結婚する意味やメリットを真剣に考えてみたらマリッジブルーが解消される

来年ぐらいには結婚かな〜」という彼の言葉に

なぜかカチンときた私。

 

それからずっとモヤモヤしている。

 

結婚願望はあったはずなのに、

「いや、やっぱしないほうが良いのでは」

「そもそも結婚って何のためにするの?メリットなくない?」

とか色々思えてきて。

 

これは俗に言うマリッジブルーなのかもしれない(時期的にはちょっと早いけど)。

だから蓋をせずに真剣に向き合ってみる。

 

目次

マリッジブルーは結婚願望の裏返し?

マリッジブルーとは、強い結婚願望の裏返しかもしれない。

 

高校生ぐらいの頃から結婚願望があった。

理由の大半は承認欲求である。

幸せに見られたい。

社会的信用が欲しい。

自分のことを価値ある人間だと思いたい。

 

本当は、結婚しなくたって好きな人とは好きなだけ一緒に暮らせばそれで幸せなはずである。

でもあえて事実婚ではなくきちんと入籍を果たしたいと思うのは、「世間体」という理由にほかならないのではないか。

 

最近はようやくその承認欲求が(消えはせずとも)なりを潜めてきて、

「誰に何を言われようが、自分が幸せならそれでいい」と自己満足の幸せを重視するようになった。

(結婚願望を抑えていった方法:まだ結婚願望と婚活で苦しむの?「結婚したい」結婚教からの脱却 

 

 

それでも、願望は眠れぬ獅子のように胸の底に生きていたらしい。

 

 

 

ここにきてやっと結婚の本質を知る。

それは承認欲求を満たすためのものではなかった。

結婚とは、誰かと責任を持って幸せを作っていかなければならないことだった。

 

 

「結婚」に漠然とふわふわとした幸せなイメージを持っていた夢見る少女は、現実を前に立ちすくむ。

 

ある日突然、別の家族の一員になること。

彼は何も失わないのに、私ばかりが家の名字を捨てなければならないこと。

今は無限にある道が「彼とともに生きる」という一本道に限定されてしまうこと。

自分の言動一つが、これから作るであろう家族に影響を与えてしまうこと。

ボーナスでバッグを買うことが将来の子供の養育費を圧迫するかもしれないこと。

子育てにいっぱいいっぱいになって彼に嫌悪感を抱く時期が来そうな予感がすること。

お金や時間のことで彼に不満をぶつける日々が来るかもしれないこと。

彼と別れたくなる日が来るかもしれないこと。

 

その考えうる苦悩に報いる幸せが、果たして「結婚」の先には待っているのだろうか?

 

こんな心境のまま結婚するなんて、目をつむって滝に飛び込むようなものである。

 

結婚のガワと本質のギャップ。

幸せの本質を考えれば、今の同棲状態が一番安定していて幸せなはずだ。

それなのに、世間体の維持のためだけに結婚したいと思う私の心はどうなっているのか。

 

結婚するのが幸か不幸か、なんて議論には答えがない。

「カメレオンを買うのと飼わないのではどっちが幸せか」と同じぐらい無意味な質問である。

カメレオンを愛せる人は飼ったほうが幸せだし、別に興味がない人は飼わないほうが幸せである。

 

そもそも、幸せになれるかどうかなんて受け身な姿勢では先が思いやられる。

結婚したら、幸せは「維持するように努めなければならないもの」になるのだ。

今の私のような「幸せじゃなくなったらバイバイすればいいや」などという心持ちでは駄目なのだ。

 

 

幸せそうに思えていたものが、真面目に真剣に考えれば考えるほど難しく思えてくる。

 

でも、それが悪いことだとは思わない。

それだけの覚悟が必要な変化なのだということだろう。

「現状維持が一番楽」という、変化を怖れる人間の性による尻込みでもある。

 

 

だとすれば、私に必要なのは

「世間体のために、将来への覚悟を決めて結婚する」か、

「そこまでの覚悟をする気はないし、世間体もどうでもいいから事実婚のままでいい」

かを決断することだ。

 

 

結婚って何のためにするの?

彼との付き合いの始まりは、「将来も見据えて」という彼の言葉からだった。

当時20代前半の当時の私は「いや、将来とかは正直まだいいけど」と思っていた。

 

付き合う段階で彼にはその覚悟があったのだ。

 

日頃からふざけて(映画のプロポーズシーンなどを見て)「俺も結婚する〜!」などとジャブを打ってきてもいた。

なれば「来年あたりには入籍云々〜」と彼が言い出すことも自然な流れである。

 

 

一方、私には「いつか誰かと」という願望はあったけど、覚悟はなかった。

確かに数ヶ月前に同棲は始めた。

「多分これからも彼と一緒にいるんだろうな」という感じがしたから。

 

でもその先は真剣に考えていなかった。

 

そんなある日。

「来年の今頃何してるかな?」と(単に仕事の状況などの意味で)何気なく聞いてみると

「そうやな、来年あたりには結婚かな〜。そういう意味の質問?」と返ってきた。

 

その言葉に、なぜかカチンと来た

 

 

喜びでも不安でもなく、なぜ「怒り」なのか。

 

怒りとは、大切なものを蔑ろにされたときに湧く感情である。

私は、何を蔑ろにされたと感じたのだろう。

 

 

見下された。そう感じたのかもしれない。

何、そろそろ結婚しろって仄めかしてるの?じゃあまぁ、そろそろ潮時だししてあげるよ。それで満足?」と聞こえたのかもしれない。

実際はそんな意味は込められてないと思うけど。

 

 

それと「私があなたと結婚したがってると勝手に決めつけないで」という反発心かもしれない。

勝手に願望を決めつけられるのはムカつくものだ。

 

例えば、

食事デートで会計時に「会計どうする?」と(別々にする?それともまとめて後で清算する?という意味で)聞いたときに、

「奢ってほしいの?」って相手に言われたら「はぁ?」ってなるよね。

私をそんな人間だと思ってんの?と。

 

それと同じで、

私が遠回しに結婚を仄めかすような女だと思ってんの?ハァ?」と曲解してしまったのだ。

別に仄めかすのが悪いわけじゃないけど、私のプライドが許さなかった。

(そう、私が面倒くさい女です。)

 

 

何にしても、彼の返事にムッとしてしまった私は、次にこう聞いてみた。

結婚って何のメリットがあってするの?デメリットしかなくない?」と。

ぶっちゃけ彼を試すための質問でしかないが。

彼は「そういやメリットって何やろ。経済的なメリットといえば〜」と金銭的なメリットを挙げ始めた。

 

「漠然と○○ちゃんと結婚したいと思ってたけど、そういわれると具体的なメリットって無いかなぁ」と、最終的には言われた。

 

 

お互いがどうしてもしたいわけじゃないなら、するべきではない」と私は思った。

私には、彼がなぜ私と結婚したいのかが分からない。

彼にも答えられなかった。

そりゃそうだ。メリット無いのだもの。

 

じゃあ事実婚でいいじゃん」と提案する。

本当はそんなこと微塵も思っていない。

籍も入れずに子供なんかできたら親に顔向けできないと思っている。

 

「確かに…?」と、彼はさほど真剣味のない調子で答える。

 

 

今のままでも充分幸せなはずで、彼も何の責任も負う必要はない。

それなのになぜ結婚などと持ち出すのか

彼にとって結婚とは何なのか、何のためにするものなのか。それが気になって仕方がない。

それを知らない限り、結婚後に私の気持ちがすれ違っていきそうだから。

 

普通そうするものだから」という無責任な選択を、私は許容できないと思う。

 

 

 

例えば、告白のときに「理由は特に思いつかないけどなんか付き合ってほしいです」と言われたって、誰が付き合うかってんだ。

そんなこと言われたって、何がしたいのかが分からない。

せめて相手が好きだとか、一緒にいるほうが楽しいとか幸せとか、何かしらあるだろう。

 

 

結婚も、二人で目的を共有できなければどこを目指していいのかわからない

そして、何のために結婚したのかわからなくなって破綻していく。

 

そんなんじゃ結婚しないほうが断然良い。

 

 

結婚は「ちゃんとする」ためにある?

周りから「結婚してるの?」と聞かれて「まだです」と答えたときに、

何回りも年上の男性が彼に向かってこう言うことが多い。

「ちゃんとけじめのために結婚して、ちゃんと結婚式も挙げてあげないと」と。

 

 

私はとても不思議に思う。

世の男性陣は、なんで一人の女性に対してそこまでしてあげる気になるのか。

なんでそこまでしなきゃならんと思うのか。

 

彼らは既婚者だから、過去の自分の結婚に対して「あの時やってあげてよかった」という満足感を持っているのか、

「やってあげればよかった」と後悔を抱いているのか、そのどっちかなんだろう。

 

でも、なんでそう思うんだろう?

 

 

結婚の目的なんて考えるまでもない、愛する人と幸せに添い遂げること、ただ一つじゃないか。

と言う人が多いかもしれない。

でもそれって同棲するだけでも実現できるよね。

 

 

つまり行き着くところは、結婚とは「ちゃんとする」ため、

つまり「世間様からの信用を得るため」だけにあるのではないか。

 

 

ちゃんとしてあげないと」と、人は彼に言う。

宙ぶらりんの状態のままではなく、別れるのに面倒くさい手続きが必要になるちゃんとした関係になるように、と。

 

今のところ、私が思う結婚の意味とは、

そうやって法律的な枠や外堀を固めることで中身を幸せにしていく努力をせざるを得ない状態にすることだと思ってる。

 

 

結婚してずっと幸せでいられるのは、そういう責任感をしっかりと自分で背負った人なのだと思う。

 

 

彼は情緒も安定していてポジティブだからさほど心配ないだろう。

私と幸せにやっていける自信があるのだろう。

 

 

でも、私は自信ないね。(自信たっぷりな宣言)

 

結婚式の準備で疲れてマリッジブルーにも絶対なるし、

人付き合いが増えれば疲弊すること請け合いだし、

妊娠したらマタニティブルーにも絶対なるし、

赤ちゃんが生まれたら彼を生理的に無理と感じてしまう時期もきっと来るし、

彼のことが「大きな子供」に見えてうっとうしくなる時期もきっと来るし、

今は笑って済ませられている洗濯物干し忘れなどの失敗にもキレ散らかすほど余裕がなくなることもあるだろうし。

 

 

自信はないけど、でもやらなきゃならないんだよね。

というより、やってみたい。

正直に言うと、やってみたくてうずうずしている。

 

 

結婚は、駄目になりそうなときの最後の砦?

同棲して思うけど、二人暮らしの幸せの維持って、めちゃくちゃ面倒臭い。

自分の心を常にメンテナンスしていなきゃならない。

生理前で憂鬱だからって八つ当たりできないし(たまにしてるけど)、疲れていても相手を無視できない。

 

一人であれば、どんなに楽か。

 

でも、それを補って余りある幸せがあるから一緒にいる。

 

 

結婚しても、彼と一緒にいることが幸せじゃなくなる日も来るかもしれない。

そうしたらそのときはその時で、離婚も不可能なわけじゃない。

 

 

それなら結婚してもしなくても、今のまま続けていけばいいのではないか。

 

…本当にそうだろうか?

 

昔、母の結婚式の写真を見ながら母が言っていた。

「こんな豪勢な式挙げちゃって、そのうち駄目になるかもしれないのに、ってねー!」

そう豪快に笑っていた。

 

 

「いつか駄目になるかも」。

…実際に両親のギスギス期もあった。

「あなたが変わらないならもう一緒にやっていけない」と母が父に向かって言い放ったこともある。

 

でも今は仲良くなった。

 

どんな状況でも二人を繋いでいたものは、

ただ「結婚している」という事実そのものだけだったんじゃないか。

 

「私たちはあの時(内心はどうであれ)”ちゃんと”したのだから、ちゃんと幸せに揺り戻す責任がある」と。

それができなければすべてを白紙に戻すという覚悟で。

 

 

そりゃ人間関係は、いつか駄目になることもある。

でも、駄目にならないよう最後まで足掻いてみることもできる。

その努力を最大限引き出すのが「結婚」の役割なのかもしれない。

 

 

「私たち、あの時誓ったね」

「俺たち、幸せになろうと決めたよな」

そういう、「あの時ちゃんとしたのだから」という過去が、二人を繋ぎ止める最後の糸になる。

 

それが、人生の先輩方の言う「ちゃんとしとけよ」というアドバイスの本意なんじゃないか。

 

 

 

結婚とは、始まりではなく、最後の砦である。

 

そう思えば、彼と結婚したい気がしてくる。

 

なぜなら彼は、生まれて初めて一緒に生きていきたいと思えた人だから。

 

 


 

こんなのも:

そもそも彼が結婚に乗り気じゃないときはどうすればいいか→結婚を渋られるのは男に経済的に頼る気満々だからよ。女たちよ自立せよ

結婚願望なんて持たない方が幸せ→まだ結婚願望と婚活で苦しむの?「結婚したい」結婚教からの脱却

 

このブログの運営者

生きづらさの解消方法・幸せに生きる考え方・うつ病の治し方をお伝えしています。
過去にうつ病になり、考え方を変えることで完治させた経験あり。

モットーは「自分の幸せを第一に生きる」。
現在会社員をやりながらADHDの夫と二人で幸せに暮らしています。

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