せになれる?

「あと」っていつですか?転生後?

これを翻訳すると、

せめて後で幸せになれると思わなきゃ苦しいことなんてやってられない」である。

苦しいことから抜け出す勇気がない人の言い訳とも言える。

今苦しめば後で幸せになれるかもしれないが、なれないかもしれない。

苦しいことに慣れてしまうと、「生きていれば一つぐらい苦しいことがあるのが普通」と思ってしまい、一苦去っても新たな苦しみがどんどん訪れる。

苦しみのない生き方をする方法はもっと簡単である。

「今」、苦しいことをせずに、楽しいことをすることだ。

幸せになるために「苦しみ」という手順を踏む必要は全くない。

よく「楽をすればあとあと後悔する」というけれど、自分の選択に責任を持てていたら後悔なんて生まれる余地がない。

そういう責任をちゃんと自覚していれば、「あのときの自分にとってはあれが最善の選択だった」と胸を張って言えるはずである。

19.恋人ができたら幸せになれるはず?

あなたは、自分で自分を幸せにする方法を知っていますか?

知っているなら、読み飛ばしてください。

(知っている人は、「恋人がいれば幸せになれるはず」なんて考えないので。)

分からない、という人は、

もし恋人ができてもまだ幸せにはなれない。

「誰か早く何とかして私(僕)を幸せにしてぇ〜・・・」なんて依存心がだだ漏れだからです。

私は、うつ病を治したあと、今の彼氏に出会うまでの一人の期間が、ものすごく幸せだった。

全身全霊で「自分」を生きることができる、あの感覚。

純度100%の「私」の人生。

だから実感として「私は恋人がいなくても幸せでいられる」と思う。

彼氏と出会って得たのは、「より大きな幸せ」ではなく、「別の種類の幸せ」に過ぎない。

恋人がいる・いない で幸せの上下関係は生まれないのである。

20.孤独は寂しい?

私にとっては孤独イコール楽園です。

「自分自身」という最愛の家族、恋人、親友がいるから。

うつ病のときはとても寂しかった。

誰と会っても会わなくても、寂しくて狂いそうだった。

そんな私を癒やしてくれたのが私自身の愛だった。

寂しさを解消した方法はここに詳しく書いています:寂しさを本気で解消する、根本的な対処法【寂しくならない性格に生まれ変わる】

一人で何をしても許される。

家の中で髪を振り乱して一人ライブをしようが、50万円のバッグを買おうが、やりたい放題何でも許される。

圧倒的に自由。

一人の自由が好きすぎて、私はSNSもしないし友達も作らない。

SNSをしない理由は、しない方が幸せだし自分の純度が上がるから )

その結果、日々心乱されることなく、平穏幸せに生きております。

21.自殺は悪いこと?

いいえ。

生まれてきた以上、何をするのも自由です。

良い悪いではない。

ただ、悲しむべきことだと思う。

自殺そのもの自体が、というよりも、

「自殺に追い込まれるまで苦しんだ人がいる」という事実が、

私を悲しませる。

その人の未来が奪われたとか、幸せになれたかもしれないのにとか、そんな意見もあるだろうけど、

その人が生きていたからって明るい未来が待っていたとは限らない。

他人の未来という、無責任なことを私は語れない。

ただ、ただ、死ぬほど苦しかったのだな、

と思う。

そんな深い悲しい苦しみを背負っていたのだな、と思う。

そして微かな虚無にしばし陥る。

私はうつ病のときに自殺衝動に何度か襲われたことがあるが、あんな苦痛は誰も味わってはならないものだと思う。

でも、現実に自殺は起きている。

何かが悪いというのなら、多くの人に「自殺するしかない」と思わせてしまう「空気」だ。

家の中。町の中。学校の中。会社の中。

息苦しい空気。

同調的で、レールを外れたものに望みを失わせる空気。

牢屋に入れられているわけでも、手錠にかけられているわけでもないのに、

なぜか「逃げ場がない」「身動きが取れない」と思わせてしまう閉塞的な空気。

だから私は、せめて自分の半径1メートル以内だけでも「息苦しくない自由な空気」をまとっていたい。

そばにいる人を生きづらさから解放してあげられる、

そういう人間に私はなりたい。

もし死にたいほどの苦しみを背負ってる人がいたら、死を希望に生きてもいいと思う。

「いざとなれば死ねばいいや。」

「いつか必ず死ぬんだから。」と。

自殺や、自殺したくなるほどの苦しみは、「あってはならないもの」ではない。

もしも苦しんでいる人がこれを読んでいたら、

自分の苦しみを否定しないでほしい。

痛みを自分で認めてあげてほしい。

「自殺なんかしちゃいけない」なんて思わずに、

「自殺したいほど苦しいんだ」ということを自分に許してあげて、そして一刻も早くそのことを誰かに打ち明けてほしい。

どうしても無理なら、このブログで私が自分のうつ病に寄り添った記事を読んでみてほしい。

生きていれば良いことがある、なんて約束はしない。

でも、誰かの心の苦痛を和らげる力になりたい、という本心からこのブログを書いていることを、私は約束する。

まとめ 自分になって幸せになろう

常識を脱ぎ捨てて「自分になる」ことができると、やりたいこととやってることのギャップがなくなる。

だからストレスのない楽しい生き方ができる。

「自分になると幸せになる」のだ。

普段何を考え、どんな生活習慣で日々を送るのか?

それはどこにも答えがない。

多くの人が「私が正しいから、こうしたほうがいいよ!」と主張する。

それを聞く多くの人が「私は間違ってるのだろうか」と不安になる。

だから、他人の論調に少しでもモヤッとしたら疑問を持とう。

「その方法って、本当に私を幸せにしてくれるのだろうか」って。

例えば「朝○時に起きたら人生が変わる」なんていう主張も、自分が「そうじゃない」と思えば無視していいのだ。

すべての答えは自分が出す。

自分以外の全員が同じことを言っていても、違うと思ったら一人だけ別の方向に進む。

私がやりたいことは、他の人にとってはやるべきじゃないことかもしれない

だったら、やりたいことをやるには誰かの意見を聞くだけ無駄である。

ということは、この記事自体も、本当は誰にとっても必要ないのかもしれない。

このブログの運営者

生きづらさの解消方法・幸せに生きる考え方・うつ病の治し方をお伝えしています。
過去にうつ病になり、考え方を変えることで完治させた経験あり。

モットーは「自分の幸せを第一に生きる」。
現在会社員をやりながらADHDの夫と二人で幸せに暮らしています。

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