あなたは完璧主義者ですか?
質問です。
あなたは完璧主義者ですか?
「いいえ、むしろ私はズボラで怠け者です。そんな自分が時々嫌になります。」
そう答えたあなたは、立派な「完璧主義者」です。
「そうよ、あたしって常に完璧なの!」
と自分に自信満々な人は、完璧主義ではありません。
完璧主義者とは?
「真の完璧主義者」は、
「私ってなんでこんなに怠惰なんだろう」「私はなんて無能なんだろう」などと、わりといつも悩んでいます。
どうですか。心当たり、ありますか?
そう、完璧主義者は、自分のことを胸を張って「俺は完璧主義なんだぜ!」なんて言いません。
むしろその逆。「俺は完璧主義には程遠い。ただの自堕落なダメ人間だ・・・」と思いがちなのです。
でも、周りからは「お前、完全に完璧主義者やんけ!」と思われています。
「もうちょっと肩の力を抜いたら?」なんて言われます。
でも本人には自覚がない。
本人は「まだまだ、俺なんて意志が弱い、ダメダメだ」と思っています。
なぜこんなことを言うかというと、
完璧主義を治したければ、まずは自分のどういう思考が「完璧主義」なのかを自覚する必要があるからです。
完璧主義のデメリット
なぜ完璧主義を治した方が良いのか?
それは、完璧主義は「幸福を感じにくい」思考だから。
完璧主義は「生きづらい」から。
そして・・・完璧主義を突き詰めすぎると、うつ病になるリスクすらある。
でも、完璧主義にも一長一短があります。
いい面もあるのです。
まずはこの記事を読んで完璧主義的な思考がどんなものかを知り、
そのうえで「自分は完璧主義を治したほうがいいのか?」
を考えてみてください。
自分が怠け者ではなく完璧主義者であることを自覚しよう
「あなたは完璧主義なんですよ」と言われたときに、
「いやいや、自分はそんな大層なもんじゃない」と思う人は要注意。
そもそも完璧主義者とは、「完璧を目指す人」ではないのです。
「完璧を目指さないといけないと思っている人」なのです。ちょっとややこしいですが。
完璧であることを目指していないとしても、
「完璧を目指せないことを悩んでいる人」は、すでに完璧主義者だということです。
完璧主義者の特徴
完璧主義の特徴とは、具体的には以下のようなものです。
- 掃除をするのが億劫で、時間があるときにまとめてやろう…と後回しにしがち
- ソファなどでくつろいでいるときに「勉強しなきゃ…」「用事しなきゃ…」と、頭の中が常に何かに追われていて、リラックスしきれない
- テスト勉強では範囲全体をまんべんなく勉強しておかないと気が済まない(ヤマを張るなどという博打は怖くてできない)
- テストで90点を取った時に、正解した90点分はどうでもよくて、「どこを10点落としてしまったか」という失点分の方が気になる
- ダイエット中にお菓子を食べてしまったとき、「自分はなんて自制心が無いんだ…」と苦悩する
完璧主義者とは、「自律心や自制心がある人」ではなく、
「自分に自律心や自制心がないことに苦悩する人」なのです。
一方、「完璧主義者じゃない人」は、別にダイエット中にお菓子を食べようがテスト勉強が不十分であろうが、「まあいっか。人間だもの。」と簡単にケロッと自分を許すことができてしまいます。
だから、完璧主義であればあるほど「自分は怠け者だ」と思い込みやすく、
完璧主義じゃない人ほど「自分にはまあまあ満足している」という事態になりやすいのです。
完璧主義かどうかを見分ける質問
完璧主義かどうかを見分ける簡単な質問があります。
「あなたは、頑張っている自分が好きですか?」
「当然でしょ?」と思った人は、完璧主義な面があります。
「いや、頑張るのは嫌い。楽しいことしてる自分の方が好き」と思った人は、完璧主義じゃありません。
あなたはどちらだったでしょうか?
完璧主義のメリット
ここまでの内容を読むと、完璧主義って、生きづらいんだ…と思えたかと思います。
確かにそうです。
でも、悪い面だけではないのです。
完璧主義者の向上心・克己心はすごい
完璧主義者にとっては、100点が「あたりまえ」「人としての最低ライン」。
だから、99点以下では満足できません。
しかし、この世には100点満点と言い切れる事実はそうそう存在しません。
だから、完璧主義者は心から満足することがありません。
だから、当然、生きづらいし、幸福度も低い。
でも、完璧主義には良い面があります。
それは、「目指さなければ絶対にたどり着けない境地に達することができる」という面です。
勉強でも、スポーツでも、芸能でも、仕事、その他でも。
完璧主義者は、絶対にありえない「完璧」を目指すからこそ達する境地にたどり着くための努力を続けることができます。
完璧主義者が完璧を目指すとき、周囲から見れば凄まじい頑張りを見せます。
「も、もうちょっと手を抜いたら?」
「ちょっとぐらい息抜きしたら?」
と言いたくなるぐらい、常に自分を戒めて、鍛錬を続けることができます。
なぜなら、それがその人にとっての「普通」だから。
完璧主義でないとできない努力がある
私はもともと完璧主義者だったのですが、
完璧主義者だった頃は、今では絶対にできないような努力ができました。
例えば、
過剰なダイエット。(30kg台にまで落ちて生理が止まったので、母親にもうやめろと叱られて目が覚めました。)
吹奏楽部の部活動。(正月の三が日以外、ほぼ休みなし)
それから、大学受験勉強。(今やれと言われても絶対できません)
完璧主義をやめた今、あれだけの頑張りをやれと言われても、無理だと思います。
このように完璧主義者は、
努力する方向によっては「抜きんでた結果」を残すことができる傾向にあります。
…しかし、努力と結果が見合わなくなると、途端に理想と現実のギャップに心が壊れ始めます。
完璧主義をやめるのは難しい?
私自身、生まれつきの典型的な完璧主義者でした。
でも、自覚はありませんでした。
「自分はなんて怠け者なんだ」と、常に苦しい思いを抱えていました。
たとえよい成績を残しても、心の底から満たされることはありません。
「頑張らなくなった瞬間、自分には価値がなくなる」と思い込んで、常に切羽詰まっていたからです。
完璧主義をやめる転機になったのは、大学時代にうつ病になったこと。
一時は自殺願望に苦しむほどでした。
うつ病になってもなお、私は「人は常に理想を目指して努力するべき」という考え方に固執していました。
しかし、その考え方が自分を苦しめているだけだということに、次第に気が付きました。
これまで自分が大事にしてきた考え方を捨て去ることは、とても勇気のいることで、苦痛が伴います。
それでも、「死ぬよりはましだ」と思って、私は完璧主義的な考え方を捨てることにしました。
完璧主義的な思考を捨てることは、
「努力しようと努めてきた自分」というアイデンティティを破壊するであり、最初は気乗りしませんでした。
「完璧主義をやめたら生きるのが楽になるよ!」という主張はこの世に溢れています。
でも、経験者から言わせてもらうと、
今まで大切にしてきた自分の考え方を否定するのは、とても苦しいことなのです。
完璧主義を治すとどうなったか
少しずつ、私は完璧主義を治していきました。
100点なんて目指さない。60点ぐらいで良い、と。
いや、何なら3点でも良い。0よりはまし。そう考えるように意識をするようになりました。
そうすると、胸のあたりの息苦しさがすうっと消えていきました。
※完璧主義の原因のひとつが「0か100か」で考えてしまう思考です。
その思考を治す方法はこちらの記事に書いています。
「頑張らない自分」も許すことができれば、
たとえ完璧じゃなくたって、とても幸せな気分を維持できます。
完璧主義を取り払うにつれて、私の幸福度はどんどん上がっていきました。
完璧主義をやめて、無条件に自分を肯定できるようになれば、
とても生きやすくなります。
「完璧主義じゃない人って、こんなに楽な気分で生きてるんだ!」と目から鱗が落ちます。
完璧主義と、そうでない考え方のバランスを取ろう
ただ、今までの性格も完全に消す必要はありません。
完璧主義者は、「現状維持よりも、少しずつでもいいから成長していたい」という成長意欲があります。
そういう向上心の根っこは残したままで良いのです。
克己心と自分を甘やかす力、その両方の丁度良いバランスを保ることが大事です。
かく言う私は、まだ”完璧”にちょっとだけ憧れつつも、現状に満足し、ストレスの無い範囲で頑張る、というベストな状態を維持できています。
完璧主義をやめたからって、過去の自分は否定しなくてもいいのです。
あの時の自分だって、自分には違いなかったのだから。
完璧主義だった自分は、すごく偉かったのだから。
でも、もう「完璧」を追い求める必死の努力はしなくてもいい。
過去の自分も、現在の自分も、全部自分に許してあげることが、第一歩です。
「できることなら完璧でありたい」という気概も素晴らしい。
一方で、疲れた自分や、甘えたがっている自分を「ダメ人間」などと否定せず、
認め、許し、そのままを慈しむ力。
その両方の力をバランスよく、適切に使い分けてしなやかに生きることが、本当の強さだと思います。