夜中に無意識に食べてしまう病、睡眠関連摂食障害

高校3年生の頃、私は大学受験のストレスで
「夜中に無意識に起きて食べ物を漁る病」にかかった。
「睡眠関連摂食障害」と呼ぶらしい。
この「夜中に無意識に食べてしまう病」は、私の悪夢の始まりだった。
同じ悩みを抱えている人がどのくらいいるかは分からない。
もしいたら、安心してほしい。この病は完治する。
その証拠に、私は今では毎夜ぐっすりと8時間眠り、超絶健康的に過ごしている。
私の場合、発症の原因は「大学受験勉強」で自分の心を精神的に追い詰めたことだった。
だけど、その後(私の場合はメンタルケアをおこなったおかげでこの摂食障害はなくなった。
発症の原因は、受験のプレッシャー

私は本来、勉強が楽しくて好きだった。
志望校は高校2年生の夏から京都大学に決めていた。
高校3年生の2学期が始まると「いよいよだな」と試験の日が着々と迫ってくるのを感じる。
勉強楽しい〜なんて言っていられなくなり、次第に精神的な余裕がなくなってくる。
私の「絶対に受かる」という執念は凄まじいものだった。
「勉強してる時間以外は無駄」と思い、息抜きする間もなく机にかじりついた。
勉強しても勉強しても気が収まらなかった。
疲れたら単語集を眺めるなど、「勉強の息抜きに勉強する」ような状態になっていた。
睡眠関連摂食障害の発症

そんなある朝、机の上にお菓子の空き袋が散らばっていた。
うっすらと記憶を辿ると、夜中に起きて食べたことを何となく覚えている。
まるで夢の中の出来事のようだったけれど、現実だった。
それからはほぼ毎朝、私は机の上の「何かを食べた痕跡」を目にすることになる。
食べた(らしき)ものは、バターを使った焼き菓子やクッキー、冷蔵庫の中の唐揚げなど、カロリーの高いものばかり。
同じ病気で、中には寝ぼけながら調理するという人もいるらしいが、私はもっぱらお菓子か調理済みの料理を食べた。
夜中に食べた意識や記憶はいつもうっすらと残っていた。
でも、夜中に起きた時だけは「食べちゃいけない」という自制心はなくなっていて、ただ強烈な食欲だけがあった。
何かをお腹いっぱい食べないと収まらないほどの、激しい食欲が。
炊飯器の中のご飯と、冷蔵庫の中の夕飯の残り物をわざわざ自分の部屋に持って行って食べ、食べると満足する。
そして食器は机に置いたまま、寝てしまう。
朝から胸焼けがひどく、それ以上に、着実に皮下脂肪が増えてゆく自分への嫌悪感が募った。
(それまでの私は、割と食生活に気を付けていて、「○○ちゃん、無駄な肉が全然ない~」と友達に言われるくらいだった。)
女子高生にとって、「太る」というのは地獄の現象である。
しかも、自分の意思で食べてしまうならまだ改善のしようがあるが、夜中にほぼ無意識で食べてしまうので、どうしようもない。
だから毎朝学校に行くときは、「最悪、最悪、最悪…」という言葉が頭の中を渦巻いた。
対策として、晩御飯の量を増やしてみたり、逆に減らしてみたり、
朝ごはんをしっかり食べてみたり減らしてみたりしたけれど、何も変わらなかった。
(後でも書くが、上記の対策にはあまり意味がない。
この症状の「食欲」はあくまで「擬似的に脳が作り出した感覚」なので、食生活を変えてもおそらく変わらない。重要なのはメンタルへのケアである。)
顔の輪郭が丸くなるにつれて、心は刺々しくささくれていった。
そして「ぽっちゃり」へと向かおうとしている自分の見た目が、そして自分が嫌いになっていった。
でも受験勉強は手を緩めるどころか、さらなる情熱を傾けるようになった。
母に連れられて心療内科を受診

もちろん、夜中に何かを食べ漁った残骸や、勝手になくなってゆく食料から、家族(母)も娘のおかしな行動に気が付く。
私は母に相談をした。
そして、母は私を心療内科に連れて行った。
相談するだけでも楽になるからと。
先生は、大柄な体格に似合うおおらかな調子で言った。
「大学受験っていうのは、心が少し異常になって普通なんだよ」と。
勉強のストレス。
絶えることのないプレッシャー。
判定が上がる喜び。
落ちるかもしれない恐怖。
合格を目指す受験生の心は止まることを知らぬジェットコースターである。
普通の日常生活を送る人々とは訳が違う。
医学部受験やら国家試験やらをくぐり抜けてきた「医師」という立場の人が言うと、余計に重みがある。
「苦しいのは受験勉強に追われている今だけだ。ここを通り抜ければ大丈夫」ということだったのかもしれない。
ゆったりと話す先生の様子には、危機感や切羽詰まったものは感じなかった。(患者の深刻な気持ちを助長しないように、あえてそういう態度だったのかもしれない。)
そんな話をされて、眠りやすくなる薬を処方された。
でもそう言われても、「今」苦しいのには変わりない。
私は自分をどんどん嫌いになっていった。
元々、容姿には自信がなかった。
だから、体型だけでも気を付けていたのに。それがなけなしの自尊心につながっていたのに。
「自分の見た目が嫌い」「自分が嫌い」
・・・この思いは、後にうつ病の種となる。
大学合格後に症状はどうなったか

大学には無事合格した。
合格発表を見に行ったときには、過食のストレスをも吹き飛ばすような、爆発的な喜びを感じた。
この喜びを忘れなければ一生幸せでいられる、と思った。
しかし、心の根っこに巣食った「私は自分が嫌い」という思いは消えなかった。
大学生になっても体重が戻らなかったせいである。
BMIでいうと21〜22ぐらいだった。
健康的な数字ではあるが、周囲のほっそりした同級生に比べて自分はなんて醜いんだと心の中で我が身を罵倒していた。
(関節が目立たず、シルエットに丸みがある体型なので余計に太って見えたのだ。)
夜中に起きて無意識に食べ物を食べる頻度は減った。
その代わり、下宿を始めて生活リズムが夜型になっていき、「深夜まで起きていてお腹が空いて普通に食べる」ことが増えた。
だから、このときに睡眠関連摂食障害が治っていたのかはわからない。
このあとうつ病になったのでそれどころじゃなくなったというのもある。
「睡眠関連摂食障害」の原因は快楽への飢え?

私がそうなったのは、明らかに精神の問題が原因だった。
勉強は好きだったが、入試が近づくにつれて楽しみを感じる余裕がなくなった。
本当に時間を惜しんで勉強ばかりしていた。
センター試験(今でいう共通テスト)の前は一日十時間から12時間ぐらいやっていたか。
人は、娯楽を失うと、別の何かに快楽を求めて依存してしまうのだ。
同時の私は、娯楽や遊びは無駄であり、敵であると思い込んでいた。
だけど、そうじゃない。人間が健全に生きるためには、快楽が必要不可欠だ。
それを今の私は実感している。
娯楽とは、心のゆとり。
遊ぶこと。趣味。ぼーっとする時間。
「快い」と感じる時間。
私は受験勉強中は、大好きなピアノも一切弾かなくなっていた。
読書もしなくなり、お菓子作りやパン作りもやめてしまった。
美容院に行く時間すら取らなかった。
その結果、どうなったか。
心身が「喜」「楽」「快」を感じることに飢えてしまう。
しかし、日中に意識がある間はその飢えを満たすことはできない。
理性で行動を抑圧してしまうからだ。
合格発表のその日までは、「楽しいこと」「楽なこと」をすることを私は自分に許さなかった。
なぜなら、絶対に受かりたかったから。
後悔したくなかったから。
あの時遊んでたから受からなかった、という結果にしたくなかったから。
すると、人間の体は、心は、どうなるか。
「睡眠」という、自らの理性が及ばない無意識の時間帯に、「擬似的な食欲(飢餓感)」を脳が勝手に生み出して、食べることで束の間の快楽を得るようになる。
無意識の間に、自分で飢えた感覚を作り出して、食べることで快楽に飢えた脳を満たす。マッチポンプである。
なんと動物的な、原始的な快楽の得方だろう。
夢遊病にも、物を食べてしまったり性衝動に走ったりする症状があるという。
これの原因も似たようなものなんじゃないだろうか。
本能的な快楽を得られるのなら、別に食欲だろうが性欲だろうが何でも良いのだろう。
そう考えると、あの症状は私の心を守るための現象だったのかもしれない。
だとしたら、何だか自分の身体がいじらしく思えてくる。
ありがとうよ、私の本能。
でも、皮肉なことに、その睡眠中の快楽と引き換えに日中のメンタルはさらに落ち込んでいった。
夜中に食べる
→ 体に脂肪が増える
→「自分は太って醜い」という心の負荷が増える
→心を負荷から守るため、さらに食べる量が増える
→さらにストレスが増える…
という、負のスパイラルである。
人間は、時々どうしようもない

もしあの頃にもう一度戻れたら?
そうしたら自分は違う道を辿るだろうか?
…いや、変わらなかっただろうと思う。
何を捨てても、やはり私はがむしゃらに受験勉強をしただろう。
だけど、こんなことになると知っていたならば、もう少しうまく息抜きをするように努力はするかもしれない。
いや、それでもやっぱり、うまくいかないかもしれない。
睡眠障害を発症したのは、心が「快楽」を求めていたからと書いたが、
実は勉強をしている間にも、私はある意味での「快楽」を得ていた。
やればやるほど点数が上がるのが楽しくて。
頭脳が鍛えられていくのが嬉しくて。
どう考えれば解けるのかを理解できるようになるのが気持ち良くて。
そう、勉強するのが気持ち良かった。正直、興奮してた。
一度訪れて惚れ込んだ大学に、憧れの場所に行ける自分を想像して、血沸き肉躍る気持ちだった。
そういう変態性(?)が私のモチベーションを支えていたのだと思う。
人間、どうしても夜中に無意識に食べてしまうことだってある。
何かを犠牲にしてでもやり遂げたいことがあるとき。
そんなどうしょうもないときは、どうしようもないのである。
ゴミクズみたいな結論だが。
私も結局はどうしようもなかったんじゃないか。
何度生まれ変わっても狂ったように勉強しながら夜中に食べ続けたんじゃないか。
本能的な欲望と理性的な欲望とのせめぎあい。
どっちもバランス良くご機嫌を取っていくような器用さは、あの頃の自分にはなかった。
睡眠関連摂食障害を治す方法

睡眠関連摂食障害を治す理屈は簡単だ。
起きている間に、心にゆとりを、楽しみを、快楽を与えてやればいいのだ。
言うのは簡単だが、やるのは難しい。
自分に対して許せないことを色々と許していく必要があるし、信念や目標すら捨て去らないといけないかもしれない。
「子供を養うために身を粉にして働かないといけない」と思っているのなら、多少給料が下がることを覚悟して、適度にサボってたまには遊ぼうと思えるようにならないといけない。
(仮にそうやってうまくサボる術を身に着けたからといって、必ずしも給料が下がるとは限らない。
むしろ時短術を探っていくうちに生産性が上がって評価される可能性も無きにしもあらず。)
「優勝するために限界まで練習しないといけない」と思っているのなら、もっと息抜きを増やしていいんだと思わなきゃならない。
でもこれ、出来ない人は出来ないんですよね。かつての私みたいに。
やってないと不安なんですよね。
(今の私は逆に、むしろ病むのが怖くて、がむしゃらに頑張ることは出来なくなったけれど。)
この「睡眠関摂食障害」を患っていた頃、
夜中に無意識にたらふく食べたあとで眠りにつくその一瞬、私は何の苦しみもない幸せな満足感に浸されていた。
理性がかき消えた状態で、お腹いっぱいになって、何の心配も無く安らかに眠る幸せ。
多分、その感覚に脳がやみつきになるのだ。
だからその症状を抑えたいのなら、そういう無条件の幸せや満足感を、睡眠時ではなく起きている間に自分に与えてあげる必要がある。
「自分においしいものをいっぱい食べさせてあげる」とか、
「楽しいことをいっぱいさせてあげる」とか、
「苦しい環境や考え方から逃げさせてあげる」とか。
そういうことを丁寧に一つずつやっていけば、次第に心は満たされていって、よく眠れるようになる。
かつての私のように、限界まで振り切って、壊れて初めて知ることもあるかもしれない。
でもやっぱり壊れないに越したことはないさ。
・・・だけど、壊れてからでも遅くない。
生きてりゃなんとでもなるのよ。
苦しかったけど、あんた10年後はこんなに幸せよ。
どうやったかって?それはこのブログに全部書いてきた。
そんな、過去の自分への励ましのために私はこんな記事を執筆しているのかもしれない。