長女・姉に生まれた生きづらさに縛られるな【お姉ちゃんをやめよう】

日曜日で暇なので、「姉であること」について書こうと思う。

 

 

私は、独り立ちしたら「姉という役割」は捨てていいと思っている。

 

というか、元々別に「姉という役割」を果たす必要なんてないのだ。

 

 

私には妹がいる。

 

私にとって妹の存在とは、

「この世が明日滅び、一人だけ救えるとしたら、

私は妹を救います」

と言えるぐらいの存在だ。(重っ!)

 

 

 

幼い頃の一時期はそれなりに口喧嘩もした。

大体私のしょーもない煽りのせいで始まるのだ。

 

小学校高学年以上になるとそんなにお互いのことに興味を示さなくなったように思う。

少なくとも、表向きは。

 

 

母は徹底して姉妹を平等に扱ってくれた。

いや・・・むしろ私が若干(誰も気づかないようなところで)ひいきされてきたかもしれない。

 

我が家で「お姉ちゃん」という単語を聞いたことがない。

母は妹も私のことも名前で呼んだ。

「お姉ちゃんでしょ」のようなことを言われたことも、一度もない。

 

 

でも、お姉ちゃんはお姉ちゃんになった時点で

お姉ちゃんになってしまうのだ。

 

 

 

最近知ったことだが、妹はかなり競争心の強い性格らしい。

 

私と妹の性格は真逆。

 

私は穏和、内向的で大人しい、まじめで一辺倒。

妹は胆力があり社交的、言うときは言う、色々なことに手を出す。

 

 

私は性格上、妹に対抗心を燃やすことはほとんど無かった(常に自分のことでいっぱいいっぱいだったのもある)が、

もしかしたら妹の方は内心ギラギラしていた時期があったのかもしれない。

 

打倒!姉!みたいな。

 

 

 

でも内心はどうであれ、妹は私を素直に慕ってくれている(ように見える)。

 

妹に頼られると、

まるで年下の彼女に頼られる彼氏の心境のようになる。

つまり、可愛い。

※この記事にはこのような気持ち悪い表現があります。ご注意ください。

 

 

私は妹にはツンデレである。

はぁ?と言い、

あほや、と言って笑い、

結局やってあげる。

 

 

つまり、姉は姉になった時点でもっぱら

「可愛がる側」

になってしまうのである。

 

 

姉は、可愛がるばかりで、

分かりやすく可愛がられることがなくなる。

 

その結果、

可愛がられることに慣れない、生き下手な「長女」が出来上がる。

 

 

目次

お姉ちゃんなんかさっさとやめてしまえ

だから、妹のいる長女はある程度の年齢になったらすぐに家を出た方が良い。

そして、とっとと「姉」という身分は忘れてしまうべきだ。

 

実家にいる限り、「姉」であり続けてしまうから。

「姉」でいる限り、それは幸せを阻害する「枷」となるから。

 

 

奇妙なことに、

お姉ちゃんをやめました!と、

姉という身分を忘れ去ったあとのほうが、

「しっかりしてる」と言われることが多くなった。

 

 

頼りないと言われて傷ついてきたのは、

自分が姉だったからなのだ。

 

 

 

姉になると、幼少期から母性本能が育まれる。

誰にも言われなくても、「私はこの子(弟妹)の小さなママ」という自覚が芽生える。

 

特に妹のいる姉は、

「自分はママよりもこの子と分かりあえている」という自負すらある。

 

 

本能として備わっている母性本能を向ける先があるせいで、培われてしまう。

その延長線上で、後輩の女の子なんかも妙に可愛いがってしまう。

 

 

一方、妹は犬猫などの動物好きだった。

興味や観察対象が人間より動物に向いたのは、末っ子だからじゃないかと思っている。

妹や弟がいたら、犬猫よりもそっちに気持ちが向いていたんじゃないだろうか。

知らんけど…。

 

 

 

実家を出た今や、

私はほとんど「一人っ子」のような感覚でいる。

 

大人になると、兄弟姉妹は

「かつて仲の良かった他人同士」っぽくなっていくものだ。

 

 

そのおかげで、心はとても平穏である。

 

 

別に姉であることが不幸なわけじゃない。

 

でも、家族の中での身分を捨てると、

本当の自分が見えてくることがある。

 

本当は全然しっかりしてないし、

だらしないし、

甘えたいし甘やかされたいし、

 

妹はその逆だろう。

実家にいると「妹キャラ」だが、

本当はしっかりしているし、

面倒見もいいし、

自立心旺盛だし。

 

それなのに家族というシステムは、勝手なキャラ付けをしてきて良い迷惑である。

 

 

他人同士っぽくなった姉妹は、もう競い合わない。

(少なくとも私には競争心はない)

姉妹が競い合う図はあまり好きではない。

誕生日プレゼントを贈り合って、たまに合う友達程度でいるのが楽しいものだ。

 

 

 

そもそも、弟妹に物心がついた時点で、

姉であることなどやめて良かったのだ。

彼らは彼らで、わざわざ面倒見なくても勝手に育っていくのだから。

 

 

姉妹はみんなサツキとメイ?

妹に物心がつく前といえば、

となりのトトロで、メイがサツキの学校の教室に乗り込んでくる場面があるが、

 

私にはあれと全く同じ経験がある。

 

 

正しくは、小学校ではなく幼稚園の記憶だ。

 

私が年長に上がり、妹は年少クラスに入学してきた。

 

教室にいるときに、

「○○ちゃん、ちょっと来てくれる?」

と困った様子の先生に呼ばれ、

 

何事かと思う暇もなく、

 

気づけば、外から激しい泣き声がしていた。

聞き慣れた声だ。

 

 

 

私のクラスの窓に、外から妹が張り付いて泣きじゃくっていた。

「びええええぇぇぇ」という感じで。

 

 

後ろで先生が妹を連れ戻そうと抱きかかえようとするが、

妹はぴったりと窓の枠にしがみついて離れない。

 

 

それを見て、「あらま(さもありなん)」とあまり動じはせず、

「かわいい奴め」と少し頬の緩む姉である。

 

 

それからどうしたかは覚えていない。

 

私がなだめて連れ返したのか、

先生に連れ戻されていったのか。

 

妹本人はこのことは全く覚えていない。

 

 

 

この記憶のおかげで、

トトロのこのシーンになると、

顔が緩むと同時にいつもなぜか泣けてくる。

 

 

妹よ。

私をあんたのお姉ちゃんにしてくれてありがとう。

 

 

まとめ

お姉ちゃんであることは、枷である。

そして幸せである。

 


 

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生きづらさの解消方法・幸せに生きる考え方・うつ病の治し方をお伝えしています。
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典型的なINFP人間。
モットーは「自分の幸せを第一に生きる」。
現在会社員をやりながらADHDの夫と暮らしています。

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