ADHDの人と、ADHDでない人との同居は難しい、いさかいが絶えない。
という説がある。
しかし、私はADHDの彼との同棲でストレスを溜めたことはない。
よって、「ADHDのパートナーとストレスフリーで同居することは可能」というのが証明できている。
「ADHDの人とうまくやるコツ」がある。
でもそれは、よく考えるとADHDに限らず「誰かと共に幸せに生きるためのコツ」と一緒かもしれない。
結局は「人」と「人」なので、
同居がうまくいくかは
「ADHDかどうか」というよりも
「相手と自分がどういう人間か」による。
大体、他人と同居することでストレスを溜めやすい人は、結局誰と生活してもストレスが溜まりやすい。
逆に許容範囲が広い人は、そこそこの相性の人となら誰とでもほどほどにうまくやる。
私は、自分を許せるようになったから、
彼のことも大抵許せるようになった。
現状を受け入れ、自分に変わることを期待しないようになったから、
彼の現状も受け入れられて、変化を期待することもなくなった。
相手は変えられない。「自分」は変えられる。
要は自分次第。
ということで今回は、
ADHDの彼とストレスなく幸せに暮らすために心がけていることを書いてみようと思う。
ADHDのパートナーとの家事の分担について
ADHDのパートナーとぶつかり合うことの多い、「家事について」の色々。
家事に関しては、以下の四つを心がけていれば、ほとんどストレスは溜まらない。
・家事をちゃんとしない。
・家事は自分のためだけにやる。
・やってほしいことは全部その場で伝える。
・相手のやり方を尊重し、注文をつけない
ADHDの人との火の元として多いのは、
「相手が家事をちゃんとしてくれない!自分ばっかりやっている!」
「いざ家事をやってくれても、やり方が雑!」
「うっかりミスが多い!」
といった不満だ。
ADHDの人は、元々片付けが苦手な(というか興味がない?)うえに、
あることに注意を取られると別のことを忘れたりするので、洗濯機を回して干し忘れたり、おかずを作っても米を炊き忘れていたりする。
集中力が無いというよりは、むしろあり過ぎて「今」に熱中しすぎてしまうのである。
そこで、不満を抱かないコツは
「相手の分もやる」のではなく、
「家事は自分のためだけにやる」こと。
そして「やりたくないことはしない」
「やってほしいことは言う」ことである。
これを心がけて、私はほぼ家事に関するストレスは一切抱いていない。
家事というのは、無限にやる必要はない。
(潔癖の人にとっては、掃除する箇所は無限にあるのかもしれないが・・・)
大抵は
「ここまでやれば許容範囲」
「ここまでやれば快適」
という範囲があるので、その範囲だけやればよいのだ。
そして、二人暮しの場合
お互いの「許容範囲」「快適な範囲」は絶対にズレている。
つまり、人間が二人寄れば
どちらかが「より綺麗好きな方」になり、もう片方が「よりだらしない方」になってしまうのだ。
他人同士である二人は、絶対にわかり合えない。
多分、遺伝子レベルでの違いだから。
だから、
「ちゃんとして!」という言葉は、相手への強要にしかならない。
「ちゃんとしろ」イコール「私の基準に合わせろ」
または「私と同じ感覚を持ちなさい」
という無茶振りをしていることになる。
だから、拒絶したくなる。というか、理解できないので、許容しがたい。
「いや、こっちとしては「ちゃんとしてる」レベルまでやってると思ってるけど?」
と、言いたくなる。
ではどうすればいいか。
それは、「相手がやってくれる」「こちらに合わせてくれる」という前提を捨てること。
そして、家事は「自分がやりたい範囲」でやる。
やりたい範囲外のことは「ちゃんとしない」。
一人暮らしのときはどうしてましたか?
一人で皿を洗い、一人で洗濯物を干し、
一人で掃除してたでしょ。
自分一人のために。
それなのに、二人になった瞬間相手に期待してしまう。
二人暮らししているということは、大人(か、それに近い年齢)同士のはずだ。
期待するなよ。
同居に夢を持つな。
相手は思い通りになんて絶対に動かないんだから。
私は、やりたくないことはやらない。
やりたいことだけやる。
を、徹底している。
ここをキレイにしたいと思ったら掃除する。
「自分自身が快く過ごすため」、ただそれだけのために。
だるいと思ったら何もしない。
「本当は掃除して綺麗にすべきだけど、動くのしんどいわー」と思ったら、絶対掃除しない。
「~~すべき」を、極力排除する。やりたいか、やりたくないかだけ。
自分自身を労わるために。
自分が疲れたくないし、不快になりたくないし、「なんで私ばっかり!」とモヤモヤした気持ちになりたくないから。
逆に、「まあしんどいのは確かだけど、綺麗にした方が自分が気持ち良くなりそう!」と思えば、する。
一人暮らしと同じ感覚でいいのである。
でっかいワンコ(彼のこと)は一匹いるが、
あてにしない。
そしたら全然不満なんて溜まらないのである。
家事というのは本来、
住む人を心地よくするための行為だ。
だから、「綺麗になって気持ちいいな」と思える範囲でだけ掃除すればいい。
「私はせっせと掃除しているのに、あんたは何なのよ!」
と逆に不快になってしまうぐらいなら、
やらなくていいんじゃね?と本気で思う。
私は家事をするとき、自分のことしか考えていない。
「彼のために」なんて、微塵も思わない。
休日の料理も「彼の分まで作るの正直だるいわ~」と思ったら、自分の分しか作らない。
だって「あなたのために」と思うのは見返りを求めることだから。
そして十中八九、私の思う見返りは帰ってこないから。
「彼のパンツがその辺に落ちていたから、畳んでしまってあげた」ところで、
彼はそんなことに気づきもしなければ感謝もしない。
挙句、「いっつもやってあげてるのに!」とこっちの不満が塵積もる。
でも、
「彼のパンツが出しっぱなしになっていると私が嫌だから」
という理由で同じことをすると、
「あー片付いてスッキリ!」と自己完結してしまうのである。
「別に彼のパンツが落ちてても私的にはどうでもいいわ~」と思えば、放置すればいい。
彼がパンツがなくて困ろうが、そんなことは知らん。
(一応言っておくと、私はちゃんと彼に愛情を持っています。とても仲良しです)
私は彼に家事をしてくれることを期待もしていない。
この「期待しない」というのは、「どうせやってくれないよね」と諦める感覚とは違う。
「どうせやってくれない」という気持ちには、「本当はやってほしいけど…」という願望が潜んでいる。
私はその「本当はやってほしいけど」という願望は、一切持たない。
なぜなら、「やってほしい」と思ったその瞬間に、彼に言葉にして伝えているから。(この時の上手な伝え方については後述)
基本的に彼のことは「あ、なんか家の中にいるな~」ぐらいの、「ただそこに存在するもの」だと思っている。それだけ。
私が徹底しているのは、「自分がやりたい分だけ家事する」ということだけ。
例えば、ゴミ出し。面倒くさいのと、朝は出勤準備で忙しいので、私は基本ゴミ出しをしない。
一方彼は不定期のバイト暮らしなので(ADHDあるある通り、定職に就くことが向いていないため)、
時間にも余裕があるからか、結果的にゴミ出しは大体彼がいつの間にかしてくれている。
私としては、「すごいね、ちゃんと曜日を覚えていて、テレワークなのにゴミ出しの時間までにちゃんと早起きして外まで出してくれるなんて」と感心してしまう。
「やってくれない前提」(彼はそこに存在するだけの存在、という認識)でいると、
やってくれてる時にすごく(感謝というよりも)感心してしまう。
「えー、やってくれるんっすねー」と。
で、やってくれたことに気付いたら、
内心では「それぐらいやってくれても当然だよね、私の方が普段いっぱいやってるんだから」と思ったとしても、
「ありがと~~!!助かる~~~!!○○ちゃん/くんは頼りになるなあ~~」と大げさに喜んでおこう。
そうすれば次からもやってくれる確率が高くなる。
大体、生活なんて、各々が快適だと思う環境に各々が整えればいいのだから、
全部「自分で、自分のためだけにやる」でいいのである。
で、たまに相手のために何かしてくれたら、めっちゃ感謝!でいいではないか。
それをどこか「あなたの分もやってあげている」と思うからおかしくなる。
嫌なら彼の分の食器は放置していい。
彼のパンツは洗わなくていい。
洗濯ものを干すときに彼の服が裏返っていたら、裏返しのまま干していい。
自分の事は自分で。
そういうルールにすればいいのだ。
そして、ちょっとぐらい手抜きというか、ぼーっとしていていて用事を忘れがちなくらいの方が、
相手はしっかりしてくれる。
「家事がちゃんとできる人と相手に思われたい」「ちゃんとしてくれていると思われたい」なんて気持ちがあるなら、捨てよう。
よくできた彼女/彼氏/妻/夫 になる必要は、全くない。
あなたが幸せに生活するために、そんなのは一切いらん。
あえてズボラになる。
相手が「自分がしっかりせねば」と多少なりとも危機感を抱いてくれたら、
「計画通り」と内心ほくそ笑む。それくらいしたたかでいよう。
私は同居を始めて2ヶ月経っても、燃えないゴミの日も(相手にやらせるために、あえて)ろくに覚えてなかったもんね。
やってほしいことはその場で伝える
これは意外と難しいのだけど、
やってほしいと思ったことは、すぐに、素直に言うことも重要だ。
彼がゲームに夢中になっているとき、ADHDの特性として、過集中状態になって、声をかけづらいことがある。
「今言ったら面倒くさ・・・って反応されるかな」とか、「楽しんでるの邪魔したら気分を害するかな」とか思うこともあった。
それでも、干す洗濯物が多いときは一緒に干してほしい。
だから、私は、相手の事情はかまわず、「やってほしいな」という気持ちが芽生えたら、すぐに声をかける。
コツとしては、「ゲームばっかしてないで一緒に干してよ!」と怒ったように言うのではなく、
「ゲームしてるところ悪いんだけど・・・」と下手に出るのでもなく、
「○○くん、イイモノがあるよ~!ほら!来てみてみて」と、何の用事かを隠して手を引っ張っていき、
洗濯物が山積みのカゴのある場所までいざなってあげるとか、
「はい!プレゼント!」とにっこり笑って洗いたての湿った彼のパンツを渡してあげれば、意図は伝わる。
伝え方さえ工夫すれば、彼は
「はあ~~?」とか「こいつ~」とか言いつつも
目の奥では笑っている感じで、気分良く手伝ってくれる。
干し終わったら、「二人で干すとはや~い!!」と大げさに喜ぶことも忘れずに。
大げさに喜んで感謝するというのは、いくらアホらしいと思っても、メリットの方が大きいので、ぜひやってほしい。
素直になることは、自分を救うのである。
そうやっていくうちに、相手の中に「洗濯物は二人で干すもの」という認識が植え付けていければしめたものである。
そのうち、私が一人で干しているのを見かけたら自分から手伝ってくれるようになる。
他にも、
「○○くん/ちゃんの作る美味しいパスタ食べたいな~♡ちらっちらっ」→相手の自尊心をくすぐる
「私は食器洗うから、コンロ周り拭いてくれたらとっても助かるし嬉しいな~♡」→自分も半分負担することで平等感を与える
「」→
※ちなみに、やってほしいことを伝えたときに、あなたの気分を害するような反応を見せる奴は、ADHDかどうか以前にパートナーとしてどうなのだろう?と自分の心に聞いてみるべきだ。
あなたの幸せを阻害する人間に、あなたの貴重な時間を費やすべきかどうか、よく考えてみてほしい。
・相手のやり方を尊重し、注文をつけない
ADHDの相手の家事のやり方に文句を言いたくなることもあるだろう。
私が真っ先に思い浮かぶのは、「洗濯物の干し方」だ。
例えば、
・洗濯物を回し終わったあと、気づかずに、もしくは忘れ去って放置していることが時々ある
・干し方が雑。しわがよったまま干す
・裾が折りたたまれた干されていることがある
など。
「やってほしいことは即座に言う」ので、私はまず、一度は彼に伝えた。
「シワはね、こうやって伸ばしてね、干そうね。布が重なってるところは乾かないから広げてね」と、幼稚園の先生みたいな感じで。
そうやって相手に「こうしてほしい」というのは、まず伝えよう。
伝えないと、相手は「このやり方だと相手が不満を覚える」ということを知らずにいるままだから。
でもね、ADHDの彼らはね、あなたがしてほしい通りにできないのです。
もしくは、「いや、僕/私はこのやり方で別に不満はないから」と、変えてくれないこともある。
このときにさ、「絶っ対に許せない」ライン以外は、許してあげよう。そしてそのラインは、極力低くしよう。
例えば、私が「どう足掻いても許せない」ラインというのは、
「ブラジャーの型を歪ませるような干し方をする」(下着はそこそここだわって選んでいて大事にしているので)
「自分の服が生乾き臭で臭い」(自分が来ている服が臭いと気持ち悪くなるし、周囲にも迷惑だから)
の二点だ。
そして、上記以外は許す。
私の服ではなくタオルなら、生乾き臭がしても許す。
干し方がシワシワでも、許す。
洗ったあとで干し忘れていても、全然許す。(においを嗅いでみて、臭ければ洗い直す。セーフならそのまま干す。)
やってくれた家事に文句を言うということは、
相手側は気になっていないことや、どうしても出来ないことを、「私の基準に合わせてちゃんとやってよ!」と強要することだ。
それは相手にとても大きなストレスを与えることだと理解しよう。
あなただって、自分以上に潔癖な人に「もっとここは隅々まで掃除してよ!」と、あなたは気にならないような細かい所までいちいち文句言われると、うんざりするでしょう。
それと同じ思いを、相手は抱く。
だから、「ここは本当に嫌だから、治す努力をしてほしい」と、ちゃんと相手に伝えたうえで、
相手がその通りにできなくても、最低限譲れないライン以外は、
「まあしょうがないね」で許容しよう。
そして、譲れないラインを彼が守れない場合は、自分でやろう。
例えば私の場合、彼がどうしても私のブラジャーを変な干し方するのなら、
洗う予定のブラジャーは彼に洗わせずに別の場所に溜めておいて、あとで自分でまとめて洗濯すればいい。
・ADHDの苦手分野があることも許す
ADHDの人にはどうしても苦手なこともある。
例えば、部屋の片づけ。
彼らは、物の置き場を決めておいて常に物をそこに戻す、ということができない(らしい)。
私は基本的に彼の部屋はノータッチなので、我が家は「他の部屋は綺麗、でも彼の部屋だけ魔窟」という状態がデフォルトだ。
だけど、ガチで足の踏み場がなくなっているのを見かねて、Amazonで棚を買ってあげて、ニトリのカゴを置いてあげて、そこに物を放り込んでいくことを提案してあげた。
もしあなたがパートナーよりも片付けが得意なのであれば、
基本的に「カゴに放り込むだけ」とか、「棚に置くだけ」で済むような収納を工夫してあげるとよい。
(それでも片付くことはまずないが、マイナス50がマイナス30ぐらいにはなるかと思う)
「パンツを畳んで引き出しの中に並べて収納する」なんてことは彼らには逆立ちしてもできないのだ。
できないことを「なんでやらないの?」「こうした方が良いよ」なんて無茶ぶりはやめてあげよう。
経験談としては、
下着を入れるための箱を用意してあげて、そこにぽんぽん入れていくだけでいいよ、という風にしてあげるのが良いと思う。(それでも、その箱には色んなものが積み上げられていっていつか雪崩になるのだけど。)
お互いの生活リズムを合わせず、「一人暮らしと一人暮らし」という感覚で過ごす
私たちは生活リズムを合わせない。
お互い、合わせる気もない。
私が朝起きてから仕事に出る時間まで彼は寝ているし、
私が夜寝てからも彼はずっと起きてゲームをしている。
ADHDなので、集中しだすと止まらないらしいのと、薬(コンサータ)の影響で眠りづらいらしい。
食事も、私は「朝、昼、晩」とものすごく規則的。(幼少期から母親から習慣づけられた)
彼は「昼、夜、夜食」と、数時間ずつ私とズレている。
別に、生活リズムを合わせなくていいのだ。
その方がお互い快適だから。
「もうちょっと早く寝て早く起きたほうがいいよ」
「夜食はやめて朝ごはん食べた方が良いよ」
なんてアドバイスは、いらぬお節介。
確かにそれが正論かもしれないが、相手は自立した大人だ。自由な分、自分の生活にも責任を持ってもらう。
正論での説得も、良かれと思ったアドバイスも、特にADHDの人には無意味である。
自分が自由が大好きだから、彼にも同じように過ごしてもらいたい。
基本的に休日に行きたい場所があれば一人で出かけるし、一人で部屋で引きこもることもある。
彼も、私が何をしていても何も文句は言ってこない。(たとえ言われたとしても変えないけど。)
だからお互いに何もストレスがない。
いくら家族に近い関係でも、他人は他人。
他人同士がうまくやるには、「一人と一人」でなければならない。
そのためには、間取りとしては2DK以上は欲しいところである。
同棲していても、「あ、今ものすごく一人になりたい」という時がやってくる。
他人の「気配」があるだけで邪魔に思えてくることもある。
そんな時に、こっちがわざわざ出かけるのはしゃくである。
なんで自分の家なのにのびのびできないのか、と。
だから、部屋は分かれていなければならない。
うちは私の部屋と、彼の部屋に分かれている。
そのおかげで助かっている。
というか、ワンルームで同棲なんて地獄みたいなことは絶対したくない。
「自分だけの空間」は重要だ。
自由を与え合うことは、お互いを許し合うことである。
許し合える距離を保つために、あえて壁を作るのが、
大人同士の賢い愛し合い方。
幸福な日常は、自分でつくっていくものだという責任感を持つ
もはやADHDとは関係なくてただの「幸せな同棲を送るコツ」になっていっているけど、
「幸福は維持しようと努めなければすぐに壊れる」ことを理解しておかなければならない。
同棲する二人には、自分たちを幸福に保つ責任があるのだ。
疲れているときは、パートナーに対して冷たい対応なんていくらでもできる。
お腹が空いたときにムスっとしていることもできる。
彼がふざけて抱きついてきたときに振りほどくこともできる。
はいはい、と無表情にあしらうこともできる。
彼のする話を「ふーん」と興味なさげに流すこともできる。
彼の小ボケを聞こえなかったかのようにスルーすることもできる。
彼が洗濯物を干し忘れていたら嫌味の連発を食らわすこともできる。
ADHDあるあるの失敗をあげつらい馬鹿にすることだってできる。
愛情ある関係を壊す方法なんて、いくらでも思いつく。
彼を傷つけるナイフなんて無限に持ち合わせている。
関係が壊れるときは、自然に壊れていくのではない。
そういう「行動の選択」の積み重ねの結果なのだ。
だから、それを「しない」。
二人の関係を冷やす行動を「しない」こと、そして関係を温かくする行動を「する」ことで、幸せを積み上げるのだ。
愛情あふれる幸福な日常は、「普通」なんかじゃない。当たり前なんかじゃない。
大切なものを守るという意志と、行動の結果だ。
それが、二人の空間を作る。
相手への愛情を感じていればそれでいい、という考えでは不十分だ。
「本当は愛している」けど、それを表現しない。
「本当は相手が大切だ」けれど、言葉では言わない。
そんな昭和のお父さんのような態度では(昭和のお父さんが読んでいたらすみません)、相手には伝わらない。
表現しない愛情というのは、ただの自己満だ。相手を何も幸せにはしない。
真顔で「あ、洗濯したんだ」と言うか、
笑顔で「お洗濯ありがとー!!!」と言って頬っぺたにキスをするか。
家に帰ってきたときに、「あーあ、疲れた」と言いながら相手に目もくれず部屋を横切るか、
「ただいま~!!」と抱き着いてみるか。
そうすることもできるし、しないこともできる。
そして、その選択はとてつもなく重大なのである。
「たかが」と言われそうなそんなことを積み重ねることで、幸せや、愛情深い関係は維持される。
毎日は勝手に楽しくなんかならない。
自分で楽しくするのだ。
楽しませてもらいたいとか、幸せにしてもらいたいだなんて、自立した大人が考えることではない。
愛情は、メンテナンスしなければ錆びていく。
同棲というものが将来「家庭」という空間を作り上げていくことに繋がるかどうかは、
自分の立ち居振る舞いに、テンションにどれくらい責任を持てるかにかかっていると思われる。
ここはもはや、自分ひとりの家じゃないのだ。
その責任感を苦もなく楽しみながら、はしゃぎ倒したりくつろぎまくったりして、それが幸せを作り上げる。
ADHDかどうかより、心が自立し成熟した者同士かどうかが問題
ADHDの人と同棲して、うまくいくかどうか。ではない。
同棲とは、精神的にも経済的にも自立して成熟した人間同士がすれば、うまくいく。
というか、うまくやっていこうという努力がお互いにできる。
自分の思いを一番大切にしながら相手も思いやる。
些細なことは許し合う。
大事なことほど話し合う。
お互いの基準に共感できなくても、尊重し合う。
同じADHDの中にも、成熟した人もいれば、多分そうでない人もいる。
私は彼とはとても良い関係を築けているが、それは彼が精神的に成熟していて、私が「これは嫌」と訴えたことを「じゃあ嫌がることは止めよう」と努めてくれる、私の声に耳を傾けてくれる、そんな人だからだ。
そういう、人間の本質的なところをクリアしていれば、
ADHDだから生活リズムがハチャメチャだとか、
ゲームを朝までしてるとか、
定職につけないとか(彼は無職です)、
洗濯物の干し方がめちゃくちゃとか、
片付けができないとか、
物をよくなくすとか、
そういった「彼がADHDであるが故に起きる問題」は些末事であり、どうでも良い。
少なくとも、私の「幸せ」にそんな些細なことは何の影響も与えない。
問うべきは、
「私たち、一緒に住んで、お互い尊重し合えるかな?」
である。
ADHDの彼/彼女を、あなたは尊重できますか?
彼/彼女は、あなたを尊重してくれますか?
「パートナーがADHDなせいで困っている、悩んでいる」という方は、
悩む部分をもっと本質的な部分に集中させて良いと思う。
というか、悩んでいるということは、相手がADHDだからではなく、本当は既にもっと根本的な部分に悩んでるんじゃないかな。
「彼/彼女が、私がどうしても嫌だと言っていることを(うっかり?)繰り返しやる」とか。
それ、彼がADHDだからというよりは、「相手が自分の気持ちを軽んじているのでは?」と、相手の人間的な部分をあなたが疑っているから悩んでいるのではないのか。
それって、「ADHDのせいでどうしてもうっかりミスでやってしまう」のかもしれないし、
そうではなく、あなたの気持ちをどこか軽んじているせいかもしれない。
だけど、ADHDであっても、大切な相手が嫌がることというのをちゃんと覚えていて、それをしないという努力ができる人もいる。
逆にADHDじゃなくても、相手が嫌がることを普通にやってしまう人もいる。
問題の奥の奥、その根本まで搔き分けて、そして彼と対話してみて。
「ごめん、それ、本当にできないんだ」ということが、確かにADHDの彼らにはある。
そして、逆に彼らには、私たちには無い美点がある。人にもよるが、
自己効力感の高さだったり、明るさ、元気、ポジティブ、人懐っこさ、行動力、危機察知能力、有事の際の対処能力・・・その他諸々。
それも相手の人格もひっくるめて、お互いに幸せに生活を営んでいく責任が持てる者同士かどうか。
それが一番大事だと思う。
そして、ADHDかどうかに限らず、どちらかがその責任が持てないなら、同棲は解消しても良い。
ADHDのパートナーと同棲し、結婚しても、ストレスゼロで生活できることは、私が証明している。
問題は「ADHDかどうか」じゃない。
「あなた」と「あなたのパートナー」がどうなのか、ということだ。
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