うつ病になりやすい考え方「0か100か」「白か黒か」思考を変える方法

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0か100かの考え方を変えると断然生きやすくなる

自覚はないかもしれませんが、

うつになりやすい人は、物事を0か100か、白か黒か、で見がちです。

 

この考え方は「生きづらさ」のもとになります。

だから、自分が「0か100か」で考えがちだということに気付いて、意識的に考え方を変えていけば、

生きるのがすごく楽になっていきます。

 

 

考え方をどう変えるかというと、

「10点でも、0点よりは良い」とか、

「60点ぐらいで可」「80点以上で上出来」

と言う風に考えるということです。

 

「あれもこれも出来てないから、俺はダメダメだ!」と極端に悪い評価をするのではなく、

「まあ一部はできてるし、一部できてないこともある」というように、

グレーゾーン」を許すということです。

 

 

無自覚に「0か100か」的な考え方に染まっていませんか?

0か100か、という考え方は、一見かっこよく見えます。

例えば

「人生はやるか、やらないかだ。」

「あの子は好き、あの人は嫌い。」

「勝つか、負けるか。」

自分の意見がはっきりあって、シャープで潔い感じです。

 

一方で、「世の中ってグレーゾーンだよね」なんていうのは、何となく

「曖昧にごまかしてる」

「卑怯な大人の言い訳」

のように聞こえがちです。

 

それに、生きているとどうしても「白か黒か」「○か✕か」という考え方に染まりがちです。

なぜなら、人間は言葉を使うから。

言葉は思いを相手に伝える手段なので、わかりやすくないといけません。

「良い」か「悪い」か。

「アリ」か「ナシ」か。

どっちなのかをはっきり言わないと伝わりません。

 

「あのラーメン屋さんおいしいんだって!」

「彼って実はあの子のこと好きらしいよ!」

と言うと端的で伝わります。会話も弾みやすい。

 

でも本当は人間はグレーゾーンで、もっと曖昧なものです。

これを曖昧なまま言葉にすると、よく分からなくなってしまいます。

「あのラーメン屋に行った人の半数以上はおいしいっていうけど、全然おいしくないっていう人も一定数いるよ」

「彼はあの子にそんなにぐいぐいアプローチしてるわけでもないし、めっちゃ好き!ってほどでもないと思うんだけど、でも内心かなり好意的に見てるって噂があるよ」

なんて言われてもまどろっこしいですし、何が言いたいのかよく分かりません。

結局どっちやねん!ってなって、反応に困ります。

 

 

「言葉」とは、グレーゾーンな現実に対して無理やり白黒つけるための道具です。

人は思考するときに、その「言葉」を使います。

だから、自然と頭の中でも「白か黒か」「0か100か」で考えてしまうのです。

 

「俺はモテる/モテない」

「私は頭が良い/悪い」

「この世は天国だ/地獄だ」

のように。

 

 

「0か100か」思考が生きづらいのは、現実は0か100かでは無いから

実際には、現実の物事は常に1から99の曖昧な世界(グレーゾーン)を漂っています。

「0か100か」という二分法は、そういう現実とかけ離れています。だから生きづらくなるのです。

「頭の中の世界」と「現実の世界」がかけ離れていけば行くほど、人はそのギャップに苦しんでいくのです。

 

「0か100か」という頭の中の世界は、

「100点満点」じゃないもの、つまりほんの少しでも欠点があるものは「0点」に振り分けられてしまう、残酷で熾烈な世界です。

このような考え方のもとでは、少しでも悪い面を見つけた途端に

「私は無能だ」

「生きる価値がない」

「人生は悲劇だ」

「この世は地獄だ」

といった極端な考えに突っ走ってしまいます。

 

でも、現実はもっと優しい世界なのです。

「私にはできることもできないこともある」し、

「この世には良いところも悪いところもある」のです。

 

グレーゾーンをふわふわと漂うこと。

それを意識すると、だいぶ生きることが楽になります。

 

「0か100か」で考えてしまってることに気づこう

自分が「0か100か」で考えてしまう傾向があること、そこに気付けるかどうかが第一のハードルになります。

 

自分はそんな極端な考え方はしていない?

どうでしょうか。まずは疑ってかかることです。

 

「0か100か」「白か黒か」という思考をしているを挙げてみます。

「掃除とは家じゅうを綺麗にすることだから、なかなか手を着ける気にならない」

「昔好きでやっていたスポーツがあり、当時はかなり本気で取り組んでいた。

あの頃のようにもう一度やってみたいが、今は実力が落ちているだろうし、そんなに時間もないし、また始めるのに抵抗がある」

「私は過去に恋人に嘘を吐いて騙したことがある。だから私は罪人だ。恋人を作る資格がない」

 

 

どうしてこれらが「0か100か」の考え方なのか、わかるでしょうか。

 

掃除をするなら徹底的に。(中途半端で終わらせるのはやらないのと同じ)

スポーツをするなら本気で。(生半可な気持ちでやっても無意味)

恋人との関係は清廉潔白に。(後ろめたいことが1個でもあれば「黒」)

 

…そう。

これらはすべて、れっきとした「白か黒か」「0か100か」思考なのです。

 

 

でも、本人はこれらの考え方が「当たり前」だと思っていて、極端な考え方になっているとは気付きません。

 

 

どうでしょう、心当たりがないでしょうか。

 

「自分がどういう考え方をしているか」を知るのは、生きづらさを解消するために必要なことです。

 

中途半端を許せないきもちがあるか。

小さな事実を大げさに捉えていないか。

 

 

そうなってしまう理由は、日本の教育や、家庭や社会からの暗黙の圧力があるからです。

真面目な人ほどそれらに深く影響を受けます。

 

「物事は最後までやり遂げなければならない。」

「物事は本気で取り組まなければならない。」

「人間は誠実でなければならない。」と。

 

 

誰も、

物事を中途半端に投げ出しても良い。

遊び半分で物事に取り組んでも良い。

人間とは多少不実な生き物だ。

なんて教えてはくれません。

 

でも、生きやすく幸せに過ごすには、本当はこの「中途半端」を許す気持ちが大切なのです。

 

「0か100か」の考え方を変えるのに抵抗がある人へ

0か100かの考え方って、悪い面ばかりではありません。

 

例えば、学校のテストでいつも100点や90点台後半の点数を叩き出す人がいますが、

こういう人の多くは「0か100か」思考で、「100点」しか目指していません。

 

中途半端な数字は負けなので、96点を取ってもあまり嬉しくなかったりします。

ミスした部分ばかり気にしてしまうんですね。「4点も失ってしまった」と。

彼らにとっては「100点」が「最低ライン」なのです。

 

 

他にもスポーツや他のプロフェッショナルな仕事の局面でも同じです。

「自分に一点のマイナスも許さない」という姿勢によって、限界まで努力をし、高いレベルに達することができる場合があります。

これが「0か100か」の考え方の良い面です。

 

 

こういう考え方を持っている人は、その考え方にプライドを持っています。

白黒はっきりつける。

99よりも下は認めない。

そういう自分が誇りなのです。

 

 

だから、簡単にその考え方を手放せません。

グレーゾーンを認め、許すということは、「そこそこでいいや」という考えを許すことになります。

そんなことを許してしまうと、自分のこれまでの人生を否定してしまうような気がするのです。

自分自身がいなくなってしまうような不安に陥るのです。

 

 

そして、「変わることで今よりもダメな自分になってしまうこと」が怖い。

だから、自分を変えるというのは難しいのです。

 

 

 

私が「0か100か」の自分を変えることができたのは、

「うつ」になって、「これ以上駄目な自分になりようがない」という心境に陥ったからでした。

 

それまでは、「100点を目指して頑張れる」ところが、自分の数少ない長所だと思っていました。

 

でも次第に、「100点になんかなれない自分」と「理想」とのギャップに疲れてしまい、

ついに死ぬか、自分を変えるか、どちらかの選択肢しか見えなくなりました。

だから、プライドなど投げ打って考え方を変えることに決めたのです。

 

 

「うつ」になる原因は色々あるけれど、その大部分は自分の「考え方」が原因です。

もしうつになってしまったら、今の考え方を変えない限りうつが「再発」するリスクがあります。

 

だから、これから先幸せに生き続けるには、考え方を変えて、今までの自分と決別する必要があるのです。

それを「やってやる」と決意できるかどうか。

中途半端も許していく、というハードルを乗り越えること。

それが重要です。

 

考え方を変えるには「練習」が必要

では、具体的にどうやって考え方を変えるのか。

私が参考にしたのは、大学の試験で使われていた「加点式(積み上げ方式)の採点方式」でした。

 

 

高校までは、定期試験の採点方法は「減点方式」。

満点は100点。ここから「いくつ解答を間違えたか」によって、点を引いていくやり方です。

 

 

それに対して、大学での学部試験は「書けた分だけ加点されていく」ものでした。

ちなみに、100点はありえません。

 

60点以上で単位取得。75点が大体平均。80点以上だと「よくよく勉強しているね」という感じ。

90点以上というのはほとんど非現実的です。

 

 

これを自分の考え方にあてはめたのです。

「やるからには100まで!」ではなく、

「60点で合格。75点くらいだと良い感じ。80点以上だと素晴らしい!」と。

 

 

例えば、掃除をしようかな…と思った時に、

「でもリビングも寝室も台所もトイレもお風呂もあるし、億劫だなぁ」と思うのではなく、

「今日はリビングの掃除機だけかけよう!」と、「60点くらい」を目指していくことを許すのです。

 

60点のハードルが高ければ、1点や2点から始めるのでも充分です。

「今日は床の髪の毛を数本拾って捨てたから、まあちょっとは掃除したな」みたいな。

「何もしないより良い」「0よりは1の方が価値がある」という考え方です。

 

 

 

他にも、昔は本気でやってた趣味を再開しようかな…と思ったとき。

肩の力を抜いて、「遊び半分」で始めてみましょう。

 

私も、昔は真剣にやっていたピアノを「戯れ」気分でまた始めてみました。

難曲が弾けるレベルになんてありませんし、今は目指そうとも思いません。

しかし、堅苦しくない自由な心でピアノと向き合い始めてから、

新たに「作曲」という楽しみ(趣味)を見つけることができました。

思い切って再開して良かったと思っています。

 

 

 

慣れるまでは、このような「加点方式」は意識的に「練習」する必要があります

練習を繰り返すことで、だんだんと自然にこういう考え方が身についていきます。

 

もやもやした気分になったら、

「あ、そうだ、100点じゃなくていいんだ」と意識的に思い出すこと。

これを実践すれば、段々と生きやすさを感じてきます。

 

私の場合、忘れないようにデスクにメモを貼っていました。

「60点で合格、75点で良い感じ、80点以上で超優秀!」と。

そして、何かを考えたり何かをしようとするたびに、このメモを見て思い出して、

「せや、60点で合格なんやった。」と考え方を修正していきました。

 

 

この加点方式を練習すると同時に、グレーゾーンを許す練習も行います。

グレーと言うよりも、「グラデーション」と言った方が適切かもしれません。

現実とは、いろんな色の濃淡が入り混じっているものだから。

 

例えば「彼は私のことを好きなのかしら?」と悩んでいるなら、

答えは好き/好きじゃない の2択だとは考えない。

答えは無限にあります。狂いそうなほど好き、めっちゃ好き、割と好き、ちょっと好き、好きだと気づかれたくない、好きなところもあるけど鼻につくところもある、好きな時とうっとうしい時がある、好きになりそうかもしれない、好きなふりをしている、昔は好きだった、何とも思わない…、

人の思いは複雑です。

 

現実はグレーゾーンだ、と認識しましょう。

 

他にも、例えば

「私は無能だ」と思い込んでいるなら、

「私には出来ることもあるし出来ないこともある」と考え直してみる。

 

「私はダメ人間だ」と思うなら、

「私には良いところも悪いところもある」と思ってみる。

 

「この世はろくでもない」と思うなら、

「この世にはいいことも悪いこともある」と。

 

要するに、現実をありのまま見るということです。

悪いところだけを見つめない。

偏った見方をしない。

 

こうすると、あなたの世界がとても豊かになります。

見える世界も広がっていきます。

 

広い世界は、息がしやすい。

うつを脱して、私はそう感じます。 

 

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自分が完璧主義かどうかも疑ってかかってみよう→うつ病にまでなった完璧主義者が本気で完璧主義を治した方法

このブログの運営者

生きづらさの解消方法・幸せに生きる考え方・うつ病の治し方をお伝えしています。
過去にうつ病になり、考え方を変えることで完治させた経験あり。

典型的なINFP人間。
モットーは「自分の幸せを第一に生きる」。
現在会社員をやりながらADHDの夫と暮らしています。

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