話を聞く力とは?極論「うん」「いいね」の相槌だけでも人は好感を抱くって話

 

人の話を聞くときに、最低限できていたい2点。

 

それは

「うん(はい)」という相づち。

それから、

「いいね(いいですね)」と一旦許容する返し方。

 

私?

……あんまりできていないんだな、これが。

 

目次

意外とできていない、いいね!という反応

同居している彼氏が

「これをやりたいと思ってんねん」

「これ買おうと思うねん」

と言ってきたときに、

 

私は「いいね!」と即座に言えない。

 

これは重大な欠点であり、直さねばならないと思う。

 

 

例えば、

「この料理作ろうと思うねん」

と新しいレシピを見せられたときに、

「へー。…でもこれ、うちに無い調味料色々使うんやな」

と答えてしまったりする。

 

 

「でも」で始まる否定系の返答をしてはいけない。

せっかくの相手のやる気を削いでしまう。

 

 

だから今日からは、

「こうしてみたい」

と言われたら、即答で

「おお!いいね!」と言おうと決意した。

 

 

いいね!とどうして即座に言えないのか。

それは私自身が、

あーだこーだと思考だけ膨らませて結局行動しない人間だから。

 

だから彼の提案にも「うーん」と考え込んでしまうのだ。

 

彼の決めたことは彼がやることなんだから、

そんなに真面目に考えなくていいのだ。

 

 

これが彼氏じゃなくて赤の他人の提案だったら?

「おもろそうやん!」とノリで賛同できてしまう。

他人には無責任なことが言えるのだ。

 

 

彼に対しても、そういうノリでいるべきだ。

 

彼の人生に責任を負いすぎないこと。

 

彼の人生が私にも関わってくると思い込んでしまうと、

それが画期的な(つまり突飛な)提案であればあるほど

「それって非現実的じゃない?」と辛辣な反応になってしまう。

 

 

「ピラニア飼おうよ!」

「げっ」

みたいに。(これは断っていいか…。)

 

 

でも、やっぱり否定から入るのは良くない。

その提案に問題があるのなら、

「うん、いいアイデアだねー、じゃあこの問題はどうする?」

と考えさせてあげるといいのだ。

 

 

ちょっと練習しておこう。

 

「近所の猫、うちで預かってもいい?」

「いいね!」

 

「貯金はたいて車買おかな」

「いいね!」

 

「休職して海外に長期滞在しよう!」

「いいね!」

 

よし、シミュレーション完了。

 

 

…そして、決意したその日。

 

仕事から帰ると、

「明日の晩ごはん、じゃがいものパンケーキでどう?りんごのソテーも添えるよ」

と彼から提案があった。

 

 

今までの私ならここで

でもそれって朝ごはんとかブランチとかのメニューっぽくない?」

だの

でもりんごっておかずになる?」

だの意見していたと思う。

 

 

だけど、新しい私は

「おいしそう!いいね!」

と答えることができた。

うん、合格。

 

 

そして翌日の晩、

私はパンケーキのりんごのソテー添えを頂いた。

彼のチャレンジの塊料理は、もっちりしてとても美味しかった。

 

 

……

その後、「いいね!」の方針を続けた我が家はどうなったか。

彼氏とは同棲を始めた。

 

家の中には熱帯魚が増えて、

リクライニングソファが増えて、

高そうな調味料が増えて、

お酒が増えて、

出費が増えて、

出費が増えて、

出費が増えた!

 

どうしよう。

このままいいねを続けたら、我が家はどこに向かうのだろう。

 

まぁ、ステイホームが楽しくなるからいっか。

 

世の奥さんたち、たまには「ダメよ」という力も必要みたいです。

 

仕事でも、突飛なアイデアにまずは「いいね」と言える度量がほしいところ

人には人の思考の筋道、ストーリーがある。

 

それを、私の短絡的な意見で無闇に潰してしまってはならない。

そんなことをするのは、頭の硬い頑固人間だ。

 

 

 

仕事でも同じ。

 

何か新しいことを企画提案したとき、

頭の硬い人間は

「自分の思考回路にはない考えをもとに生まれたアイデア」

を瞬時には受け入れられない。

 

 

無意識に拒否反応を起こし、叩き潰そうとしてしまう。

 

 

特に、同調圧力の強いコミュニティでは、そういう人間が多く生まれる。

 

 

私の周りには、アイデアマンが多い。

彼氏もそうだし、

会社の上司もそうである。

 

アイデアマンにとっては、この社会は見えない敵だらけだ。

 

一方、私には発案力はないが、

面白いアイデアを面白がる力はある。

 

バンッ!と周囲からの反発を彼らが受けたときに

そのまま後ろにバタリと倒れてしまわないように、

私は背後で控えている。

 

別に一緒になってバタリと倒れてしまったとしても、それはそれでいいと思う。

 

いいね!

いいですね!!

と言ってくれる人が少ない人にとって、

私が本心から発する「いいね!」が

僅かでも力になると思いたい。

 

ただ「うん」という相槌を打つだけのことが、難しい

話は変わるが、

いまだに中学生時代の頃などを夢に見て、

 

その夢の中で、私はよく

皆に無視されている。

 

 

 

別にいじめられていたわけではない。

 

ただ当時の私が「私は皆とは違う」と、

強い疎外感を抱いていたせいだと思う。

 

 

 

私はずっと、「皆と同じ」になりたかった。

 

でも、「皆と違う」せいで、

私の発言は軽視されてきた。

 

 

私は、休み時間よりも授業(勉強)のほうが好きだったし、

テレビドラマよりも本の方が好きだったし、

部活の練習はキツければキツいほど楽しかった。

 

 

頭の中では常に空想の世界が繰り広げられていて、

皆が普段何を考えて生きているのか見当がつかなかった。

 

 

 

皆からも、私はなんか違うと思われていたと思う。

 

小学生の頃には既に、

「○○は別世界の人やから」

と言われていた記憶がある。

 

 

例えば

「テスト嫌や〜」

「授業だるー」

「あの先生まじ無理」

という他愛ない雑談に同調できない。

 

 

私は試験がいつも楽しみだったし、

勉強が好きだったし、

先生が好きだった。

 

同調できないから、何も言わない。

 

おとなしい性格だと今でも言われるが、

要はメンタルが弱過ぎるせいで

同調圧力に怯んでいるのだ。

 

 

 

そんな、疎外感でいっぱいだった私に、

高校で友達ができた。

 

入学して初日に勇気を出して自分から話しかけた、

後ろの席の長い髪の女の子。

 

 

私の言うことに何でも、

反射的に「うん」と答えてくれる。

 

 

「お腹空いたわ〜」とか

「あ、外。雨降ってきた」

とか、

 

そんな独り言に近い発言に対しても

スルーせずに「うん」と言ってくれるのだ。

 

 

「聞いてるよ」という程度のその相づちが、

私にはすごくすごく嬉しかった。

 

 

そんな些細なことで感動してる自分が

ちょっと悲しくもなったけど、

スルーされるのに慣れていたから……。

 

 

 

そして、今になって思うのだ。

 

私が小中学生時代にろくに誰にも相手にされなかったのは、

私が彼らの相手をしようとしてなかったからかもしれないと。

 

同級生の

「授業だるいわ〜」という発言に対して、

私は無反応だったかもしれない。

 

 

無視してたのは彼らの方ではなく、私の方だったのかも。

 

 

 

最近になって、私は誰に対してもせめて「うん」と反応してあげられる人間になりたいと強く思う。

 

これは、意外と難しい。

 

簡単なようで、意外とできなくて、

そんな自分にがっかりする。

 

 

特に「自分と全く違う考え方をする人」の発言に対しては、

素直に「うん」と出てこないことが多い。

 

 

 

「でもそれって○○ですよね」とか、

「いや、そういう意味じゃなくて…」

とか言ってしまったり、

 

「・・・?」

と、答えずに考え込んだりしてしまう。

 

 

 

受容力のなさは心の狭さ。

「うん」と言えるだけ、人の心は広くなる。

 

別に同意する必要はないから、

「うん、あなたはそう思うんだね。」

と、相手の感じ方を受け入れるだけでいいのである。

 

 

人望のある人を見ると、必ずこれができている。

誰のどんな発言に対しても、

「うん、なるほどね」

「うん、そういうことだね」

という受容力に長けている。

 

 

人はそういう相手に心を許すし、

ついていきたくなる。

 

 

受容してほしければ、相手を受容すること。

そう思いませんか?

 

うん。

 


 

心の器を広げる方法→問題を一瞬で解決する方法は、問題を問題と思わなくなること。

 

心の器をなぜ広げる必要があるの?→他人を許すと幸福度が上がる理由。

 

このブログの運営者

生きづらさの解消方法・幸せに生きる考え方・うつ病の治し方をお伝えしています。
過去にうつ病になり、考え方を変えることで完治させた経験あり。

典型的なINFP人間。
モットーは「自分の幸せを第一に生きる」。
現在会社員をやりながらADHDの夫と暮らしています。

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