モテない(恋愛できない)せいでうつ病になるのは自然なことなので解決策を考えた

うつになる原因は色々あるが、

「もう一生恋愛できないんだろなぁ」という絶望感が一つの原因になることがある。

 

これは大げさでもなんでもなくて、

人間の生存本能の理にかなっている、いや、自然界の摂理に沿った現象だ。

 

しかし、そんなことで絶望する必要はない。

モテない・恋愛できない憂うつや悲嘆を解消する方法をお伝えしたいと思う。

実際に私がうつ病を治した考え方である。

 

目次

恋愛できないから「うつ」になる、というのが理にかなっている理由

まずは、なぜ恋愛できないと絶望し、うつ病にまでなってしまうことがあるのか?

それを知ることが重要だ。

 

 

生き物というのは、

生存や種の保存に有利な状況を「快」と認識し、

逆に不利な状況を「不快」と認識する。

 

恋愛できないということは、種の保存が果たせないということ。

 

生物にとって、種の保存ができないことは最大の危機。

だから自然の摂理は、人間に「モテないこと」を「不快」と感じさせ、

不快な事態を避けるように仕向ける。(要するにモテる努力をさせて、子孫を残しやすくする。)

 

恋愛できないと、この「不快」が極まって、

最悪「うつ」になるのだ。

 

人間も、水槽の熱帯魚と同じ

熱帯魚の水槽を見てみてほしい。

「私はこの中でいうと、どの魚なんだろうか?」

 

一番発色の綺麗なこの子じゃないな。

身体が大きくて頑丈そうなこの子でもないな。

・・・。

 

この灰色の小さな成魚は、子孫を残せずに死ぬのだろうか?

私ならその魚を、うつの真っ最中で「絶望」していた頃の自分と重ね合わせる。

 

 

人間は言葉で色々とごまかしているが、

他の生殖する生き物と同じ、子孫を残すために生まれて死ぬ。

 

人間は何のために生まれてくるの?と子供に聞かれたら、

「自然界からしたら、生き物は子孫を残すために生まれて死んでいくんだよ」

と私は答えると思う。

 

もちろん、人間はそんなことは意識していない。

そんな自然界の「大いなる意志」など自覚していない。

ただ、個人的に子供が欲しいな~とか、恋したいな~と、漠然と思うだけである。

 

 

私は別に、実際に子孫を残すことが偉いとか善いとは思っていない。

だけど悲しいかな、

人間は自然界の意志によって、無意識に

「より子孫を残しやすい」ように行動する傾向がある。

なぜなら、そちらの方が「快」だからである。

 

人間が感じるのは「快」か「不快」か、どちらかだ。

人間は単純化すれば無条件に「快」の道を求め、「不快」を避けようとする。

 

子孫を残すためにそのように仕組まれているとも知らずに……。

 

問題なのは、自分がモテないと思い込んで悲嘆に暮れること

私は、多くの人がモテる・モテないの問題を軽視し過ぎているように思う。

 

モテる努力をしろという気はさらさらない。

(むしろ私は、本当にいい女・いい男は、「その他大勢」にモテることの無価値さ・くだらなさを知っているように思う)

 

「自分がモテないと思い込んでいると”うつ”になりやすい」ことが問題なのである。

 

 

モテないと思い込んでうつ病に至るプロセスは、こうである。

 

自然界の摂理としては、

個体が「子孫を残せる可能性が低い状態」に陥ることを一番避けなければならない。

 

どうやってそういう事態を避けさせるかというと、

子孫を残せる可能性が低い状態に陥った人間に「不快感」を味わわせるのである。

 

元気な状態の人間なら、多少の不快感があっても

趣味や仕事や、別の方面で快を補う。

 

しかし、何かの拍子に精神力が弱まって気力を失うと、

この不快感が強くなっていく。

そして、抑うつ状態になっていくのだ。

 

重大なのはこの事態である。

その人が実際にモテるかモテないかではなく

その人が「モテないこと、恋愛できないことは不幸・憂うつ」だと感じてしまうことだ。

 

 

絶望感を解消し、陥らないようにする方法

 

では、抑うつ状態に陥らないように、

「自分は恋愛できる望みが無い」と思い込んでいる人が幸福感を取り戻すには

どうすればいいか?

 

解決策は2つある。それは、

・「自分は恋愛できない」という絶望感を解消する(「恋愛できる望みもある」と希望を取り戻す)

「恋愛しなくても幸せになれること」に気付くこと

である。

 

 

自力でこれらを達成できるなら、好きなやり方でやってみてもらって構わない。

 

でも、そう簡単にはいかないだろうと思う。

だから、私が実践して効果のあった方法を紹介したいと思う。

 

 

例えば、

「俺はモテない」と思っている人が、それによる絶望感を解消したいとする。

(ここでは“俺”は異性愛者ということにしておきます。)

 

紹介する方法は3つ。

①認知療法的なアプローチ

②苦しみの根源を探り出すアプローチ

③ありのままの現実を認めること

 

ではまず1つ目。

①認知療法的なアプローチ

うつ病の治療に有効とされるのが認知療法というものである。

やり方を簡単に言うと、

「自分を苦しめている考え方を否定する事実を挙げていく」というものだ。

これにより、偏った思考を是正することができる。

 

例えば、「俺はモテない」とか「俺は女の子に相手にされない」ことを“否定する事実”を挙げていく。

そんなものねーよ!と暴れてはいけない。

どんな些細なことでもいいのだ。

幼稚園のときに女の子と喋ったり遊んだりした体験でも良い。

中学生のときに女子に消しゴムを拾ってもらったことでも良い。

可愛いコンビニ店員さんとよく目が合うとかでも良い。

 

記憶の奥底をほじくり返して、重箱の隅をつつくように人生を思い起こす。

気のおけない友達に「俺のモテエピソード、なんかあったっけ?」と直接聞いてみてもいい。

意外なことを他人が覚えていることもある。

 

そうすると、

「俺を邪険にする女性もいたけど、まともに人間扱いしてくれる女性もいたんだなぁ。」

というふうに、中立なものの見方ができるようになる。

 

認知療法を正しく行えると、

「絶望するほどでもなかったな。」

と、心の苦しみはだいぶ軽くなる。

 

(もっと認知療法のちゃんとしたやり方を知りたい方はこちらを参考に!私のバイブル:

「うつと不安の認知療法練習帳 [増補改訂版]」(D・グリーンバーガー 著/C・A・パデスキー 著/大野 裕 監訳/岩坂 彰 訳)

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②苦しみの根源を探り出すアプローチ

もう一つのアプローチは、

「俺はモテない」という悩みに潜んでいる、「苦しみの根源」を探し出すというものだ。

自分が本当は「何に」「どういうことに」絶望しているのかを探すのだ。

 

 

やり方は、以下のように“「なぜ」を繰り返す”だけである。

 

なぜ、モテないことがそんなに苦しいのか?

「モテなかったら彼女ができない」

 

じゃあ、なぜ彼女ができなかったらだめなのか?

「彼女ができなかったら結婚もできない」

 

では、なぜ結婚できないことが駄目なのか?

「結婚しないと孤独で不幸な人生になる」

 

つまりこの場合、

「孤独で不幸な人生」を送ることが一番の絶望の種なのだ。

 

 

実は誰も、恋愛できないこと自体に悩んでいるのではない。

恋愛できないと幸せになれないと思うから悩むのである。

 

ここでの望みは「孤独感を解消して幸せになりたい」ということだ。

その願いが叶いさえすれば、実は恋愛できなくても結婚できなくても良いのである。

 

 

確かに、恋愛によってしか得られない高揚感はある。

結婚すれば、家に一人きりという状況は減るかもしれない。

 

でも、孤独感を解消して幸せになるためには、

恋愛や結婚は決して必須ではない

 

一人でも、自分で自分を幸福にする術を身に着ければ

幸せな状態を維持できるようになる。

(詳しくはこちら→幸せな恋愛をする唯一の方法は、一人でも幸せでいられるようになること

 

むしろこの力がなければ、恋愛しても結婚しても寂しさや不安を抱いたままになる。

 

恋愛や結婚に夢を見ない方が良い。

むしろ一人でいるよりも寂しくて不安になることが増え、掻き乱されることが増える。

 

どうしても恋愛したければ、まずは自分の精神状態を整えることの方が先である。

 

③ありのままの現実を認める

嫉妬心を消す方法は、自分の負けを認めること」という記事でも書いたのだが、

「俺はモテない」という事実を受け入れ、認めるというアプローチがある。

 

人間の心を一番苦しめるのは、「受け入れられない事実」だ。

つまり「俺」は、自分がモテないという事実を受け入れられないせいで、苦しんでいるのである。

 

 

では、どうやってその(受け入れがたい)事実を受け入れればよいか?

 

①まずは「俺はモテない」と思う根拠となる事実を挙げる。

例えば、

・バレンタインデーにチョコをもらえない。

とか。

 

② ①をもっと限定的な表現に変える。

①だとまだ表現がふわっとし過ぎているので、

事実に即して、限定的な表現に言い換えよう。

・俺が今まで出会ってきた女子のうち、俺にチョコをくれる子はいなかった。

という風に。

 

(逆に、「この世の女性は誰一人として俺にチョコをくれないんだーー!!」などと、事実よりも広い範囲の表現をしてはいけない。

「俺」が出会ってきた女性は、この世界のほんの一握りに過ぎないのだから。)

 

③ ②の事実を受け入れる。

「俺が今まで出会ってきた女子のうち、俺にチョコをくれる子はいなかった」

ことを受け入れる。

 

ここで、事実を勝手に解釈してはいけない

「チョコをくれなかったのは、俺に魅力がなかったからだろう」とか、

「俺になんか渡す気にもなれなかったんだろう」とか、

事実じゃないことを勝手に想像してはいけない。

 

認めるのはただ「俺の周囲にいた女性は、俺にチョコを渡さなかった。」という事実のみにすること。

そうでないと逆効果になり、余計にネガティブ思考に陥ってしまう。

(もしかしたら、渡そうとしたけど恥ずかしくて渡せなかった女性がいた可能性もあるのだから!)

 

–  –  –  –  – 

手順は以上である。

異性から受けた仕打ちが多ければ多いほど、

受け入れるべき事実は多くなるだろう。

 

「あのときあの人にあんなことを言われた」とか、

「あの時あの子は返事をしてくれなかった」とか。

 

これまでの事実を受け入れられたら、ようやく次のステップに移れる。

 

これまでの現実を変える努力をしてもいい。

それとも「別に今のままでも問題ない」と考えが変わるかもしれない。

 

そこはご自由に。

 

恋愛は、幸せを感じるための様々な手段のうちの一つに過ぎない

恋愛したいのにできない、という思いは、

結局は「幸せになりたい」という願望から来ている。

 

でも、確実に幸せになる手段としては、

恋愛に頼るのは間違いだ。

 

なぜなら、恋愛は他人ありきだから。

自分の思い通りには決してならないから。

 

それよりも、自分で自分を満たす方法を身につける方が手っ取り早く幸せになれる。

(自分で自分を愛した方が1000倍幸せになれた体験談→自分を愛することに目覚めて幸福度がカンストし、うつが治った話。

 

だけど、人間、

ずっと絶え間なく幸せな気分では居られない。

時には沈むこともある。

 

そんな時には、別に恋人じゃなくても、

友達でも、家族でも、ペットでも、

ロボットでも、画面越しの誰かでも、

趣味でも仕事でも遊びでも旅行でも行きつけのお店でも、

 

自分を癒してくれる存在はいくらだってある。

 

 

それでも、「恋愛によってのみ得られる幸せ」をどうしても手に入れたいなら、

 

思考回路を変え、

過去の清算をし、

新しい経験を積み、

 

自己評価をフラットにしていき、

肥大した自意識過剰を解消していく。

 

そうなって初めて、人はありのままの「外界」を見つめることができるようになる。

他人を「自意識越し」に見ることもなくなり、話す相手のありのままの姿が見えるようになる。

ここが、相手ありきである恋愛のスタート地点だ。

 

そして、その頃には

「別に恋愛っていうのは私の人生においては必須じゃないかな。満たされてるから」

というスタンスになっているかもしれない。

 

こういう気分でいるときの方が、余裕があり、自立していて、魅力的に見えるものだ。

 

 

結局は、

苦しみの根源は、恋愛するだけでは消えない。

ここを、恋愛に夢見る頃は勘違いしている。

 

人が不幸から逃れるために真に必要なのは、

「誰かを愛したり、誰かに愛してもらう」のではなく、

自分自身によって内側から満たされること。

 

まずは上記のようなアプローチで現実を正しく見つめ直そう。

 

個人的な話 

私も「うつ」の治療を始めるまでは、

自分はこの先も異性に見向きもされないだろうとほとんど絶望していたし、

別の道で幸せを探そうと半分開き直っていた。

 

それでも、心の底の方を流れる憂うつ感は消えなかった。

 

「自分は誰にも必要とされない」という自己認識が、私のうつの原因の一つとなっていた。

どこからか声がささやくのだ。

「お前、遺伝子を後世に遺さない気かよ?」と。

 

 

種の保存への希望を失うと、私の遺伝子は精神に命じた。

「絶望しろ」と。

そうなった個体には、「自死」という選択肢だけが残る。

遺伝子に見限られるのである。

「お前もう子孫残せる希望ないから死んでもいいよ。」と。

これが自殺願望、または希死念慮として表れてきた。

 

だが、遺伝子はそういう説明をしてくれない。

単なる「不快感」「憂うつ」「死にたいという気持ち」をほぼ無意識のうちに催させるだけである。

 

 

だけど、人間はあきらめてはいけないと思う。

自然の摂理なんかに屈してはならない。

 

絶望という意識から逃れる手段は無限にある。

そもそも絶望感というのはただの「気のせい」に過ぎない。

 

 

どうせ生きるなら、

誰も見たことのない色合いの熱帯魚になろうじゃないか。

 

 

私は再起した。

その結果、うつ病も治り、心は満たされ、

一人でいるときも熱い愛情で満たされていた。

 

そういう折に、彼氏もできた。

当時は遠距離になったが、自分で自分を満たす方法を身に着けていたので、不思議とほとんど寂しくなかった。

 

一度は自殺まで考えた人間が、ここまで変われるものなのだ。

そういう希望を、あの時絶望していた可哀そうな私に伝えてあげたいと思った。

 

この記事は、その当時の自分の涙に捧げるものである。

 

このブログの運営者

生きづらさの解消方法・幸せに生きる考え方・うつ病の治し方をお伝えしています。
過去にうつ病になり、考え方を変えることで完治させた経験あり。

典型的なINFP人間。
モットーは「自分の幸せを第一に生きる」。
現在会社員をやりながらADHDの夫と暮らしています。

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