社会不適合者なので就活をしなかったら、最終的に超絶幸せになった話。

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社会不適合者なので就活しなかった話。

大学時代、就活を全くしなかったんです。

何故かというと、

単純に「私は就活するような人間じゃない」と思ってたから。

 

要は”社会不適合者”だったのです。

「資本主義」とか「ビジネス」などという概念にはアレルギーがありました。

 

 

ちなみにMBTI診断で言うと典型的な「INFP」型の人間です。

INFPとは、簡単に言うと、「社会に適合できない悲劇のアーティスト気質」。

 

 

でも、就活をする年齢になるまでは、私は真面目に人生のレールをたどってきた。

義務教育を終えて、高校に行き、大学受験に合格。

勉強が好きだったから。

努力する自分が好きだったから。

 

自分のやりたいことにはいつでも忠実だった。

 

やりたいことだけをやり、やりたくない習い事や遊びはしない。

やりたい部活に入る。

行きたいきたい学校に進学する。

 

自分がどこに行くか、何をするか。

自分が何を捨て、何をしないか。

そのほとんどを自分で決めてきた。

 

そうやって生きてきたのに、大学3年目あたりで突然、

就活は普通するものなんですよ!」という、見えない強制力が押し寄せてきた。

 

私は反射的に反発した。

いや、やるかやらないかは自分で決めるから。」と。

 

 

 

就活をすべき年代のときに、私は下宿先に閉じこもり、創作に励んでいた。

やりたくないことはやらない。

それは私にとって至極当たり前のことだった。

 

大企業にもキャリアにも一切興味はなかった。

私が心の底で憧れていたのは、「売れない画家」になることだった。

山奥でひっそりと、自然に囲まれながら、人とのかかわりを断って、絵や小説や詩を書いていたかった。

 

ひたすら情熱に任せて創作している時が楽しくて、このまま野垂れ死んでもいいと思っていた。

しかし、その裏側で、絶望感がジワジワと心を蝕んだ。

 

私の当たり前は、世間での当たり前ではないのだ、と。

「ああ、私はこのまま社会に適合できずに、食べていくための日銭を稼ぐこともできず、飢えて死んでいくんだ」と。

 

 

その絶望感が「うつ病」の症状として現れるようになった。

最初は生理前だけうつになるPMDDという症状から始まった。

それが徐々に悪化し、慢性的なうつ病となった。

 

 

本心では、何かを創作し続けていたい。

そのためなら精神を燃やし尽くしたって、山の中に籠もって死んだって本望だ。

 

でも、親も社会も、そんなことを私に許しはしない。

――そして、私自身も、私にそんな自由を許すことができなかった。

 

 

一方、同級生は名だたる大企業にばんばん内定を決めていった。

 

 

社会から取り残された私。

民間企業というものに、いや、資本主義社会という仕組みそのものに全く興味が湧かない私。

「稼ぎたい」という気持ちが1ミリも湧かない私。

だからといって、公務員になる意欲も湧かない。

 

 

思い返すと、私は深層心理では「うつ」になることを自ら積極的に選んだのかもしれない。

「もうなにもしたくない」

「何も選びたくない」

「何を選んでも幸せにはなれない」

私の未来は、八方塞がりだった。

 

 

うつ病になって、社会不適合者な自分を許すことにした

結局うつ病で私は2年留年することとなった。

その間、実家に連れ戻され、いったん将来のことは脇に置いておいて、ゆっくり療養することとなった。

 

その間で、私は自分の「生」について深く考えた。

 

自分の絶望の根っこを探ってゆく過程で、

自殺願望にも何度も追い込まれた。

何度も死にたいと思った。

 

自殺するかしないかの瀬戸際で、私に天啓が降りた。

死ぬくらいなら、もう何も捨てても一緒じゃないか。

”命”を捨てるのではなく、”今までの自分”を捨ててしまおう。」と。

 

 

世間体を気にして、ずっと心を苛んできた「本当は就活しなければならないのに」という義務感

自分は社会不適合者だから人間のクズだ」という自己否定感。

 

全部全部、取っ払うことにした。

私の心を苦しめてきた考え方は、全て捨てることにした。

 

 

「就活したくない」という本心。

就職できる気がしない、という恐怖心。

もう生きていたくない、という心の弱さ。

 

自分の正直な本心を、認めてあげることにした。

それでいいんだよ」と。

 

 

「本当に、いいの?」

私の中の小さな女の子が、怯えながら私を見つめてきた。

「いいよ」

私は彼女を抱き締めながら答えた。

 

 

そうやって、私は、私の「本心」を認める練習を繰り返し行った。

もう勉強も就活も何もせずに、自由に、やりたいことだけすることを、自分に許すことにした。

何をするときも、何もしないときも、罪悪感を抱かないように、

「それでいいんだよ」「やりたいことだけやるのが良いよ」と、繰り返し自分に言い聞かせた。

 

 

抗うつ薬も飲んだ。

「認知療法」という、うつ病の治療のための心理療法も行った。

 

 

すると、引きこもり状態だった私に、不思議と活動の意欲が湧いてくるようになった。

 

私に初めて「自由」を許された私自身から、本当の「生きる力」が湧いてきた瞬間だった。

 

 

1年間休学したあと、私は大学に行くようになった。

その間も就活は一切しなかった。

「しなきゃならない」とも、もう思わなかった。

そして、私は残っていた単位を取得し、大学を卒業した。

 

 

この時には、私の「うつ」は既に治っていた。

そして、不思議なことに、あれだけ興味がなかった「社会」というものに興味が湧いていた

 

自立したい」と思った。

自分の力で、生きてみたい、と。

 

もはや、山の中で野垂れ死にたいとは思わなかった。

創作意欲よりも、「生きてみたい」という強い願いと、

”会社”って一体何をするところなんだろう?

「会社員になるってどんな感じなんだろう?」という好奇心が上回っていた。

 

 

過去の私からは考えられないことだが、

私は興味本位で「会社員」というものを体験したくなってしまったのだ。

 

 

就職したくなったので、既卒向けエージェントを使った話

世の中には、既卒向けの就職エージェントというのがある。

 

就職したくなった私は、それらのいくつかに登録した。

例えば就職ショップ

 

それに加えて、

「就活 したくない」でGoogle検索をして出てきた

就活アウトロー採用」という就活イベント(?)にも参加した。

これは、就職目的というより、「気の合う友達ができそう」という理由で行ってみたのだった。

実際参加してみると、「就活したくないんだが」という同士たちに出会える素敵な場だったので、おすすめ。

 

 

そういう既卒向けの就職支援サービスを使って、私はとある会社から内定をもらった。

そもそもその一社しか面接を受けていないので、ピンポイントの最低限の労力で就職を決めることができたと言える。

ちなみに面接では、「前向きな姿勢が好印象」だったそうだ。

元うつ病の根暗な私が「前向きさ」を評価されるなんて。「私、変わったな」と思った。

 

 

既卒向け就職支援エージェントを使ってみて思ったのは、

やっぱり就活のプロの助力はすごい

 

それと、「大学時代にこれを何社も繰り返すのは私には無理だったな」と思った。

大学生のうちにこんなことを何社も何十社も、しかも全部自力でやるなんて、やっぱり世の就活生はどうかしている。

どっちにしろ私は、あの頃就活してもしなくても病んでただろうと思う。

 

 

それにしても、うつ病で2年も留年したような人間を採用してくれた会社(社長)には、感謝ばかりである。

 

 

内定をもらって、私は、自分の人生が変わりつつあるのを実感した。

生まれも育ちも関西だった私は、就職で東京に行くことになった。

 

元社会不適合者、東京でOLを始める

東京の都会の一角で晴れてOLをやることになった、元社会不適合者(そして元うつ病者)。

 

果たして大丈夫なのかどうか。

私は、「私の幸せを奪う会社ならいつでも辞めてやる」という半ば喧嘩腰のスタンスで、会社勤めを始めた。

 

過去に自殺衝動まで湧いたうつ病から立ち直った自分に対する自信もあった。

 

どん底を味わった人間は強い。

「もう二度と、私は自分の”本心”をないがしろにしない。どれだけ世間の常識に背こうとも。」

「誰が何といおうと、私自身の幸せを第一優先にして生きる」

というものが、私の生き方の軸になった。

 

 

何かに迷ったとき、私は

どっちが自分が幸せになれるか」を基準に行動するようにした。

 

だから、残業せずに誰よりも早く帰ったし、

頑張った方が後の成長に繋がりそうなことは精一杯頑張ったけど、

苦手なことや、逆立ちしても出来なさそうなことは正直にそう表現した。

 

飲み会はいつも1次会で帰ったし、

お昼休みに女子社員とつるむのは苦手なので一人で公園で食べた。

社会に適合しようとしなくていい。適合しようとしたってできないし、できないことで苦しんでも不幸になるだけ」だと知っていたから。

 

 

不思議と、そんな自分本位(?)な態度は、悪い評価を受けなかった。

それどころか私は順調に評価され、気づけば少しずつ昇進していった。

 

 

ここまでくれば、

「お前、全然社会不適合者なんかじゃなくね?」

と思われるかもしれない。

 

実際にADHDの彼氏にもそう言われる。

確かに、定職が続かず色んな仕事を転々としている彼を見ていると、会社員を続けている私は「れっきとした社会適合者」なのかもしれない。

 

 

私は、「社会不適合者よりも適合者の方が偉い」とは思わない。

しかし、「社会不適合者の方が本当は秀でているんだ!」とも思わない。

両者は、ただの能力の違いである。

 

 

そして私は、社会適合者と不適合者がきっちり二分されるとも思っていない。

人間は誰しも、状況や環境によっては周囲に適合できなくなったり、できるようになったりする。

そして1人の人間の中でも、少しは適合している部分と、少し適合できていない部分が常に混ざり合っている。

 

だから、むやみに「私は社会不適合者!あなたは適合者!」と決めつけない方が良いと思っている。

 

 

私は、画家になれば偉いとか、逆に芸術に道に進むのは馬鹿だとか、

会社員は負け組だ勝ち組だとか、そんな話に興味はない。

 

幸せとは自分の中だけにあるものだ。幸せでいられさえすれば、どんな道だってかまわない。

 

 

私には、社会不適合者として、売れない芸術家として生きる道もあったかもしれない。

その道でしか得られない喜びもあっただろう。

 

でも、想定外に軌道修正された今の人生を、私はとても幸福だと思う。

仕事が楽しい。

ご飯がおいしい。

安定した収入がある。

毎日ぐっすりと眠れる。

 

 

うつ病に苦しんだ頃からは想像もつかなかったくらい、今の私は幸福だ。

 

 

だからもう、何もいらない。

 

 

社会不適合である自分の感じていることを許せば、自然と良い方向に向く

人間は、自分自身に許されると「変わる」ことができる。

これは私の実感だ。

 

 

重要なのは、自分が社会不適合者かどうかではなく、

自分のやりたいこと、やりたくないことにどれだけ正直になれるか、

どれだけ自分を許すことができるかだ。

 

 

やりたくない就活を無理にやったって、

その先もずっと、やりたくないことをやらされる人生のままである。

 

そういう性格の人は、会社でもやりたくないことを押し付けられ、何も言わず従う。

 

 

やりたくないうちはやらなければいい。

やりたくないことはやらなくて良い。自分を殺すなよ。の記事でも書いている通り。

 

私のように、いつか自然にやりたくなる時が来るかもしれない。

やりたいと思える時が来てからやればいいのだ。

 

私は、良くも悪くも頑固で、「やりたくないことはやらない」を貫き通した。

でも、「本当は就活をしなければならないんじゃないか?」「やらない自分はおかしいんじゃないか?」と常に迷い、苦しんでいた。

 

だから、「就活なんかしたくないという本心」と「それを許せない自分」との板挟みにあって、結果うつ病になって散々な思いをした。

 

 

だけど、やりたくないことを自分に許せたときから、

最終的にたどり着いた場所は、想定を超える幸福だった。

 

棚ぼた的な運ではなく、生きたい道を貫くことで、自分自身で築き上げてきた幸福だ。

だから、「いつかこの幸福も失われるのではないか?」という不安も無い。

 

「私が私を幸せにしてくれる」「私が私を不幸から守ってくれる」

という、自分への信頼が築かれているからだ。

 

 

 

皆は、すごい。

受験をして、大学のうちから就活して、就職して。

社会的な「常識」とかいうよく分からないものに、よくこれだけ多くの日本人が従っていけるな、と思う。

就活なんて、私には何度生まれ変わってもできないだろう。

 

 

でも本当は、「常識」「普通」のレールを辿るのに疲れて、息切れして、今にも(心が)死にそうな人も、たくさんいるのだろうと思う。

 

 

普通の道を外れることに恐怖心がある人には、言いたい。

就活できるかどうかと、幸せな会社員になれるかどうかは、比例しない。と。

私がそれを証明したからだ。

 

 

「自分は社会不適合者だから…就活したくない…無理…」と思っている人は、然るべき環境では逸材になるかもしれない。

自分のしたいことと、したくないことを、どうか自分自身に許してあげてほしい。

世間の常識なんて気にしないで欲しい。

 

 

自分のやりたいことに真剣に向き合っていれば、

「生きづらさ」など霧のように消えてしまうのだから。

 

就活を頑張って得られるのは、”想定の範囲内”の幸せに限られる

想像できる幸せはたかが知れている。

 

就活して、いい会社に入って、いい出会いをして、結婚をして、なんやかんや。

 

…そんな、想像した通りの人生を生きることほど、つまらないことがあるだろうか。

 

 

想像以上の幸せとは、想定内の生き方をしていては手に入らない。

自分の想像を超えてくるものがこの世にはある。

それを「就活しない」という道を選んだ経験が教えてくれた。

 

就活しなかったのは、私の心が「想像の範囲内の幸せ」を享受することを拒んでいたからかもしれない。

 

 

 

明日何があるか分からない。

だから毎日が楽しい。

だから生きることをやめられない。

 

この世に生まれたものは、生まれてきてしまった以上は生きることを強いられる。

生まれることを自分で望んだわけではないのに、何とかして生きるしかないのだ。

 

そんな不条理の中で、やっぱり人を生かしてくれるのは

「何が起こるかわからない未来への希望」と呼べるものなんだと思う。

 

これは、うつ病の時の「人生お先真っ暗だとしか思えない絶望」とは対極にある。

 

 

今思えば、社会不適合者として打ちひしがれていた時期の経験はものすごく濃厚で、ある意味で充実した日々だった。

小説を書いたり、絵を書いたり、楽曲制作をしたり、現実逃避という名の創作活動がやたら捗ったのだ。

あのときに「もう無理!」というほど大好きな創作に打ち込めたおかげで、その反動で今普通の生活ができているように思う。

 

 

もしその大学時代に「皆がやるから就活しよう」と流されて就活していたら、

あれほど深い絶望を味わうことはなかったのだろうか。

しかし、今ほどの大きな幸せを手に入れることもなかっただろうと思う。

 

 

 

私はここで「就活なんてしなくてもいい」と書くが、

実際に就活をしなかった人の人生には責任を負わない。

「就活するな」とアドバイスしているのではないのだ。

 

大事なのは、するかしないかを自分の心に従って決めること。

自分の心の声を聞いて、自分の頭を使うこと。

考えた末に「自分の人生は自分で決めて、自分で責任を持つ」こと。

 

 

「常識」的思考を捨てたら幸せになったので、その具体例を挙げたいと思います の記事に書いた通り、世間一般の常識など捨ておけばいい。

 

 

「周りに流されて就活して病みました」というのなら、病むような選択をした自分に責任を持つしかない。

そして、二度と自分を不幸に陥れないために何が大事かを考えること。

 

 

というと、かなり重い選択を投げかけているようにも思えるが、

言っておくと、人生、一度や二度病んだって終わらない

 

うつ病になった経験があって初めて見えることもある。

むしろ心を病むことは、新たな人生の始まりだ。

病んだ経験から、自分にとって大切なものを学び取れ。

どん底の経験は、必ず糧になる。力になる。

 

 

(ただ、もしうつ病が疑わしい場合は、必ず誰かに助けを求めて、できれば医師に相談すること。自殺しちゃっては私が悲しいので、これは本当にお願いしますね。)

 

 

最後に。

「こんな自分は駄目だ」なんてことは、絶対にない。

 

そりゃちょっとは駄目かもしれないが、人間誰しもちょっとは駄目なところがある。

あなたも私も、めちゃくちゃ凄くもないし、めちゃくちゃダメでもない。

私たちは、ただの、その辺にいる人間である。

 

だから、気に病まなくていい。

「俺はこれでいいんだ」

「私はこういう人間なのだ」

そう自分に許すことで、新たな人生の一歩を踏み出してみてほしい。

 

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生きづらさの解消方法・幸せに生きる考え方・うつ病の治し方をお伝えしています。
過去にうつ病になり、考え方を変えることで完治させた経験あり。

典型的なINFP人間。
モットーは「自分の幸せを第一に生きる」。
現在会社員をやりながらADHDの夫と暮らしています。

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