ADHDの彼氏と同棲しているのでうまくいくコツを書きます

ADHDの人と、そうでない人との同居は難しい、

いさかいが耐えないという説がある。

 

しかし、私はADHDの彼との同居でストレスを溜めたことはない。

 

 

「ADHDの人とうまくやるコツ」がある。

でもそれは、よく考えるとADHDに限らず「誰かと共に幸せに生きるためのコツ」と一緒かもしれない。

 

 

結局は「人」と「人」なので、

同居がうまくいくかは

「ADHDかどうか」というよりも

「人による」んじゃないかと思っている。

 

 

大体、他人と同居することでストレスを溜めやすい人は、結局誰と生活してもストレスが溜まる。

逆に許容範囲が広い人は、そこそこの相性の人となら誰とでもほどほどにうまくやる。

 

 

私は、自分を許せるようになったから、

彼のことも大抵許せるようになった。

 

現状を受け入れ、自分に変わることを期待しないようになったから、

彼の現状も受け入れられて、変化を期待することもなくなった。

 

要は自分次第、というところが大きいと思う。

 

 

だから今回は、

ADHDの彼とストレスなく幸せに暮らす上で心がけていることを書いてみようと思う。

 

目次

ADHDのパートナーとの家事の分担について

・家事をちゃんとしない。

・家事は自分のためだけにやる。

・やってほしいことを全部言う。

ADHDの人との火の元として多いのは、

「相手が(家事などを)ちゃんとしてくれない!」

「自分ばっかりやっている!」

という不満だ。

 

 

ADHDの人は、元々片付けが苦手な(というか興味がない?)うえに、

あることに注意を取られると別のことを忘れたりするので、洗濯機を回して干し忘れたり、おかずを作っても米を炊き忘れたりする。

 

集中力が無いというよりは、むしろあり過ぎて「今」に熱中しすぎてしまうのである。

 

 

だから、不満を抱かないコツは

「相手の分もやる」のではなく、

「家事は自分のためだけにやる」こと。

 

そして「やりたくないことはしない」

「やってほしいことは言う」ことである。

 

それだけで、ほぼ家事に関するストレスは無くなる。

 

 

家事というのは、無限にあるものではない。

(潔癖の人にとっては掃除する箇所は無限にあるのだろうけど)

 

大抵は

「ここまでやれば許容範囲」

「ここまでやれば快適」

という範囲がある。

 

 

そして、二人暮しの場合

お互いの「許容範囲」「快適な範囲」は絶対に違っている

 

つまり、人間が二人寄れば

どちらかが「より潔癖な方」になり、もう片方が「よりだらしない方」になってしまうのだ。

 

 

他人同士である二人は、絶対にわかり合えない。

多分、遺伝子レベルでの違いだから。

 

 

だから、

「ちゃんとして!」という言葉は

相手への強要にしかならない。

 

「ちゃんとしろ」

イコール「私の基準に合わせろ」

または「私と同じ感覚を持ちなさい」

という無茶振りをしていることになる。

 

だから、拒絶したくなる。

 

 

ではどうすればいいか。

 

それは、「相手がやってくれる」という前提を捨てること。

 

そして、家事は「自分がやりたい範囲」でやる。

やりたい範囲外のことは「ちゃんとしない」。

 

 

一人暮らしのときはどうしてましたか?

 

一人で皿を洗い、一人で洗濯物を干し、

一人で掃除してたでしょ。

 

自分一人のために。

 

 

それなのに、二人になった瞬間相手に期待してしまう。

それって相手に甘える気満々ということだ。

 

 

二人暮しするってことは自立した大人でしょ。

期待するなよ。

同居に夢を持つな。

相手は思い通りになんて絶対に動かないんだから。

 

 

私は、やりたくないことはやらない。

やりたいことだけやる。

を、徹底している。

 

 

ここをキレイにしたいと思ったら掃除する。

自分自身が快く過ごすために。

 

だるいと思ったら何もしない。

自分自身を労るために。

 

 

一人暮らしと同じ感覚でいいのである。

 

でっかいワンコ(彼のこと)は一匹いるが、

あてにしない。

 

そしたら全然不満なんて溜まらないのである。

 

 

 

家事というのは本来、

住む人を心地よくするための行為だ。

 

だから、「綺麗になって気持ちいいな」と思える範囲でだけ掃除すればいい。

 

「私はせっせと掃除しているのに、あんたは何なのよ!」

と逆に不快になってしまうぐらいなら、

やらなくていいんじゃね?と本気で思う。

 

 

私は家事をするとき、自分のことしか考えていない。

「彼のために」なんて、微塵も思わない。

だって「あなたのために」と思うのは見返りを求めることだから。

 

 

「彼のために彼のパンツを畳んでしまってあげた」ところで、

彼はそんなことに気づきもしなければ感謝もしない。

挙句、「いっつもやってあげてるのに!」と不満が塵積もる。

 

でも、

「彼のパンツが出しっぱなしになっていると私が嫌だから」

という理由で同じことをすると、

「あー片付いてスッキリ!」

と自己完結してしまうのである。

 

 

 

それから、

私は彼に家事をしてくれることを期待もしていない。

正直、彼には「存在して」くれてるだけでいいのである。

 

ゴミ出しは大体、テレワークの彼がやってくれているが、

「すごいね、ちゃんと曜日を覚えていて、テレワークなのにゴミ出しの時間までにちゃんと早起きして外まで出してくれるなんて」

と感心している。

 

 

「やってくれない前提」でいると、

やってくれてる時にすごく(感謝というよりも)感心してしまう。

 

 

 

生活なんて、各々が快適だと思う環境に各々が整えればいいのだから、

全部「自分で、自分のためだけにやる」でいいのである。

 

それをどこか「あなたの分もやってあげている」と思うからおかしくなる。

嫌なら彼の分の食器は放置していればいい。

彼のパンツは洗わなければいい。

自分の事は自分で。

そういうルールにすればいいのだ。

 

 

そして、ちょっとぐらい手抜きというか、ぼーっとしていていて用事を忘れがちなくらいの方が、

相手はしっかりしてくれる。

 

 

私は引っ越して同居を始めて2ヶ月弱経つが、

燃えないゴミの日もろくに覚えてないもんね。

 

 

でも、やってほしいことは素直に言う

これは意外と難しいのだけど、

やってほしいと思ったことは、すぐに、素直に言うことも重要だ。

 

彼がゲームに夢中になっているとき、ADHDの特性として、過集中状態になって、声をかけづらいことがある。

それでも、洗濯物が多いときは一緒に干してほしい。

だから、私は声をかける。

 

 

コツとしては、ゲームばっかしてないで一緒に干してよ!と怒ったように言うのではなく、

 

「イイモノがあるよ~!ほら!来てみてみて」と、何の用かを隠して洗濯カゴまでいざなってあげるとか、

「はい!プレゼント!」とにっこり笑って洗いたての彼のパンツを渡してあげれば、意図は伝わる。

伝え方さえ工夫すれば、彼は気分よく手伝ってくれる。

 

干し終わったら、「二人で干すとはや~い!!」と大げさに喜ぶことも忘れずに。

アホらしいと思っても、メリットの方が大きいので、ぜひやってほしい。

素直になることは、自分を救うのである。

 

 

そうやって、「洗濯物は二人で干すもの」という認識を彼に植え付けていければしめたものである。

そのうち、私が一人で干しているのを見かけたら自分から手伝ってくれるようになる。

 

 

※ちなみに、やってほしいことを伝えたときに、嫌な顔をしたり嫌なことを言って来る奴は、ADHDかどうか以前にパートナーとしておすすめしない。

あなたの幸せを阻害する人間に、あなたの貴重な時間を費やすべきかどうか、よく考えてほしい。

 

 

・ADHDの苦手分野があることも許す

ただし、ADHDの人にはどうしても苦手なこともある。

例えば、部屋の片づけ。

 

彼らは、物の置き場を決めておいて常に物をそこに戻す、ということができない(らしい)。

もしあなたがパートナーよりも片付けが得意なのであれば、

基本的に「カゴに放り込むだけ」とか、「棚に置くだけ」で済むような収納を工夫してあげるとよい。

 

「パンツを畳んで引き出しの中に並べて収納する」なんてことは彼らには逆立ちしてもできないのだ。

できないことを「なんでやらないの!」なんて無茶ぶりはやめてあげよう。

 

経験談としては、

下着を入れるための箱を用意してあげて、そこにぽんぽん入れていくだけでいいよ、という風にしてあげるのが良いと思う。(それでも、その箱には色んなものが積み上げられていっていつか雪崩になるのだけど。)

 

 

お互いの生活リズムを合わせず、「一人暮らしと一人暮らし」という感覚で過ごす

そのために部屋を分ける

私たちは生活リズムを合わせない。

お互い、合わせる気もない。

 

私が朝起きてから仕事に出る時間まで彼は寝ているし、

私が夜寝てからも彼はずっと起きてゲームをしている。ADHDなので、集中しだすと止まらないらしい。

 

別に、生活リズムを合わせなくていいのだ。

 

「早く寝たほうがいいよ」

「休日も平日と同じ時間に起きたほうがいいよ」

なんていらぬお節介。

 

相手は自立した大人だ。自由な分、自分の生活にも責任を持ってもらう。

正論での説得も、良かれと思ったアドバイスもほとんどしない。

 

 

自分が自由が大好きだから、彼にも同じように過ごしてもらいたい。

一人で買い物するのが好きなので、休日は一人で出かけることもある。

そうでなければ一人で部屋で引きこもる。

 

何となく合わせるのは晩ごはんと、休日の昼ごはんぐらい。

 

 

彼も私が何をしていても何も文句は言わない。(たとえ言われたとしても変えないけど。)

だからお互いに何もストレスがない。

 

 

いくら家族に近い関係でも、他人は他人。

他人同士がうまくやるには、「一人と一人」でなければならない。

 

そのためには、せめて2DK以上は欲しいところである。

 

 

同棲していても、「あ、今ものすごく一人になりたい」という時がやってくる。

他人の「気配」があるだけで邪魔に思えてくることもある。

 

 

でも、わざわざ出かけるのはしゃくである。なんで自分の家なのにのびのびできないのか、と。

だから、部屋は分かれていなければならない。

 

うちは私の部屋(兼寝室)と、彼の部屋に分かれている。

そのおかげで助かっている。

というか、ワンルームで同棲なんて地獄みたいなことは絶対したくない。

 

私のような一人好きにとっては、それぐらい「自分だけの空間」は重要なものなのである。

 

 

自由を与え合うことは、お互いを許し合うことである。

 

許し合える距離を保つために、あえて壁を作るのが、

大人同士の賢い愛し方。

 

 

幸福な日常は、自分でつくっていくものだという責任感を持つ

もはやADHDとは関係なくてただの「同棲のコツ」になってしまうけど、

「幸福は維持しようと努めなければすぐに壊れる」ことを理解しておかなければならない。

 

同棲する二人には、自分たちを幸福に保つ責任があるのだ。

 

 

疲れているときは、パートナーに対して冷たい対応なんていくらでもできる。

お腹が空いたときにムスっとしていることもできる。

 

彼がふざけて抱きついてきたときに振りほどくこともできる。

はいはい、と無表情にあしらうこともできる。

 

彼のする話を「ふーん」と興味なさげに流すこともできる。

彼の小ボケを聞こえなかったかのようにスルーすることもできる。

 

彼が洗濯物を干し忘れていたら嫌味の連発を食らわすこともできる。

ADHDあるあるの失敗をあげつらい馬鹿にすることだってできる。

 

 

 

愛情ある関係を壊す方法なんて、いくらでも思いつく。

彼を傷つけるナイフなんて無限に持ち合わせている。

 

関係が壊れるときは、自然に壊れていくのではない。

そういう行動の積み重ねの結果なのだ。

 

 

だから、それを「しない」。

二人の関係を冷やす行動を「しない」ことで積みあがった今の幸せが尊いのだ。

 

愛情あふれる幸福な日常は、「普通」なんかじゃない。当たり前なんかじゃない。

大切なものを守るという意志と、行動の結果だ。

 

それが、二人の空間を作る。

 

 

真顔で「ありがと」ではなく

笑顔で「ありがとう!」と言ってみたり

「ただいま」と相手に目もくれず部屋を横切るのではなく

「ただいまー!」と抱き着いてみたり

 

そうすることもできるし、しないこともできる。

だから、その選択は責任重大なのである。

 

 

「たかが」と言われそうなそんなことを積み重ねることで、幸せは維持される。

毎日は勝手に楽しくなんかならない。

自分で楽しくするのだ。

 

楽しませてもらいたいとか、幸せにしてもらいたいだなんて、自立した大人が考えることではない。

 

愛情は、メンテナンスしなければ錆びていく。

 

同棲というものが将来「家庭」という空間を作り上げていくことに繋がるかどうかは、

自分の立ち居振る舞いに、テンションにどれくらい責任を持てるかにかかっていると思われる。

 

ここはもはや、自分ひとりの家じゃないのだ。

 

 

その責任感を苦もなく楽しみながら、はしゃぎ倒したりくつろぎまくったりして、それが幸せを作り上げているのだと自覚する。

私はそれを「成熟」と呼んでいる。

 

 

ADHDとであろうが無かろうが、同棲は心が自立し成熟した者同士がするべき

同棲とは、

精神的にも経済的にも自立して成熟した大人同士がするべきものだ。

 

自分の思いを一番大切にしながら相手も思いやる。

些細なことは許し合う。

大事なことほど話し合う。

 

 

ここまでくると、彼がADHDかどうかなんてもはや関係ない。

 

同じADHDの中にも、成熟した人もいれば、そうでない人もいる。

 

 

問題はADHDかどうかよりも、お互いの成熟度合いと覚悟と責任感、そして空気感の相性である。

 

 

大人にとって、幸せは与えられるものではない。構築するものだ。

それを「だるい」と思う人や、「誰か私を幸せにして~」なんて思っているうちは、まだ同棲などしないほうがいい。

 

相手が好きとか愛とか何とかよりも、それをちゃんと体現できて、受け取り合えるかどうかの方がよっぽど重要だ。

つまり、すれ違いが起こらないように素直でいる力。

 

 

・・・以上、ADHDの人と(じゃなくても)同棲するうえで大切なことでした。

 


 

ADHDのパートナーと付き合っていて思うこと:

・発達障害が障害ではなく「特性」と呼ばれる未来がやがて来る

・無職の彼氏との付き合い方 12のアドバイス【経験者談】

このブログの運営者

生きづらさの解消方法・幸せに生きる考え方・うつ病の治し方をお伝えしています。
過去にうつ病になり、考え方を変えることで完治させた経験あり。

典型的なINFP人間。
モットーは「自分の幸せを第一に生きる」。
現在会社員をやりながらADHDの夫と暮らしています。

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