自分は幸せになってはいけないと思う人へ。自分の幸せを許す方法

目次

幸せになりたくない人は、まずは自分の幸せを“許す”ことから

私は、

「うつを癒やすこと」は

「幸せに生きるための道」だと思っています。

 

して、うつになった人にこの

「幸せに生きるための道」を辿ってほしいと思っています。

しかし、うつの人に「うつを癒やしましょう。幸せに生きましょう」と言おうとすると、大きな壁にぶつかります。

 

それは、「うつ」になるような人は

「自分の幸せなんかなげうってもいい」

という人が多いということです。

 

「自分の幸せよりも大切なもの、たくさんあるでしょ?」

「私は世のため人のため、を第一に生きたいんです」

「なんで幸せにならなきゃいけないの?」

という感じで、非常に利他的・自己犠牲的な人が多いのです。

 

私もそうでした。

「うつ」の治療を通して考え方を変える前は、

そもそも「幸せでいたい」という気持ちが起こりませんでした。

「自分の幸せなんか、他の不幸な人に全部あげちゃっていいから」という感覚。

 

「自分の幸せは二の次」

「そもそも幸せでいる意義が分からない」

と思っているので、

「自分の幸せを願う」「自分の幸せを許す」

ためにはどうすればいいのか?

というところから始める必要がありました。

 

自分の幸せを許すには、自分と向き合う

私はまず、なぜ自分が「私自身の幸福」をそこまで求めないのかを考えてみました。

まず、自分が「自分の幸せのために生きる」状態をイメージしてみると、何だかもやもやしました。

そのもやもやは何だろう?

…よく考えると、「なんか嫌な奴」のイメージだったからでした。

 

私は、「自分の幸せ」を追い求めるような人をイメージすると、

・自己中だ

・わがままだ

・性格が悪い(悪く見られやすそう)

というネガティブなイメージが思い浮かべました。

 

つまり私が自分の幸福を求めようとしなかったのは、「良い性格」であろうとしていたからでした。

「自己中な嫌な奴」になりたくなかったのです。

これで理由は腑に落ちました。

 

そこでもう一歩踏み込んで考えました。

私がもし「自分の幸せが第一」をモットーに生きた場合、

「自己中」で「わがまま」で「嫌な奴」になるのだろうか、と。

 

そして、想像力を働かせた結果、「いや違う」と気づきました。

「私はそもそも、他人に嫌な思いをさせることを“幸せ”とは感じない」

ということに気づいたのです。

 

私の思う「幸せ」は、自分も周囲の人々も皆が良い気分でいる状態でした。

 

それに気づいてから、私は「自分の幸せ」を第一に行動する実験を始めました。

 

「自分の幸せを第一」に暮らす実験をしてみよう

「自分の幸せを第一」に暮らす実験のやり方は一つです。

・選択肢に迷ったら、「今の自分の幸せ度(=自己満足度)が高くなる方」を選ぶ。

これだけです。

「こうしておけば将来幸せになれるだろう」ではありません。

あくまで「今」の自分が幸せになる選択肢だけを選びます。

 

例えば、

お腹がすいたときに食べたいものを食べる

持っているとテンションが上がるものを買う

見てみたいと思ったものを見に行く。

聞きたくないことは聞かない。

行きたくないところには行かない。

見たくないものは見ない。

こんな暮らしいいなぁ、と思ったことを実践してみる。

 

 

最初のうちは少し戸惑います。

「どんな行動を選べば幸福度が高くなるのかが分からない」からです。

でも、分からないなりに

「もしかしたらやってみたら幸福度が上がるかも」

という実験的な気分でやってみます。

 

こうすると、不思議なことが起きていきます。

「私はこんなことが好きだったんだ」という新しい自分を発見できます。

そして、少しずつ生活の質が上がっていくのです。

例えば「食べたあとで食べたことを後悔しそうなもの(健康に悪そうなもの)」は自然と選ぶことが減り、食生活が改善されました。

「掃除をしたあとはとても気分が良く、幸せ度が上がる。」ことに気づくと、掃除機をかける機会が増えました。

花のある生活に憧れてある日切り花を買ってみて以来、食卓に欠かさず花を生けるようになりました。

服を選ぶときもかなり吟味するようになり、身だしなみに気を遣うようになりました。

 

 

もう一つ、不思議なことが起こり始めました。

 

人助けをすることが増えたのです。

どれも些細なことなのですが、

倒れかけた自転車を起こす、

落とし物を拾ってあげる、

席を譲る、

道案内する、

など小さな人助けの機会が妙に増えました。

しかも、「自分の幸せを二の次」にしていた頃よりも、体が積極的に動くようになったのです。

手助けが必要そうな人を見つけると、今までは少し考える間があったのですが、考える前に体がすっと動くようになるのを感じました。

 

「自分のために生きたほうが、他人のために行動しやすい」

なんてことは、実験する前は考えもしなかったことでした。

 

この実験をしていくうちに、どんどん幸せになっていきます。

自分で自分を幸せにすると、幸福のスパイラルが芽生えます。

 

そしてあることに気がつくのです。

「自分が幸せでいたほうが、他人にいい影響を与えられる」

いうことと、

「自分で自分を幸せにできるのだから、“他人に幸せにしてもらおう”なんて願う必要はない」

ということに。

 

自分で自分を幸せにできると無敵。

自己犠牲は「対価を要求する行為」。自分の幸せを優先したほうがいい影響を与えられる

「自分が幸せでいることを優先したほうが、他人にいい影響を与えられる」

というのは私の実感です。

逆に言うと、「他人の幸せを第一にする人は、他人にいい影響も与えるかもしれないが、同時に“負担”も与えてしまう。」

ということです。

 

というのも、自己犠牲とは、裏返すと

「これだけのものをあなたのために支払いましたよ」

という「対価を求める行為」です。

対価なんて意識していてもしていなくても、自分の何かを犠牲にした時点でそうなってしまうんです。 

 

だから、他人の幸せを第一に考える人の行為は、有難いけど「重い」のです。

 

例えば、母子の場合。

母親が「私は我が身を犠牲にして、自分の幸せなんか全部なげうって、我が子のために頑張っているのよ」

と思いながら育児していると、その母親の「犠牲にした分」が子どもに重くのしかかります。

子どもはそれを感じ取ります。

「母さんがこんなに頑張ってくれてるんだから、母さんを幸せにしてあげなくちゃ」と思うか、

「頼んだわけでもないのに、恩着せがましくしやがって、このクソ○○○」となるかはわかりませんが、

子どもは何らかの形で母親の「犠牲」の分を返そうと躍起になります。

つまり、母親の自己犠牲が子供の人生を縛ってしまうのです。

 

だから、子供が一番幸せなのは

「母親が上機嫌で心底楽しく幸せそうにしていること」なのです。

そうすれば、子どもは

「母ちゃんはなんか一人で勝手に楽しくやってるから、俺も俺で自由にやりたいことをやろう」

と、特に負担もなく自由にのびのびと生きられます。

 

それでも、自己犠牲精神は美しいものとして語られることが多いです。

美談。

でも、そこには継続性がない。

 

「うつ」のときには、この世の無数の悲しむ人々の嘆きの声が聞こえてくる気がするときがよくあります。

そして、嘆く彼らのために泣きながら祈るのです。

「神様、私のことなんてどうでもいいから彼らを救ってあげてください」

 

「祈り」や「願い」は、形にすれば人を救うことがあります。

私がよく聴いていて救われた曲があり、

その歌詞の「生きて」という強い願いが伝わってきて、「死にたい」という気持ちから何度も引き戻してくれました。

 

そうやって願いを「形」に残し続けるには、

本人が「元気」である必要があります。

何らかの活動をするならば、ある程度精神も安定していないといけません。

自己犠牲を燃料にしてしまっては、犠牲にするものがなくなった時点で与えられるものがなくなってしまいます。

 

多くの人に良い影響を与えている人は、なぜそれができるのでしょう?

より多く自己犠牲しているから?

違います。

「それが自分にとって一番の喜びであることを知っているから」です。

他人に何か価値を与えたいならば、「自分の幸せ」を強く追い求める必要があります。

私が「うつカフェ」を始められたのも、大きく言えば「自分の幸せ」のためです。

より多くの「うつ」の人が癒されること、救われることが私にとって大きな「幸せ」になるからです。

 

自分の幸せは自分の責任。他人に幸せにしてもらう必要はない

自分で自分を幸せにできるようになると、

「誰かに幸せにしてもらいたい」という願いが消えていきます。

なぜなら、誰もいなくても幸せだから。

 

そして「幸せになるのに他人の力は必要ない」、

むしろ「他人が私を“常に”幸せにすることは不可能」

「自分を幸せにできるのは自分しかいない」と気付くのです。

 

そして、自分を幸せにできていると、

「変な人につけ込まれ」にくくなります。

付き合う相手が変わります。

 

自分の幸せは自分次第、という責任感があるので、

「この人といても幸せになれないな」と思えば容赦なく切ることができます。

(恋人候補を見る目も養えるので、良い出会いをモノにできる可能性も高まります。)

 

反面、他人といると「一人では味わえない楽しさ、幸福感」を味わえることもあります。

そういう相手とだけ付き合うようにすると、人生は本当に生きやすく楽しくなります。

 

自分の幸せは自分の責任。

あなたの幸せはあなたの幸せ。

あなたが幸せになることを手伝える人なんていないのです。

 

なぜ幸せにならなければならないのか、という問いへ

うつが治りたての頃、

とある人にこう言われたことがあります。

「なぜ幸せになるのか…?」と。

 

「私はもっと幸せになれると思っている」と私が言ったあとのことでした。

 

私はなぜ幸せになろうとしているのか?

ちょっと考えてみました。

 

幸せな方が得だから。

幸せな方が気分が良いから。

「なぜ気分が良くなりたいの?」なんて問いはちょっとアホに聞こえます。

 

だって、「気分がいいと気分が良くなるから」としか言えませんからね。

 

 

幸せになってみないと、

幸せでいる“価値”は分からないのかもしれません。

 

逆に言えば、「幸福」を経験すると、

その追求に理由なんていらないと分かるのです。

 

 

だからまずは「自分の幸せを第一に」生きる実験をしてみよう。

幸せとは、「なる」ものではなく、

「する」ものなのです。

 


 

さらに幸福度を上げる方法→幸福度の高い人の特徴〜誰でも今すぐ幸せになれる方法

 

自分を愛することに目覚めて幸福度がカンストし、うつが治った話。

このブログの運営者

生きづらさの解消方法・幸せに生きる考え方・うつ病の治し方をお伝えしています。
過去にうつ病になり、考え方を変えることで完治させた経験あり。

典型的なINFP人間。
モットーは「自分の幸せを第一に生きる」。
現在会社員をやりながらADHDの夫と暮らしています。

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