結婚式の披露宴をしないことにしたが後悔は全くない、むしろ解放感がすごい

入籍をした。

といっても3年ぐらいの同棲を経ているので新婚という感じはしない。

挙式を神社で行うことにした。

が、披露宴はしない。

最初はする予定で披露宴会場にも申し込んでいたが、キャンセルした。

約10万円のキャンセル料がかかった。

いい勉強になった。

キャンセルしたあとは解放感がすごい。

「重荷がなくなったーー!」という感じ。

今回は、私が披露宴をしないという決断に至った理由を書きたいと思います。

コロナ禍も経たことで、同じように結婚式をどうしようか迷っている人もいるかと思うので。

目次

披露宴をしなかった理由

披露宴をしないことに決めた理由は、一言で言うと「やる意味がないから」に尽きます。

そもそも結婚式って、何のためにするのか。

  • 親に子の晴れ姿を見せて喜ばせるため?
  • 友人に祝ってもらうため?
  • ウェディングドレスが着られる唯一の機会だから?
  • けじめ?

…解体していくと、どれも「披露宴」でやる必要はない。

私の場合、これらは全部、披露宴をしなくても叶えられることでした。

私は、「皆やってるから」という言葉が嫌いです。

それなのに、「結婚したら、挙式と披露宴は普通するもの」という先入観にあやうく流されそうだった。

私が大事にしている「物事の本質を、そして自分の本心を見極める力」が曇るところでした。

披露宴をしない理由① 神社での挙式で満足だから。それがけじめにも家族への披露にもなる

披露宴をキャンセルするのに一番の決め手になったのが、神社で挙式の申し込みをしたことでした。

挙式を教会式にしなかったのは、単純に私は「キリスト教徒じゃないから」。

過去にクリスチャンの親戚の結婚式に参加したことがあって、その親戚の幼い頃からお世話になっているらしい神父さんを前に誓いを立てているのを見ると、

「ああ、いいなあ……」と思った。本当の教会式は、かくあるべきだと。

一方私は、見ず知らずの、その日しかお会いすることのない神父さんを前に誓う。
キリスト教徒でもないのに聖歌を歌う。

本物のクリスチャンの式に比べて、なんと「まがいもの」感の大きいことだろう。

その違和感を拭いきれず、私は神前式にすることにした。

神前式でやると報告したときの、母の喜び方はすごかった。

テンションの高いスタンプと、「いかに神前式が良いか(そして、自分が教会式でやったことでいかに後悔しているか)」についての長文LINEとを連投してきた。

そんなわけで、神社で挙式をすることで、私も、家族も、お腹いっぱいなわけです。

義母も母もバッチリと留袖を着て、写真撮影をして、そのあとは洋服に着替えて両家でフレンチのコースへお食事に。

それで私は満たされたのである。

下手に披露宴を追加しようものなら、予算を考えてあれも削ってこれも削らなきゃ、この後の段取りはああでこうで、と頭がいっぱいになって、
「神様に誓う」ということの本質が見えなくなってしまいそうだった。

挙式だけをすることで、今やっていることに集中できる。私のキャパの問題かもしれないが、私にはそれが良かった。

私にとって一番大事なのは、両家の家族だ。一番祝ってほしい人たちが駆けつけてくれる中で、なじみのある日本の神に誓う。
そしてその神様はきっと、結婚したあとも末永く見守ってくれる。神社婚は、そんな気にさせる。

  • 披露宴をする理由:親に子の晴れ姿を見せて喜ばせるため

→神社の挙式で白無垢を着ることになったので、母は大喜び。問題ありません。

「披露宴でウェディングドレス姿を披露してほしかった」という思いが両親にあるかどうかは知りません。
もしそう思われていたとしても、私は「披露宴はしない」という自分の意志を曲げません。

(それに、後に書くフォトウェディング当日に両親は駆けつけてくれたので、ウェディングドレス姿も見せてあげられました。)

それに、親の意向が何でしょう。

何でもかんでも親が求めたことに従うようでは、今後の結婚生活が思いやられるというものではないでしょうか。

結婚という節目だからこそ、自分たち夫婦の意志を通すことが、親離れした自立した大人と言えるものではないでしょうか。

それに、我が子の幸せを思う親なら「披露宴をしない人生の方が、私たちは幸せなんだ」と言う子の意志を受け入れてくれるんじゃないかと思います。

披露宴をしない理由② ウェディングドレスを着たければフォトウェディングで叶えられるから

披露宴をやる意味がいよいよなくなりましたが、最後に「ウェディングドレスは着たい」という思いだけが残りました。

でも、その理由だけで披露宴をするのは馬鹿らしい。

だったら、フォトウェディングをすれば良いじゃない。

私はかねてから夫に「ドレスの前撮りはしたい」と伝えていたので、夫に許可を得てフォトウェディングに申し込みました。

ウェディングドレス+カラードレスの2着。昼と夜の両方でロケーション撮影。

披露宴をしないので、そんなにチマチマ節約することもないと思い、やりたいことは全部やることに。

11月から12月にかけて、夜のイルミネーションを背景に写真を撮りたい。

でも昼間の明るい空の下でも撮っておきたい。

白無垢の写真は挙式当日に神社で取るから、ウェディングドレスは都会の街並みの中で撮ってみたい。

私たちがおじいちゃんおばあちゃんになったときに、もし孫がいたら、「この頃は東京に住んでたのよ」と東京の街をバックに(?)撮った写真を見せるの…だろうか。


ドレスが着たいなどという願望は、男性からすれば馬鹿らしいかもしれないが、
私にとっては夢だった。憧れだった。

物心ついた頃から憧れていると言ってもいい。(もちろん、そうじゃない人も沢山いることも承知してます。)

披露宴をしない理由③ 3万円払って祝いに来てもらうのが申し訳ない・個別にパーティをすれば良いから

  • 結婚式や披露宴をするのは、友人に祝ってもらうため

祝いの場というのは、何も披露宴をしなくても設けられる。

披露宴をしない、と決めたあとでは、「3万円持って祝いに来て!」というシステムにすごく不自然な印象を受ける。

というのも、親しい人で「お祝いしたい!」と心から思ってくれる人は、自分から祝いの場を設けてくれるからだ。

私も恐縮ながら「結婚おめでとう!お祝いパーティするから来て!」と言われて食事会や飲み会に招待してもらった。


誕生日とかでも、普通は周囲が祝いの場を設けてあげるものなんじゃないか。
「私たちを祝って!」と招待するのは何となく私は気が乗らない。

こちらからきちんと結婚報告したい友達には、個人的にパーティを開いて招待すれば良い。
わざわざ3万円払ってもらって遠方からきてもらうなんて非合理的だし、申し訳ない。

それに、私や夫の友人たちは、個人の単位が多い。

同窓会みたいに、高校時代の友人グループ、大学の友人グループ、などとグループになっておらず、一人ひとりバラバラなのだ。

そんな互いに面識のない個人単位の友人たちを一堂に集めて、初対面の相手と円卓に座らせて、当日はろくに私たち夫婦とも会話する時間も取れない(会場によっては可能かもしれないが)。

そんな披露宴、友人たちは楽しいだろうか。と思ってしまう。

私たちは何がしたいんだ…と思ってしまう。

呼びたい同窓生が大勢いる夫婦にとっては、披露宴は一度にお祝いしてもらえるので、合理的なのかもしれないと思う。

浮いたお金で色々できる

見積の段階で200何十万円以上になっていたので、料理のメインディッシュはやっぱりこのグレードだろうか、年齢的にも礼儀としても下手なおもてなしはできない、などと気にしだしたら上が見えない。

キャンセルして冷静になって見ると、1日でそんな金額を吹っ飛ばすのってどうなの、という思い。

夫婦で割るにしても、親の援助を受けるとしても、私が稼いできた金をかけるにしても、それだけの意味がそこにあるのか。

いや、無い。

私はそう断言できた。

(まあ新婚旅行と言えるものも行っていないし、結局貯金したままなんですけどね。)

披露宴をやるか迷ってる人へ

そんな結論を出した私も、最初に入籍したときは、当然のように挙式と披露宴をどうしようかという話になり、ゼクシィを買って読み込んで、ブライダルフェアに行きまくっていた。

(そして披露宴会場に本申し込みすらした。)

でも、契約した後から披露宴のことを考えるたびに憂鬱になっている自分に気付き、自分の本当の気持ちに気付いてしまった。


結婚式とセットで披露宴をやるべき、と頭が常識で凝り固まっていたのを、一旦ぶち壊してみたら、解放感がすごかった。

そして今回書いたようなことを考えているうちに、「披露宴、別にやる意義ないじゃん」と思った。


夫に私のそんな気持ちを伝えたときは彼も驚いていたが、私の言い分を説明すると納得してくれたし、その分「お金が浮く」ということに対してちょっと嬉しそうな表情すら見せた。



披露宴をするかどうか迷っている人がいたら、この先後悔するかもしれないなら、やった方が良いかも。

あとになって友達や知人が披露宴をやっている様子を見聞きして「私もやればよかった・・・・・・」などと後で恨みがましい思いで振り返る可能性があるなら、やるべきだと思う。

なぜなら、後あとの結婚生活に響くから。

でも、私のように「本当は全然気が乗らない」「やらなくて済むと思えば気が晴れる」というのなら、やらずに別の手段で「本質的にやりたいこと」を叶えることをおすすめします。

私の場合は、披露宴の準備で絶対にメンタルが不安定になる自信があった。私と逆でお気楽な性格をしている夫にイライラしたりぶつかったりしていただろう。

なんで晴れの日の準備のためにそんなしんどい思いをしなきゃならないのか。

「披露宴、結婚式はするもの」なんて常識は、私が決めたものじゃない。

私の人生は常識になど決定されない。私が決めます。

何事も本質を大切にするという方針を取ったことで、夫婦として、ストレスもなく最高のスタートが切れた、自分たちにとってベストな選択ができたと、私は今でも確信しています。

このブログの運営者

生きづらさの解消方法・幸せに生きる考え方・うつ病の治し方をお伝えしています。
過去にうつ病になり、考え方を変えることで完治させた経験あり。

典型的なINFP人間。
モットーは「自分の幸せを第一に生きる」。
現在会社員をやりながらADHDの夫と暮らしています。

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